• 龍と呼ばれた兵器-空母「蒼龍」「飛龍」「雲龍」、戦闘機He162ザラマンダー、「そうりゅう」級潜水艦、

 遅ればせながら、令和6年・西暦2024年・皇紀2684年、明けましておめでとうございます。

 年明け早々に「干支に因んだ兵器」で記事を書くってのも、既に一巡りしてしまっているのだが、12年前に取り上げたのが「大日本帝国陸軍爆撃機・飛龍/呑龍」と「SAAB J35ドラケン(*1)」だったが、何しろ、龍である。東洋では主として神獣か神であり、西洋では・・・まあ、モンスター扱いであることが多いな。それ相応の威厳が在るモノだから、「兵器の名前」とは相性も良さそうで、「龍と呼ばれた兵器」には相応に事例がある。お陰で12年ぶりの本記事も書ける、と言う訳だ。

龍と呼ばれた飛行機達 | 日出づる処の御国を護り、外国までも率いん心 (ameblo.jp)

  • <注記>
  • (*1) スウエーデン語で「龍」だと思ったのだが、どうも違うらしい、と、最近知った。「凧」なんだとか。
  •  まあ、「凧」だとすると、「扁平な機首両側のインテークから主翼につながるダブルデルタ翼形状」のJ35は、「確かに凧っぽい」のであるが。 


 

  • (1)大日本帝国海軍空母 飛龍・蒼龍

 

 

 

 

 「空母」という艦種は、今米国が保有する「スーパーキャリアー」原子力空母として「ほぼ完成の域に達した」と見ることが出来そうだが(*1)、そこに至るまでの主として大戦間期の紆余曲折右往左往は、(後から思えば)トンデモナイものであった。


 その一例として、英国空母Furiousを挙げよう。第二次大戦にも(一応)参戦したこの空母は、元は第一次大戦中に建造された「秘密巡洋艦」で、当時世界最大(後に、大和級にだけ追いつかれる)の18インチ砲単装二基の砲塔を有する軽巡洋艦って「変態兵器」だった。
 そんな「変態兵器」故に「ダメ元で改造しちまえ」となったモノか、空母に改造される、事になったのだが・・・・何故か、「先ず前部主砲塔だけ外して、前部甲板だけ飛行甲板にした」。
 この「前半だけ空母」でも艦首を風上に向けて航走し、艦載機を発艦させる分には良かったのだが、問題は着艦だった。「秘密巡洋艦」時代の上構である、艦橋や煙突や後部主砲塔はそのまま残されていたモノだから、航空機は「Furiousに平行に追い越す様に飛行し、艦橋を通過した所でサイドスリップ(横滑り)で前部の飛行甲板に着艦する」って、「曲芸飛行じみた」と言うよりは「曲芸飛行そのもののの着艦」を余儀なくされた。
 流石のイギリス人も、この「曲芸飛行着艦」ではマズいと思ったか、後に後部飛行甲板を設置した・・・後部主砲塔だけ外して。
 発艦用の前部飛行甲板と着艦用の後部飛行甲板の間には、艦橋と煙突が屹立しており、着艦した艦載機は艦橋&煙突の側面の通路を通って前部飛行甲板に行くことで、漸く「再発艦」出来る様になる・・・無論、着艦の際に後部甲板前方に屹立する艦橋&煙突の後流に翻弄されるなどして着艦失敗したり煙突に激突したりしなければ、だが。
 最終的には、艦体の中央に屹立していた艦橋と煙突は撤去され、漸く全通甲板の「空母らしい形」にFuriousはなった。第二次大戦が勃発したのはその後だから、「間に合った」と言えば、「間に合った」事になろう。
 奥歯に物が挟まった様な表現になるのは、何しろ第二次大戦の英国の空母ときたら、搭載機の短い航続距離と少ない搭載数の為に、「イタリアのタラント軍港夜襲(*2)」以外に目立った戦績を挙げていないからだ。


 とは言え、空母Furiousの「迷走」は、「空母=航空母艦」という新艦種の「産みの苦しみ」でもある。一艦でここまで「迷走」した例は、流石に他に類を見ないが、我が国だって「空母の煙突」について、「左右両舷に振り分けて起倒式にする」とか「舷側に大きく突き出して下向きにする」とか、「甲板上の上部構造物(=艦橋)と一体化する」とか、種々試行錯誤している。


 その試行錯誤の中で、「中型空母(大凡、排水量二万トン程度)の一つの答え」に辿り着いたのが、正規空母・飛龍&蒼龍である。因みに、蒼龍の方が若干「先輩」だが、「艦橋の位置が異なる(蒼龍は右舷。飛龍は左舷。で、「正しい」のは右舷だった様だ(*3)。)」などの差違は在るモノの、準同型艦と言い得る。前中後と三基のエレベータと、右舷に横向きに突き出した煙突。小型にまとまった艦橋(アイランド)を艦体中央より前方寄りにした配置は、後の瑞鶴・翔鶴にも受け継がれ、エレベータ基数以外は更に「雲龍」級にも引き継がれて、「日本空母の一つの潮流」を形作っている。

 言い替えるならば、大東亜戦争に於ける「日本軍正規空母」のフォーマットを確立したのが、飛龍&蒼龍であった。と、言えそうである。

 飛龍&蒼龍が計画されたのは、大戦間期の海軍軍縮条約時代。所謂「海軍休日 Naval Holiday」という奴だ。各国、就中三大海軍国たる英米日は、海軍軍縮条約の制約下で(*4)如何に効率良く強い軍艦及び艦隊を整備するかに心を砕いていた。
 飛龍&蒼龍は、我が国に条約上許容された「空母の総排水量の残り、二万七千t」を2隻の空母に割り振る事として、計画された。つまりは各艦1万3千5百tと言うことであり、コレは先行する「戦艦を改修した加賀」や「巡洋戦艦を改修した赤城」という二大大型空母の半分で正規空母を建造しようという、結構「野心的な計画」である。
 更に言うならば、赤城&加賀以前の鳳翔など1万tに満たない小型空母の戦訓もあれば、当時既に始まっていた艦載機の大型化重量化傾向(*5)もあり、「空母の大型化」傾向は既に現れていた。
 その為、蒼龍建造中に海軍軍縮条約が期限切れとなった後、元々同型艦とされていた飛龍は設計変更され、若干だが排水量を増やしている。

 いずれにせよ、海軍軍縮条約という制限下で「制限一杯」を目指して建造された蒼龍と、「条約明け」を利用して若干増量した飛龍とは、「日本軍中型正規空母」というコンセプトを確立し、大東亜戦争劈頭の真珠湾攻撃はじめとする「破竹の進撃たる初戦の活躍」を見せたのである。
 
 然る後に、ミッドウエイ海戦にて、両艦とも先輩たる赤城、加賀共々戦没した。合掌。

  • <注記>
  • (*1) 「疑義の余地がある」事は認める。何しろ「スーパーキャリア」と呼べる原子力空母は、米国しか開発設計製造していない。(未だ)。
  •  「原子力空母」ならば、フランスの「シャルル・ド・ゴール」があるが、1隻だけだし、妙に小さいし、あれこれ不具合はあるそうだし、「完成の域」とは言い得まい。 
  •  
  • (*2) コレは、一艦の搭載機22機を全て雷撃機として、護衛無しに夜間に攻撃することで成立した作戦である。
  •  オマケに、その「22機の雷撃機」というのが、複葉羽布張りレシプロ単発機の、スォードフィッシュである。 
  •  
  • (*3) 回転するプロペラのトルクで、特に単発プロペラ機は「左に流れやすい」特性があり、「左舷にある艦橋」は発着艦の際に「右舷にあるより邪魔になる」らしい。レシプロ艦載機の大半は、単発機だから、コレは重要だ。 
  •  
  • (*4) 勿論、「あわよくば、その制約を掻い潜って」と考えて居たことは、言うまでも無かろう。国際情勢とは、そう言うモノだ。 
  •  
  • (*5) 複葉羽布張り機から単葉全金属機への発展も、もっと後の時代になるがジェット化、更には戦闘機の超音速機化も、艦載機は大凡単調増加的に大型化・重量化傾向にあった。 
  •  

 

  • (2)大日本帝国海軍空母 雲龍

 

 

 

 

 

 もう随分前になるが、私(ZERO)の母が英会話を習っていたとき、その英会話教室で配られたプリントってのを見せてくれた。日本語というのは、深く自然に根差した言語だから、その軍艦名が詩的であるのも、当然だ。なぁんて「エモーショナル」な書き出し(英文)で、帝国海軍具艦の艦名を列挙し、簡単な説明を加えていた。
 その中にUnryu :Mistic cloud with dragon(雲龍 龍と共に湧く神秘的な雲)」と説明されており、「雲龍」の(「龍」ではなく)「雲」の方が主体・焦点とされていた。「雲龍の実体は、”雲”か?”龍”か?」と言うのには疑義の余地はあろうが、この「Mistic cloud with dragon」という「雲龍の艦名の説明」が、簡明であり、美事と言っても良いぐらい、と感じるのは、私(ZERO)だけではあるまい。
 私(ZERO)なら、「Flying cloud and Dragon」とかナントカ、「より簡単」ではあるかも知れないが「詩的とは言いがたい」説明になっただろう。
 つまりは、この「母の英会話教室の先生」は、私(ZERO)よりも詩的
・詩人である事は間違いなく、私(ZERO)よりも「日本文化を深く理解している」可能性さえ、否定し難いモノがある。

 閑話休題(それは、さておき。)

 帝国海軍空母「雲龍」は、大東亜戦争下に我が国が量産を目指した正規空母である。

 当たり前のことだが、戦争というのは一大消耗・消費である。たとえ勝ち戦でも、完全なる勝利でも、燃料弾薬の消費消耗は免れない。コレが負け戦ともなると、撃破撃沈撃墜されたり、戦場放棄されたり死傷したり捕虜になったりするので、兵器や兵員の損耗・消費は激しくなる。大東亜戦争開戦劈頭では質・量とも米軍を圧倒した空母と空母を中心とした機動部隊も、ミッドウエイの大敗をはじめとして搭乗員、パイロット含めて相当な消費消耗を強いられた。
 かてて加えて、第1次大戦当時でさえ「ドイツにとって無慈悲なまでの工業力」と言われ、大東亜戦争終結時には「全世界のGNPの半分を占めた」とまで言われる米国は、真珠湾攻撃直後の「勝利のための計画」で、航空機も空母も(序でに戦艦も)一大増産を指示し、更にはコレを実施・実現した。大東亜戦争中に米国が建造した正規空母は「月刊空母」エセックス級だけで戦争中に17隻を数え、軽空母(*1)89隻数えた(*2)。

 我が国も「空母を量産」することが求められ、期待されるのも、理の当然であろう。その期待を、「一身に担った」と言って良いのが、「雲龍」級空母である。
 空母としての完成が急がれたために、既存の飛龍(前述)の改修型とされ、飛龍級では三基あった航空機エレベータを二基に減らす(その代わり、寸法は大きくして大型機にも対処可能とした。)などの簡略化と改修も加えられた雲龍級だが、それでも一番艦「雲龍」の竣工(艦艇の製造物としての完成)は昭和19年・1944年の8月、終戦=敗戦の1年前だった。 


 空母に限らないが、軍艦というモノは、竣工=「製造物として完成」しただけで使えるモノでは無い。完成した艦の乗員は「艤装員」として竣工前から軍艦に乗り込み、公試(軍艦の「完成検査」にあたる、性能確認試験)等を通じて慣熟訓練を行い、操艦等へ馴れる様にするモノだが、それでも竣工から軍艦として就役するまでに、平時ならば1年ほどかけるのが普通だ。
 況んや「雲龍」は空母であり、操艦等の「艦の操作に馴れる」必要(それは、どの軍艦にも共通する)に加えて、搭載機の搭乗員が発着艦等に馴れる事も必要(コレは、空母特有である。)なのである。
 だが・・・昭和19年も8月に竣工した「雲龍」も、それに続いた同型艦の「天城」「葛城」も、「発着艦に馴れる」どころか「定数一杯の艦載機(と艦載機搭乗員)」すら搭載されることは無かった。既にに戦況は日に日に我が方に不利となり、艦載機も艦載機搭乗員も、根源的に不足しており、新造空母に配備配属する航空機と航空機搭乗員がなかったため、である。何しろ、既存の空母でさえ「実戦に投入できるレベルの艦載機(と艦載機搭乗員(*3))の不足」で出撃できない、って事態まで出来したのだ。
 一番艦(にして、唯一の「龍」名前)である「雲龍」に至っては、「発艦したのは、流星のロケット補助発艦実験の時だけ」とさえ言われており、「着艦した実績が無い」まま、昭和19年12月に米潜の魚雷を受けて戦没している。竣工から沈没まで実に半年も無く、この間に兵員や航空機の輸送に従事するぐらいで、空母としての戦績は全く無かった。

 言い替えるならば、残酷な話であるが、空母「雲龍」は、竣工はしたが、空母として就役すること無く、撃沈され、その生涯を閉じたのである。(正月早々、気の滅入る話で恐縮だが。)

 戦後まで生き残った三番艦「葛城」が、大東亜戦争敗戦後に、太平洋全域に散っていた帝国陸海軍将兵の復員・引き揚げに「活躍」したのが、せめてもであろう。

 「雲龍」級空母の不運・悲運は、我が国の大東亜戦争に対する準備不足に起因する所が大半である様に、私(ZERO)には思われる。
 また、コレは同時に、「仮に我が国が効率的に空母を量産し、史実・事実の「雲龍級」以上の数の空母を大東亜戦争中に建造できた」としても、「その空母に載せる艦載機と艦載機搭乗員の不足」は、変わらないであろう、と言うことでもある。

 Parabellum「戦争に備えよ」。
 ラテン語にして、古代ローマ以来言われている(であろう)この標語は、「雲龍級の悲運の教訓」でもある、と言うことになるだろう。
 

  • <注記>
  • (*1) と言っても、カタパルトの採用などもあって、我が方の正規空母をも一部では凌駕する搭載機数なのだが。 
  •  
  • (*2) 加えるに、「改型合わせて200隻になるガトー級潜水艦」があり、「余りに数が多くて何隻作ったのか誰にも判らないリバティ級輸送船」がある。事の序でにアイオワ級戦艦4隻もある。
  •  げに恐るべきは、米国の工業力である。
  •  だが、同時に、これだけの空母増産に見合うだけの航空機を量産し、そればかりかその航空機に搭乗するパイロットはじめとする搭乗員を養成した事に、注目すべきだろう。 
  •  
  • (*3) で、「実戦に投入できるレベルの搭乗員」が「マリアナの七面鳥撃ち」である。【慟哭】 

 

  • (3)ハインケルHe162ザラマンダー(火龍)/フォルクス・イェーガー(国民戦闘機)

 

 

 ハインケルって会社は「ナチス政権下で不遇を託った会社」とも言われている。一説によると「社長のハインケル氏の鼻がユダヤ人に似ていたから」とか、「ライバルであるメッサーシュミット社の社長がナチ党と親しい関係にあったから」とか、まことしやかに伝わる。
 その「ハインケル社の不遇」の一つ数えられるのが、「ジェット機の実現・実用化にはハインケル社が先鞭を付けたのに、人類初の(当然ドイツ初の)ジェット戦闘機はメッサーシュミットMe262に奪われた。」というのがある。事実、人類初のジェット機として飛行したのは、ハインケル社のHe178だが、He178は実験機に止まり、人類初のジェット実用機は、先述のメッサーシュミットMe262である。ハインケル社のHe280は、Me262に敗れて、制式採用されなかった。
 それでも、ハインケル社としてはジェット戦闘機の構想を練り、設計も試験も社内的に進めていたそうだ・・・って、簡単に言うが、戦時下(それも、結構な負け戦)の軍用機メーカーが「社内研究で戦闘機の開発を進めていた」と言うことであり、下手すると(本業を疎かにしたという意味で)「サボタージュ」とか「国家反逆罪」とかに問われかねない重大事である。「ある程度のナチ政府の黙認」は「あった」と考えるべきであろう。それは、先述の「ハインケル社不遇説」とは、「相反する」とまでは言わぬが「齟齬を来している」様には思う。


 それは兎も角、最新兵器として期待されたジェット戦闘機の量産が上手く行かず、益々敗色濃厚となってくると、ドイツ=ナチ政権は「より簡素な、だが高性能なジェット軽戦闘機を大量生産しよう」という「フォルクス・イエーガー(国民戦闘機)」計画が立ちあげた。双発のMe262に対し単発として簡素化して高い量産性を持たせ、序でに操縦を容易にしてレシプロ練習機どころかグライダー操縦経験程度のパイロットでも空戦出来る戦闘機があれば、連合軍に奪われた制空権も奪還出来る!っていう、誠に虫の良い計画である。「フォルクス・イエーガー(国民戦闘機)」って計画名には誰でも戦闘機パイロットって含意も込められていそうだ。
 その「フォルクス・イエーガー」計画に応じた数社のウチ、採用されたのが、ハインケル社のHe162だった。ジェットエンジン1基を胴体背面に背負う様にして装備し、その排気を避けるために垂直尾翼は2枚とされて水平尾翼の翼端に着く、なかなか特徴的な外形だ。量産性を求められたので全体的に小型だし、貴重なアルミ材なんかは極力使わず、機体構造の相当部分を木製合板としたのも特徴だ。武装は20mmまたは30mm機関砲を機首に2門装備。それに、第2次大戦中は3機種しかない射出座席装備機でもある(*1)。


 「ザラマンダー(火龍)」と言うのは、ハインケル社が付けた社内コードネーム、だそうな。制式名称は、計画名でもある「フォルクス・イェーガー(国民戦闘機)」だが、何しろ大急ぎで開発された(*2)とは言え、量産開始が1945年1月。ドイツ降伏が1945年5月7日で、3月にはドイツ本土での地上戦が始まっている。終戦までに実戦配備されたのが約120機で、工場では200機以上が完成状態にあったと言うから、「量産性が高かった」のは事実な様だ。
 だが、初期ジェットエンジンの単発と言うこともあり、操縦性や安定性、更には安全性(例えば、木製合板の接着剤は、試験飛行段階で何度も問題を起こしている。)の点で問題や疑義があり、「誰でも戦闘機パイロット」とは、とても言えそうになかった。

 だが、それは、余りに虫の良すぎる「フォルクス・イエーガー(国民戦闘機)」計画の目標故。

 「生産性の高い簡素且つ高性能なジェット単発戦闘機」という目標は、相当程度に達成したのがHe162ザラマンダーであり、ハインケル社の社内コードネーム「ザラマンダー」としては、相当な成功を収めた、と言えるのでは無かろうか。それは、「敗戦までの4カ月ほどの間に、300機以上を完成させ、約120機を実戦配備した」その実績が、物語っていよう。
 

  • <注記>
  • (*1) 残りの2機種は、同じハインケル社の夜間戦闘機He219 ウーフと、ドルニエ社の試作戦闘機Do335。 
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  • (*2) 先行してハインケル社の社内検討があったとは言え。 
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  • (4)海上自衛隊・潜水艦「そうりゅう」級

 

 

 

 海上自衛隊の潜水艦は、海自発足以来「くろしお」を皮切りに「○○しお」ばかりだったのである。とは言え、海保の「ひめぎく」級の様な「××かぜ」が百隻どころか二百隻に迫ろうとしているのに対し、「○○しお」は百にも至らぬ前に「ネタ切れ」となったらしく、二代目(以降の)「○○しお」を襲名する艦が続出した。帝国海軍の潜水艦は、大きさで「イ」「ロ」「ハ」と等級分けをして番号を付けたから、「帝国海軍由来の艦名を襲名」する訳にも行かなかった。
 その「○○しお」を破ったのが、海自潜水艦「そうりゅう」級である。従来とは異なる命名法としたのは、恐らくは、AIP(空気独立推進)機関を補助推進力として、水中での航行時間を延長するという「画期的な潜水艦」だったからだろう。従来従前通りの「ディーゼル機関+鉛蓄電池」と言う「典型的な通常動力潜水艦」として、第1次大戦以来のオーソドックスな機関に加えて、スターリングエンジンと言うAIP機関(*1)を搭載し、浮上ないしシュノーケル航行(*2)せずに航行出来る距離・時間を延長した潜水艦である。
 但し、主として延長できるのは「時間」である。AIP機関の推進力は多寡が知れており、AIP機関のみによる速度は数ノットとされる。

 「そうりゅう」級のもう一つの特徴は、その艦尾にある舵である。大凡潜水艦の艦体が「涙滴型」となって以来、潜水艦の艦尾には「十文字配置の4枚舵」があり、コレとは別に一対の「潜舵」として艦首なりセイル(艦体から突き出している「艦橋」に当たる部分で、潜望鏡やシュノーケルやアンテナマストなどは、セイル上面に在るのが普通だ。)なりに装備するのが「現代潜水艦」であり、我らが海自潜水艦もこの型式を踏襲していた。(お陰で、潜水艦ってのは「特に艦種識別が難しい艦種」なのだが。浮上航行していても、艦体の半分も見えないし。)
 だが、「そうりゅう」級は艦尾の4枚舵を「X字配置」にした。理由は「運動性の向上」とされる。要は「横方向に加速度を出す”旋回”時に、十文字配置だと水平方向の舵2枚が無駄になる。」ってことで、「X字配置なら、4枚舵全てを使って横方向加速=”旋回”出来る」と言うこと。有効に使える舵は二倍になるが、45°傾いているからトータルで舵が出せる力は√2倍=約1.4倍になる。無論、コレは、「4枚舵で稼げる力が約1.4倍」であって、「横方向加速度=旋回G」が「約1.4倍になる」訳では無いことには注意が必要だが、「運動性が良くなる」事は間違いないだろう(他の条件が同一ないし同等ならば。)。


 付随的なメリットとして、「海底着底時に舵の損傷を回避できる」ってのもあるそうだが、コレは海底の様相にも依るだろうから、「メリットとなる、可能性がある」程度だろう。第一、「潜水艦が海底に着底」ってのは、非常手段(若しくは事故)に近いのでは無かろうか・・・潜水艦映画には時折あるが(*3)。
 
 「海自の画期的潜水艦」として「龍の名」を冠し「そうりゅう」と名付けられた一番艦は、無論、大日本帝国海軍・正規空母「蒼龍」(前述)の名を受け継いだものであり、それに続く同級潜水艦は全て「○○りゅう」と名付けられた(*4)。因みに「蒼龍」の名が示す様に、「○○龍」とか「龍○○」ってのは、帝国海軍では空母の名前である。
 って事は、「近い将来、海上自衛艦”ひりゅう”が実現する!」って「淡い期待」が持たれた、のだが・・・「そうりゅう」級に続く海自潜水艦は「たいげい(*5)」型と命名され、同型艦は「○○げい(○○鯨)」と名付けられる様で、「海上自衛艦”ひりゅう”」の実現は、当面先らしい。
 その前に、漢字表記に戻してくれないかなぁ。非公式には漢字表記する例も、無いではない様だが、公式公的には、平仮名だもんなぁ。

 本年が皆様及び我が国にとって、良き年となります様に。
 

  • <注記>
  • (*1) 潜水艦のAIP機関としては、他にワルタータービンとか燃料電池などがある。「色んな形式がある」と言うことは、「AIP機関として(未だ)決定的なモノがない」と言うことでもある。 
  •  
  • (*2) 潜望鏡深度で、潜望鏡と同様に吸排気口を海面上に突きだして機関を動かす方法。 
  •  
  • (*3) 「イン・ザ・ネイビー Down Periscope」とか、「Uボート Das Boot」とか。 
  •  
  • (*4) うんりゅう(雲龍 帝国海軍空母名を踏襲)、はくりゅう(白龍)、けんりゅう(剣龍 ステゴザウルスだな。)、ずいりゅう(瑞龍)、こくりゅう(黒龍)、じんりゅう(仁流 神龍でも迅龍でもないらしい。)、せきりゅう(赤龍)、せいりゅう(清龍 青龍だと、蒼龍と被るから、かな。)、しょうりゅう(翔龍 昇龍でも捷龍でもないらしい。)、おうりゅう(凰龍 王龍では無かった。意味は近いが。)、とうりゅう(闘龍 戦闘龍って力士が、昔居たなぁ。)
  •  どれも、漢字表記の方がカッコ良いし、意味が通るよなぁ。 
  •  
  • (*5) 大鯨。帝国海軍潜水母艦「大鯨」の名を踏襲。「大鯨」は空母に改装されて「龍鳳」と改名された。 
  • 「ゴジラー1.0」は、”反戦”か?-映画「ゴジラ-1.0」に対する一考察。

 

 

 

 
 警告しておく。本稿は、映画「ゴジラ-1.0」に対する作品紹介では無い。映画「ゴジラ-1.0」を「反戦を訴えている」とする映画評等に対する反発から生まれた「反対論」であり、同時に映画「ゴジラ-1.0」に対する考察を深めようとするものである。

 従って、読者諸兄は「ゴジラ-1.0」を(少なくとも1回は)視聴している、と言う前提で書く。早い話がネタバレありと言うことである。

 映画「ゴジラ-1.0」を視聴していない読者は、この先を読まないことをオススメする。と同時に、騙されたと思って、一度視聴する事を、相当に強くオススメする。
 
 因みに私は既に6回見た。全て自腹で、招待でも何でも無く、その故もあってか「6回とも泣いた」事を告白しておこう。
 また、モノクロ版「ゴジラ-1.0/C(マイナスワン/マイナスカラー)」も、先ず確実に見るであろう。
 

  • .序 蔓延る「反戦平和」論


 反戦平和とは「美しい言葉」である。美辞麗句の典型例と言っても良さそうだし、コレに面と向かって公然と反対するとか反意を唱えるとかは、「憚られる」では済まないこともありそうだ。地位や立場によってはそれだけで「社会的地位を失う」事だって想定できそうなくらいだ。

 しかしながら、「殆ど生まれながらの右翼」にして、生来のへそ曲がりでもある私(ZERO)からすれば、反戦平和」は「万古不易の真理」でも無ければ「万人等しく求めるモノ」でも無い、と断じよう。イヤ、世の大半の人間が「反戦平和」に「心から賛同する」であろう事は認めるモノの、「中には、そうでは無い人間もいる。」と断定断言する(*1)し、それこそが正に「多様性」でもあれば、「内心の自由」でもある。私自身が「少なくとも無条件に反戦平和には同意しない。とも断言しよう。「奴隷の平和」に陥るよりは、「戦う」ことを選択する事はあり得るし、また左様な「戦い」には備え、覚悟し、準備すべきである。
 
 ではあるが、何しろ「美辞麗句」であり「面と向かって反対も反抗もしがたい」モノであるから、あの人は、反戦平和を訴えた。」と言えば大抵「褒め言葉」になる。従って「弔辞」にもなり得る、訳だ・・・誰の弔辞を考えて居るかというと、我が師の一人、漫画家・松本零士だ。
 昨年亡くなった松本零士に対し、国内外から惜しむ声、弔辞が集まったのは、「不肖の(勝手な)弟子」たる私(ZERO)としても「嬉しいこと」ではあったが、そんな中、特に報道関係を中心に故・松本零士氏は、反戦平和を訴えた。」って類いの「追悼記事」が相次ぎ、松本零士氏を師と仰ぐ「長年のファン」としては大いに「違和感」・・・どころか「嫌悪感」を覚えたモノである。我が師を、愚弄するか!!と。その際に結構取り上げられた、大東亜戦争を主な舞台とする「戦場漫画シリーズ」に「反戦的な科白」があることは認めるが、松本零士の描く漫画が、「我が師の教え」が、「単なる反戦平和ではない」事は、(私(ZERO)に言わせるならば、)「火を見るよりも明らか」だ。
 詳細は別記事にその時したので、此処では省くが・・・・「我が師」である。逆にその事が正に、「松本零士氏を、単なる反戦平和論者たり得ない」事を示していよう。

 で、翻って、映画「ゴジラ-1.0」である。この映画についてもやはり「反戦平和を訴えている」とする言説は枚挙に暇無く、甚だしきは、その「反戦平和」が「人気の秘密・原因」とまでしているくらいだ。

 コレは一寸、看過しがたい。

 私(ZERO)は、別にゴジラファンでも無ければ、怪獣映画ファンでも無い。多分、映画館で見た「ゴジラ」は、本作で2作目だ。しかし、(松本零士御大と同様に)本作が「単純に反戦平和を訴える」だけだったら、先ず確実に「一回劇場で見たらお終い」だったろう。
 
 それを、既に6回も見ているのだ。「金を払って劇場で2回見る(*2)」のさえ初めてだというのに、だ。

 かかる「看過しがたい」事態・事情が、本稿執筆の動機である。
 

  • <注記>
  • (*1) 「誰が?」と問われるならば、第2次大戦中の米陸軍の将軍・ジョージ・S・パットンを挙げようか。あと、名前は忘れたが、A-1スカイレイダー艦攻パイロットも、その様に断言していたな。
  •  A-1スカイレイダー艦攻パイロットらしい、と思うのは、私(ZERO)だけではない、と思うぞ。 
  •  
  • (*2) 「金を払わずに」だったら、「デルタフォース」でそうした覚えがある。アレも2回見て、2回とも(本編とは余り関係の無いシーンで)泣いたなぁ。昔の映画館って入れ替えが無かったし、指定席は少数派だった(自由席=無指定の席が多かった)し、同じスクリーンで同じ映画を何度も上映するのが普通だったから、一度入場してしまえば、何度も同じ映画を見ることが出来た。 


 

  • 神としての「ゴジラ」

  敢えて極言するならば日本人というのは「何でもかんでも神にしてしまう」民族(*1)である。その一例は一昨年流行語となった(らしい)「神ってる」と「神○○」などの修飾語「神」であるし、「丁寧に丹念に百年間使い続けた道具は、神になる」と言う「付喪神」思想である。「艦むす」「馬娘」はじめとする数多の「擬人化」も、この「汎神主義」というか「万物疑神化思想」の延長と考えると、得心の行く部分は多かろう。 

 であるならば、「ゴジラ」と言う日本でも指折りと言って良さそうな「古典的アイコン」が、ある種「神」と考えられるのも、道理である。本作「ゴジラ-1.0」の監督自身が、ゴジラを「荒ぶる神」と言っているし、その映画を作る(と言うことは、多くの場合その「荒ぶる神=ゴジラ」を「倒す」なり、何らかの「和解」乃至「理解」に至る過程を描く事になる。)事はその「荒ぶる神を鎮める」ある種の「神事」である、と述べている。正直「以前劇場で見たゴジラ映画」には、そんなこと微塵も感じなかったのだが、本作にはその様な、「神殺し」と言うよりは「神送り」と見ることの出来る節が、多々ある。
 例えば・・・(ネタバレ警報!ネタバレ警報!ネタバレ警報!!クライマックスシーン。日本人の知恵と勇気でようやっと倒されたゴジラは、「後光」とさえ見える様な「放射熱線」を四方八方に放ちながら、静かに自壊・崩壊していく。居合わせた人々は、駆逐艦に乗りこんだ元海軍軍人も、東洋バルーン社員も、タグボートの船員たちも、揃ってそのゴジラに対し海軍式敬礼を捧げる。
 コレは一寸、外国映画では想像しがたいシーンである(*2)。アメリカ映画なんかなら、「やったぜ!ゴジラ倒したぜ!!アメリカの科学は世界一ぃぃっ!We Are No1!! 」とか大騒ぎを始めそうだ。
 だが、「ゴジラ-1.0」は、厳粛にして荘厳なBGMと人々の敬礼で、「ゴジラを送る」のである。(その一寸前の「無音シーン」も、思い出すだけで熱いモノがこみあげる・・・)
 正に、「荒ぶる神=ゴジラを鎮め、荒魂を和魂として送る」神事であろう。
 
 であるならば、本作「ゴジラ-1.0」に於ける「海神作戦」を筆頭とする「対ゴジラ戦闘」は、単なる「アクションシーン」ではない。少なくとも一面「神鎮めの儀式」でもある。
 だが、その「神鎮めの儀式」は、単なる「祈り」ではない。ある種の刻苦勉励であり、努力と決意である。

 更には、ゴジラを我が国対する災厄、「天災や戦争の象徴」と考えたとしても、それに対する「神鎮めの儀式」は「海神作戦」などの「戦闘」という形を取っているのだから、少なくとも「単純な反戦」ではない。
 無論、戦争準備よりも外交努力をしろ(*3)とか、平和を愛する諸国民に全て任せれば大丈夫(*4)」等の「空想的平和論」とは、対極と言って良いぐらいにかけ離れている。寧ろ、大東亜戦争敗戦と帝国陸海軍解体による「戦争準備の根本的欠如」が、本作の「絶望的状況」を形成している。

 即ち、本作「ゴジラ-1.0」は、「神鎮めの儀式としての”戦闘”」も、それに備える「戦争準備」も、肯定しているのであり、「単なる反戦」とは、少なくとも「一線を画している」と言うべきである。
 

  • <注記>
  • (*1) 正確には多分、「日本文化」なのだろうな。遺伝子だとか血統だとかは、その補助的材料、援護射撃ではあるが、本筋・効力射ではない。
  •  だから、「日本かぶれの外国人」が日本に滞在すると「日本人化」してしまう可能性は、相応にあるのだろう。 
  •  
  • (*2) 実際、「理解できない」って海外コメントも読んだことがある。まあ、海外に限らず、日本人でも、「理解できない」人には「理解できない」のだろう。
  •  
  •  「貴様たちには、判らないのか?
  •   判らないならば、それで良い!」byキャプテン・ハーロック
  •  
  •  「彼らを責めてはいけない。
  •   彼らには、判らないのだ。」byリチャード・ヴァレリーHMSユリシーズ艦長 
  •  
  • (*3) 人語も通じぬゴジラ相手に、「外交」も「交渉」もヘチマも無いものだ。 
  •  
  • (*4) 「馬鹿な主張」とお思いだろうが、日本国憲法前文は正にこの様に主張している。日本国憲法前文は、「名誉ある地位」の為に全国民の生命財産を失っても「良しとしている。」。「平和を愛する諸国民」なんてどこにどれだけ居るかも怪しく、実在するかも疑わしい存在に、我が国の安全を託してしまえと言っているのだから、他に解釈のしようがあるとは思われない。あるとしたら、「平和を愛する諸国民」と言うのが「現実に、厳然と存在する」と言う、確信と言うより狂信ぐらいしか思い付かない。
  •  所で、その「平和を愛する諸国民」ってのは、今どこで何をやっているのかね?ウクライナへのロシアの侵略に対しても、ハマスのイスラエルへのミサイル攻撃&国民誘拐&強姦略奪に対しても、「何もしていない」としか思えない・・・と言うより「どこに居るのかすら判らない」のだが。それ以前の4次にわたる中東戦争もベトナム戦争も朝鮮戦争等々に対しても、な。 


 

  • .「ゴジラ-1.0」に於ける「大東亜戦争否定」論

 本作の随所、各科白に「大東亜戦争に対する批判」、「大東亜戦争否定」論が散見されるのは事実である(*1)顕著なのは第2次ゴジラ上陸戦前夜の、「ゴジラ討伐作戦(海神作戦)」立案者たる「学者」野田さんの台詞だろう。この台詞で野田さんは「我が国は、命を粗末にしすぎました。」として、先の大戦=大東亜戦争の反省点を、
 ①戦車の脆弱な装甲 
 ②補給軽視の結果である餓死・戦病死者の多さ 
 ③戦闘機の脱出装置未装備 
 ④特攻・玉砕

と列挙した上で、「今次作戦(海神作戦)は、一人の犠牲者も出さないことを誇りとしたい。と、名科白=名演説を放つ。

 「今度の戦いは死ぬための戦いじゃない。生きるための戦いなんです。」と言う名科白と共に。

 この野田さんの科白・演説の趣旨は、大筋として私(ZERO)も同意できるモノである。
 だが、幾つかの点は突っ込み/反論せざるを得ない。
 先ず上記③について、「第2次大戦機は、脱出装置が無いのが当たり前で、ある方が珍しい。という点は、指摘せざるを得ない。脱出座席/エジェクションシートは、今でこそほぼ「戦闘機の必須アイテム」になっているが、コレが実用化したのは第2次大戦末期で、軍用機に装備したのはドイツだけ。しかも機種としては良い所3機種(*2)である。
 「脱出前にキャノピー(風防ガラス)を吹き飛ばす装置」を搭載した機種だと一寸増えるが(*3)、その程度。大東亜戦争当時の軍用機は「自らの手で風防なりドアなりを開け、自分の脚で飛び出す」のが基本であったから、上記③の批判は、相当に無理がある。(乃至、大日本帝国及び大日本帝国陸海軍に対し、不当である。)
 上記②「戦車の脆弱な装甲ってのも、「1937年制式採用の97式中戦車を、大戦を通じて(殆ど唯一の)主力戦車としてきた。」事と、大戦中の戦車の「火力&防御力インフレ」を考慮に入れて然るべきであろう。1937年制式の中戦車として、我らが「チハ車」=97式中戦車は、「重装甲」とは言いかねるが、「当時としては十分な装甲」とは言い得る。また、日本軍の戦車は「歩兵の支援」を主たる任務とし、「対戦車戦闘」を考慮していなかったのも、考慮はすべきだろう。「最良の対戦車兵器は、戦車」って結論/結果論を出すのは、米国でも大戦後半だ。
 更には、上記④特攻・玉砕が、「戦う将兵本人が、死ぬための戦い」という言い方は出来るだろうが、その相当部分(恐らくは大半)が、「自らは死ぬが、他者を活かす戦い」であった、(乃至、「そうあろうとした」。)事も、指摘しない訳には行くまい。本作の中にも主人公の「明子の未来を守りたい」という科白があるが、同様の思い、同様の願いを、特攻や玉砕に散った英霊たちの相当部分が持ち、願っていたことには、殆ど疑義の余地はあるまい。【強く断言&確信】

 即ち、上記の野田さんの名科白・名演説は、「大東亜戦争に対する反省と批判」を含んでいるのは事実であるが、「戦うこと」を否定している訳ではないし、その趣旨・本旨に従っても「自らの命は捨て、他者を活かす」戦法・戦術たる「特攻・玉砕」は、少なくとも「一律一概に全否定されるべきモノでは無い」。
 

  • <注記>
  • (*1) そう言えば、「シン・ゴジラ」の主人公の科白にも、「取って付けた様な」大東亜戦争の教訓的科白があったなぁ。ああ言うのは何か?「ポリコレ」の一種かぁ?
  •  まあ、この程度の「ポリコレ」ならば、「大東亜戦争肯定論」を完全否定しない限り、許容できるが。 
  •  
  • (*2) He219ウーフ、He162ザラマンダー、 Do335。で、最後者は試作のみ。前二者も、配備数は多寡が知れている。He162なんて、「第二次大戦のジェット戦闘機」だ。
  •  
  • (*3) 第2次大戦のドイツ主力戦闘機の双璧の片方(でも小さい方)であるフォッケウルフFw190が装備しているから、相応の数にはなるが。 

 

  • 受け継がれる「特攻精神」

 無論、そのクライマックスシーンが示す通り、本作においては「特攻戦術」は否定されている。前述の野田さんの名科白に③「戦闘機の脱出装置未装備が強調・対比する様に、「(実は)震電に装備されていたドイツ製射出座席(*1)」に依って、主人公は生還する。

 だが、章題にした通り、「特攻精神」は、本作においても否定はされていない。イヤ、寧ろ、肯定されている。【強く確信&断言】

 それは、ゴジラ迎撃作戦「海神作戦」発動直前、補修整備なった震電に乗りこんだ主人公と橘整備長との会話で明らかだろう。震電に乗りこんだ主人公は「射出座席」のことは知らないし、そもそもそんなモノ期待していない。震電のコクピットに納まっても手の震えが止まらないのに気づき、「生きたいようです。俺は。」と自嘲的な科白を吐く。それに対し橘は、「(映画冒頭近くでゴジラに殺された大戸島駐屯整備隊の)あの日死んでいった奴らも、そう思っていたよ。」と突き放す様なことを言う。
 だが、それを受けて、尚「ゴジラへの特攻」の決意を示す主人公なればこそ、橘は「射出座席の操作法」を教え、「生きろ」と送り出し、敬礼(*2)で離陸を見送った後も全てを終わらせるんだ。と、激励を送っている。


 更に遡るならば、主人公の「大戸島玉砕の全責任は橘にある。」とする「フェイクニュース」に激怒し主人公を「夜道にいきなり背後から襲って殴って気絶させ、手足を縛り上げた」上、主人公から「ゴジラ退治を手伝ってくれ」と言われても全く協力する気を見せなかった橘が、一転して(髭まで綺麗に剃って)震電を飛行可能なレベルまで整備することに同意したのも、主人公の「震電爆装案と特攻によるゴジラ退治案」を聞かされたから、だ。コレを聞かされた時点で橘は、震電の存在も知らなければ、その震電が(偶々、ドイツから輸入されたらしい)射出座席を装備しているとも、知らなかった、筈だ。
 つまり、橘整備長の「震電復活への協力」も、「射出座席操作法の伝授」も、主人公が「差し違えてでもゴジラを倒す。」と言う決意を表明し、それが真実であることを橘自身が納得したから、だ。

 故に、言う。ゴジラ-1.0は、特攻戦術を(表向きというか、皮相的に)否定しているが、特攻精神は肯定している。と。
 

  • <注記>
  • (*1) コレが「架空の設定」であることも、間違いないが。「プロペラを火薬で吹き飛ばす装置」は、装備していたはずだが。 
  •  
  • (*2) この、震電離陸のシーンも、結構好きなんだよなぁ。 


 

  •  振り下ろす、剣の下は、深み川。踏み込んでこそ、浮かぶ瀬もあれ。

 章題にしたのは、講談社の講談文庫「猿飛佐助」の第1話にて、忍術名人として後に有名になる猿飛佐助(*1)が、その忍術の師匠たる戸沢白雲斎先生から「免許皆伝」の際に賜った(確か、扇子に認められた)和歌であり、「最後の教え」である(*2)
 「武術の神髄」とも言われるこの和歌の意味するところは、「虎穴に入らずんば虎児を得ず。」などと同工異曲、とも言えそうではあるが、前章までの「ゴジラ-1.0に於ける主人公・敷島と橘整備長との関係・会話」からすると、自ずと別の意味が見えてこよう。
 
 主人公・敷島は「ゴジラ相手に特攻し、コレを倒す。」決意をした。「(残されることになる)明子の未来を守るため」に、己が命を犠牲にしても、他者=明子を「活かそう」と決意した。その決意が、「振り下ろす剣」であり、「深み川」である。
 そこに「脱出装置」と言う「浮かぶ瀬」があった。それを発見し、教えてくれたのは、橘整備長である。橘は、主人公の決意=「振り下ろす剣」=「深み川」を「真実」と認めたればこそ、「浮かぶ瀬」を教えたのである。

 そこに、橘整備長自身の「大東亜戦争中の特攻戦術に対する非難と反省」が込められている可能性は、多分にあろう。
 
 だが、「大東亜戦争中を含めて、特攻する者や、特攻する者自身の(*3)特攻精神を、非難批判しているとは、到底思われない。」

 それが、武術というモノじゃ。と言う、戸沢白雲斎先生の言葉が聞こえる様な気がするのは、私(ZERO)だけだろうか。

 いずれにせよ、そんな「戸沢白雲斎先生の言葉」が聞こえる様な気がする私(ZERO)には、本「ゴジラ-1.0」が「反戦を訴えている」などと言うのは、「極めて浅はかな理解」としか思われない。
 

  • <注記>
  • (*1) 無論、後段の話だから、「講釈師、見てきた様なナントヤラ」って奴で、典型的なフィクションなのだろうが。
  •  「講談の忍術」ったら、呪文で姿を透明化したり、大ガマとか大鷲を「召還」したり、ほぼ魔法だからね。 
  •  
  • (*2) 因みに、戸沢白雲斎に師事することを決意した「最初の出会い」の際に示された「最初の教え」が、何度か引用している、「”武”と言う字を、見るが良い。”戈(ほこ)”を”止める”とある。
  •  ”それ。抜くぞ。覚悟。”と見せながら、遂に抜かずに収める。これが”武術”と言うモノじゃ。」である。 
  •  
  • (*3) つまり、第三者とかでは無く、当事者としての。 
  • 国防は、自治権よりも、優先だ。―【朝日社説】辺野古の代執行 自治の侵害を許すのか

 戦後この方、今も続いていると見られる「戦後平和教育」の欠点・欠陥は数多あるが、その最たるモノは「国家意識の欠如」というか「国家の否定」であろう。コレは、「国防意識の欠如」にも「国家安全保障観の欠如(*1)」にも直結している。平たく言えば、「平和ボケ」って奴だ。

 無論、私(ZERO)自身、その「戦後平和教育」を受けた訳であるが、周囲の人々の薫陶や影響、それに生来のへそ曲がりが加わって、相応の国家意識が涵養され、「国防も、国家安全保障も、国しか担えない、国の所掌である。」ぐらいの常識は身につける事が出来た。
 
 ではあるが、私(ZERO)の様な環境には恵まれず、「戦後平和教育」そのまま受け入れ、「国家を否定」「国家意識の欠如」「国家安全保障観の欠如」と言う状態だと、斯様な主張になる・・・だけでは、チョイと説明が付かんな。

①【朝日社説】辺野古の代執行 自治の侵害を許すのか
③【東京社説】「代執行」判決 辺野古は「唯一」なのか
④【沖縄タイムス社説】代執行訴訟 県敗訴 「自治の尊厳」奪われた
⑤【琉球新報社説】代執行訴訟きょう判決 地方自治の本旨踏まえ
⑤A【琉球新報社説】代執行訴訟敗訴 「辺野古唯一」への追随だ

  • <注記>
  • (*1) あ・の・「政権交代」前夜に掲げられた民主・社民・さきがけ共通公約に、「安全保障の項目が無かった」というのは、「国家安全保証観の欠如」の典型例であろう。

  •  そんな「欠陥共通公約」を掲げた党に「憲政史上最多の衆院議席数」を与えて「政権交代」=民主・社民・さきがけ連立政権を実現してしまった我が国民も、「国家安全保証観の欠如」の典型例とすべきだな。 


 

  • (1)①【朝日社説】辺野古の代執行 自治の侵害を許すのか

辺野古の代執行 自治の侵害を許すのか

 

 

https://www.asahi.com/articles/DA3S15821663.html?iref=pc_rensai_long_16_article

 

2023年12月21日 5時00分

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写真・図版

辺野古沿岸部。南側(中央左)は埋め立てが進んだが、北側(同右)の大浦湾側は軟弱地盤が広がり、埋め立ては進んでいない=2023年12月8日午前、沖縄県名護市、朝日新聞社機から

 

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 自治体の権限を奪う「代執行」に今の制度下で初めて道を開く判断としては、あっけない判決だ。国の言い分通りの内容が続く。今回、法廷での審理は1日で終わっていたこともあり、代執行の是非をどこまで実質的に検討したのか、疑問が拭えない。

 

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設を巡り、国が県に代わり防衛省の地盤改良工事の申請を承認する代執行に向けて起こした訴訟で、福岡高裁那覇支部は国を勝訴させた。

 

 最高裁判決が出た以上、県はそれに従うべきだ――。突き詰めればその論理をもとに、県の主張を退けた。

 

 理解に苦しむのは「公益」のとらえ方だ。

 

 地方自治法は代執行の要件として「放置すると著しく公益を害する」ことをあげる。判決は、県が承認しなければ人の生命・身体に大きく関わる普天間の危険性除去が大幅に遅れるとし、「社会公共の利益を害する」と述べた。

 

 県民の民意や環境への負荷など幅広く公益を考えるべきだという県側の主張に対しては、「心情は十分に理解できる」としつつも、法律論としては「当然に考慮しうるものとは言い難い」と退けた。

 

 一連の辺野古訴訟に通底する重層的な問題をなぜ考え合わせなかったのか。形式論に公益を押し込め、狭く解釈したのは残念でならない。

 

 もう一つの争点の「代執行以外の方法」で是正できるかどうかについても、県が求める対話による解決法は、地方自治法の規定に照らせば代替策に当たらないと退けた。

 

 訴訟で浮き彫りになったのは、地方と国が対立した時に、国が一方的に国策を押しつける危うさだ。地方自治法が代執行の要件を厳しく定めているのは、国と自治体が「対等・協力」の関係で、地方自治が憲法で保障されていることを踏まえたからだ。自治体の権限を国が奪うという最終的な介入手段には、謙抑的でなければならない。

 

 判決は最後に、国と県の間で訴訟が繰り返される事態は相当とは言い難いとし、国に「県民の心情に寄り添った政策実現」を求め、対話による解決を望むと「付言」した。

 

 この部分こそ問題の本質で、なぜこの考え方から「生きた法解釈」を展開しなかったのか、疑問は残る。だが、主文で代執行を認めながら、正反対の趣旨で判決理由を結んだのは話し合いによる解決を勧めている、ともとれる。

 

 辺野古を「唯一の解決策」として、自治権を一方的に奪ってまで進めるのが本当に適切か。国は再考すべきだ。

  • (2)③【東京社説】「代執行」判決 辺野古は「唯一」なのか

「代執行」判決 辺野古は「唯一」なのか

 

 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/297277?rct=editorial

 

2023年12月21日 08時26分

 

 沖縄県名護市辺野古での米軍新基地建設を巡り、福岡高裁那覇支部は国が県に代わって埋め立ての設計変更を承認する「代執行」を認める判断をした。だが、深刻な環境破壊を伴う難工事で県民の反発も強い。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の辺野古移設が「唯一」なのか、国は問い直すべきだ。

 建設を予定する辺野古沖の海域で「マヨネーズ並み」とされる軟弱地盤が見つかったが、県が国の設計変更を認めなかったため、「代執行」訴訟が起こされた。

 代執行は国が県の権限を取り上げることを意味する。今回の判決は玉城デニー知事に設計変更を承認するよう命じたが、知事が従わない場合、国が県に代わって承認し、工事に着手できる。県側は最高裁に上告できるものの、逆転勝訴しない限り、工事を止めることはできない。知事の法廷闘争に事実上、区切りを付ける内容だ。

 しかし、日米合意を盾に「辺野古が唯一の解決策」と繰り返す政府側に非はないのだろうか。

 「マヨネーズ並み」の軟弱地盤は深さ最大90メートルにも達する。国は海底に7万本もの砂杭(くい)を打ち込むというが、実際に可能なのか。

 政府の地震調査委員会は昨年、沖縄でマグニチュード(M)8の巨大地震が起きる可能性を公表した。工事の難度が高い上に、さらなる地震対策も迫られる。そのような海域に基地を建設する発想自体が危ういのではないか。

 費用も膨大だ。当初見積もりで3500億円以上だった総工費は再試算で約2・7倍に膨らんだ。資材や人件費などはさらに高騰しており、工費がどの程度まで膨れ上がるのか、予測は困難だ。

 そもそも建設予定地の大浦湾は約260種の絶滅危惧種を含めて多様な生物が生きる自然の宝庫であり、厳格な環境保全が求められる。貴重な海は破壊ではなく、保護の網をかけるべきだ。

 沖縄県民の「辺野古ノー」の声は選挙で明白だ。在日米軍専用施設の7割が沖縄県に集中する。米軍基地の県内移設で、長期にわたる忍従を強いていいのだろうか。

 辺野古新基地は滑走路の短さなど、米国側からも軍事的見地からの疑義が出ているという。

 普天間返還は当然だとしても、辺野古への移設は到底、合理的とは言えない。国には移設先の見直しを含めて、米国側と再協議するよう求めたい。

  • (3)④【沖縄タイムス社説】代執行訴訟 県敗訴 「自治の尊厳」奪われた

 

代執行訴訟 県敗訴 「自治の尊厳」奪われた

2023/12/21 05:00沖縄タイムス

 

 自分で申請して、自分で承認する。国の専断を可能とする初の司法判断が示された。基地が集中する沖縄にあっては、地方自治に対する死の宣告に等しい。

 

 名護市辺野古の新基地建設を巡る代執行訴訟で福岡高裁那覇支部は、国の主張を全面的に認め、玉城デニー知事に設計変更申請を承認するよう命じる判決を言い渡した。

 

 25日の期限までに県から承認が得られなければ、国は自ら設計変更申請を承認し、工事に着手することが可能になる。

 

 国が自治体事務を代執行したケースはない。そのようにして基地を建設し、米軍に提供した例は全国どこにもない。 

 

 最大の争点は、代執行の要件である「公益」をどう判断するかだった。

 

 本来、辺野古新基地の軍事的必要性や膨れ上がる経費、環境に与える影響、沖縄の民意などが問われるべきであった。だが、こうした論点には一切触れていない。

 

 付言の中で「対話を重ねることを通じて抜本的解決を図る」と希望しながら、判決の中では、県が答弁書で強調した「対話による解決」を退けた。矛盾が甚だしい。

 

 判決は、最高裁で敗訴が確定したにもかかわらず県が承認しないのは「それ自体社会公共の利益を害するもの」と指摘する。

 

 その上で、地方自治法にいう「公益」について、次のような解釈を示した。

 

 「法定受託事務にかかる法令違反等を放置することによって害される公益を念頭に置いたものと解される」

 

 9月の最高裁判決は、国土交通相の裁決に県が従うのは当然だと、裁決の拘束力を強調した。

 

 今回の判決も法定受託事務の適正な執行という法律論に終始し、地方の自主性を無視した内容となった。

 

■    ■

 

 地方分権改革によって機関委任事務が廃止されたのに伴い、公有水面埋め立てに関する事務は法定受託事務とされ、県に承認の権限が与えられた。

 

 国と地方の関係は「上下・主従」から「対等・協力」の関係に変わったと高く評価された。

 

 だが、その裏で進んでいたのは分権改革とは真逆の事態である。

 

 日米安保絡みの事案については、未契約米軍用地の強制使用手続きの際の知事権限を取り上げ、国の直接執行を可能にした。

 

 機関委任事務が廃止されたのに伴い職務執行命令訴訟制度がなくなり、代わりに法定受託事務の下での代執行訴訟制度が導入された。

 

 本来、私人の救済のために制度化された行政不服審査手続きを「窃用(せつよう)」し、自治体の自治権を縛るとともに、国の関与を制度化した。

 

■    ■

 

 司法の場での敗訴は、分権改革後の制度の仕組みが「安保重視・基地維持」を前提にした立て付けになっているからだ。

 

 初めから国の勝訴が約束されているようなものである。

 

 知事が承認しなければ、代執行の名の下に埋め立てが強行される。

 

 市民団体の中には「再撤回」を求める声が強い。

 

 知事が期限内に承認すれば、代執行は回避されるが、承認に基づいて工事が始まる。

 

 知事が承認した場合、これまでの主張が全て水の泡となるだけでなく、法的対抗措置も打ち出せなくなる。公約を実現できなかった責任は大きい。

 

 県庁内には、司法の判断に従うべきだとの意見が少なくないが、さまざまな点を総合的に判断した場合、知事は承認すべきではない。

 

 承認をせずに辞職し、知事選に出馬して信を問うことも選択肢の一つだ。

 

 負担軽減の実質化を図り、安全保障に脅かされるような日常を転換させる。

 

 島しょ防衛に絡む急激な軍事化や安全保障の在り方を全国規模で議論する。

 

 来年は各種選挙が集中している。またとない機会に安保を争点に掲げ、日本や沖縄の未来を問うのである。

 

 歴史的な判断を下す期限は迫っている。

  • (4)⑤【琉球新報社説】代執行訴訟きょう判決 地方自治の本旨踏まえ

代執行訴訟きょう判決 地方自治の本旨踏まえよ

 

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-2601216.html

 

 

公開日時

2023年12月20日 05:00

 

 

 名護市辺野古への新基地建設に関し、軟弱地盤の改良工事のための設計変更を巡って斉藤鉄夫国土交通相が玉城デニー知事に代わって承認するために提起した代執行訴訟の判決が20日、福岡高裁那覇支部で言い渡される。

 

 代執行の要件の一つである公益性についての司法判断が注目されている。県は請求の棄却を求めており、過重な基地負担を担う「県民の民意こそが公益とされなければならない」と訴えている。かねて指摘しているが、理は沖縄にある。地方自治の本旨を踏まえた判決を期待したい。

 国は承認しないことで普天間飛行場の危険性除去が実現できず「著しく公益が侵害される」としている。

 本来、普天間の危険性の除去は生活の安全に直結する事柄であり、県民の切実な求めである。ではなぜ県民は新基地建設に反対するのか、裁判所も国民もいま一度、考えてみてもらいたい。

 県はその理由に「過重な基地負担」と「自己決定権を否定されてきた経緯」「基地負担軽減の空虚さ」を挙げる。

 戦後、日本本土の基地負担軽減のために沖縄に基地が集中した。1995年以降の県民世論のうねりを受けて普天間返還が合意されるが、移設問題が浮上し、結局は県内での基地たらい回しとなった。

 日米が沖縄の基地負担軽減策として2013年に合意した嘉手納より南の施設の返還・統合計画は返還予定の約8割が県内移設の条件付きだ。

 辺野古新基地は5年で終了するはずの工事が長期化し、最短で12年を要する。その間、普天間飛行場が継続使用される。政府は「一日も早い危険性の除去」と繰り返すが、県民にとってそうはならないのだ。政府の言う公益とは何なのかが問われている。

 改良工事が必要な大浦湾の軟弱地盤については、米軍が1960年代、大浦湾に飛行場建設を検討した際のマスタープラン(基本計画)で存在が指摘されていた。

 防衛省も2007年段階で存在を把握していた。1997年の政府調査でもその存在を示唆する結果が出ていた。

 追加の調査などは行わないまま、埋め立て申請に踏み切った。新基地建設の総事業費は3500億円以上とされていたが、軟弱地盤への対応などが加わり、約9300億円と膨張した。県はさらに増加し、2兆5500億円になると試算する。これだけの経費膨張と軟弱地盤に対する国の不作為は国民的議論の評価を受けていない。事業の正当性を欠いていると言える。

 新基地建設を巡る国と県の訴訟の最終局面である。県は答弁書で、危険性除去を理由に沖縄のためであるとして、県民が反対する基地建設の強制が許されるのかと問い、請求棄却を求めている。司法には納得いく答えを示してもらいたい。この国の地方自治、民主主義の行く末にもかかわる。沖縄だけの問題ではない。

  • 1.⑤A【琉球新報社説】代執行訴訟敗訴 「辺野古唯一」への追随だ

代執行訴訟敗訴 「辺野古唯一」への追随だ

 

 

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-2604977.html

 

公開日時 2023年12月21日 05:00

更新日時 2023年12月21日 10:23

 

社会

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<社説>代執行訴訟敗訴 「辺野古唯一」への追随だ

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 裁判は厳しい結果に終わった。しかし、辺野古新基地建設が普天間の危険性除去、沖縄の米軍基地負担の軽減につながらないことに変わりはない。私たちはこれからも建設計画の非合理性、それを強行する政府の不当性を訴え続けなければならない。

 

 辺野古新基地建設で、斉藤鉄夫国土交通相が玉城デニー知事に代わって大浦湾側の軟弱地盤改良の設計変更申請を承認するために提起した代執行訴訟で、福岡高裁那覇支部は玉城知事に承認するよう命じる判決を下した。

 裁判では、県の不承認対応について(1)法令規定や大臣の処分に対し違反があるか(2)他の方法では是正することは困難か(3)県対応を放置することは公益性を害するか―という地方自治法上の代執行の3要件が争点となった。判決は国の主張を全面的に認めた。

 特に問われたのは承認の公益性、ひいては辺野古新基地建設の公益性であった。裁判で県は普天間問題の「唯一の解決策」として新基地建設を強行し、設計変更申請の承認を求める国による公益性に関する主張に反論してきた。判決は県の不承認について「社会公共の利益を侵害するもの」と断じた。

 この判断は到底受け入れがたい。沖縄から見れば、普天間飛行場の危険性を放置しているのは国である。しかも、工事の長期化によって危険性は継続するのだ。新基地建設の公益性は乏しく、多額の費用を考えれば建設計画の合理性にも欠けている。

 ところが判決は、新基地建設の実現以外には「普天間飛行場の危険性の除去を図り得る方法が見当たらない」と断言した。「辺野古唯一」として新基地建設に固執する国への追随姿勢は明らかだ。

 設計変更申請の承認を県に迫る国交相の勧告や指示、代執行訴訟の提起という一連の手続きは、地方自治に基づく沖縄の意思決定を否定するものでもあった。国が地方に委託する法定受託事務などで対立が起きた場合、国が代執行訴訟を提起し、国の意向に沿う司法判断を得れば、今回のように地方の意思決定を制限することが可能となる。

 地方自治の否定は沖縄だけの問題ではない。そのことを日本本土の国民も重く受け止めるべきだ。

 新基地建設に抵抗する沖縄の闘いの根底にあるのは民主主義と地方自治、そして自己決定権の行使である。

 海上基地の賛否を問う1997年の名護市民投票からきょうで26年である。当時、市民投票を提起した市民の合言葉は「自分たちのことは自分たちで決める」であった。この精神は、その後の選挙や県民投票にも継承され、困難な局面を切り開いてきたのだ。

 理は沖縄にある。一歩も退くことはない。民主主義と地方自治をないがしろにし、基地負担を強いる政府の専横に対する沖縄の異議申し立てはこれからも続く。

 

  • (5)大きく二つの点で、これらアカ新聞社説は誤っている。


 一つには、冒頭にも述べた「戦後平和教育による国家意識の欠如」に起因する(と考えることも出来る)「国家安全保障と地方自治が対立対峙したならば、優先されるのは国家安全保障である」と言う、ある種の「常識」を欠いている点。だから、今次の「県の許認可権を国が代執行できる判決」を、「自治の尊厳が奪われた」とか「自治の侵害だ」とか「地方自治の本旨に反する」などの、実に間抜けで滑稽な批判になってしまう。

 幸いにも今次判決を下した福岡高裁には(多分、戦後平和教育にもかかわらず、)左様な「常識」が(ある程度)あったのだろう。

 そもそも、「司法による判決に基づき、県の権限を、国が代執行する」事を「自治のナントカに反する」とするならば、我が国の法律が、法体制が、「自治のナントカに反する」のである。現存する現行の代執行制度は、「司法による判決に基づき、県の権限を、国が代執行する」事を認めているのだから。
 従って、今回「自治のナントカに反する」と非難すべきなのは、今次の「国の代執行を認めた判決」でも「判決に従い代執行を実施する国」でも無く、「司法の判決に基づけば、国が県の代執行を行える、代執行制度」の筈である。
 逆に、左様な代執行制度があるにも関わらず、司法が常に「国の代執行を認めない判決を出し続ける」ならば、県の権限は恐らく「何者によっても侵されることの無い」絶対的なモノとなろう。何しろ、司法の判決に基づいて行政の長たる国でさえ、代執行出来ないのだから、最早代執行出来そうなのは天ちゃんぐらいになるぞ。それは「地方自治の暴走・独裁」と言うべきでは無いか。
 
 諄い様だが繰り返すぞ。今次国に於ける「国による辺野古工事認可の代執行」を「自治のナントカに反する」と批判非難するならば、その批判対象は「代執行制度そのもの」の筈である(*1)。また、その批判は「地方自治権の絶対不可侵化」と表裏一対であることを明記し明言すべきであろう。

 もう一つの誤りは、「裁判に至り、判決まで出た」と言うことは、「最早、話し合いで解決出来る段階は過ぎている」という、コレもある種「常識」の欠如である(*2)。
 今次裁判は、「裁判としては比較的短期間」だったようではあるが、今回出たのは高裁判決であり、訴訟開始から地裁判決を経て、今次高裁判決までの間、「話し合いで決着しなかった」からこそ、こうなっている。
 で、その裁判に負けた側に阿って「話し合え」って主張は、今出ている判決よりも、県に譲歩しろ。」という主張であり、「今次判決を無視しろ」という「ある種犯罪の勧め」でもあれば、「法治主義の蹂躙」でもある。ああ、「ごね得の勧め」でもあるし、強請タカリの論理でもあるな。チョウセンジンが良く使う手だ。

 以上大きく二つの点で誤っている上掲アカ新聞ども社説であるが、冒頭に述べた「戦後平和教育の成果としての国家意識の欠如」と結びつくのは前者のみである。後者には(直接的には)結びつかない。

 であるならば、上掲列挙したアカ新聞どもの「国による辺野古工事認可の代執行批判」社説群は、「戦後平和教育の性」ばかりには出来ない、と言うことである。
 

  • <注記>
  • (*1) が、上掲アカ新聞社説共は、国を批判するばかりで、判決や裁判所を批判するさえ「弱い」。 
  •  
  • (*2) まあ、今次判決文自身が「話し合いの可能性」に言及しているらしいから、「常識の欠如」はアカ新聞どもに限った話では無さそうだが。 




 

  • 戦時には、軍民共用当たり前。当たり前田のクラッカーー【沖縄タイムス社説】空港・港の軍民両用化 沖縄を何だと思っている


 時折思うのだが、所謂「平和運動家」とか「平和主義者」とか、「平和を主張する人達」ってのは、「戦争という現実/事実/史実を全く知らない/知ろうともしない」らしくて、途轍もなく間抜けな主張/言説を平気で吐いてくれる。

 更には、再三再四「戦争の悲惨さ、非道さ」を声高に訴える癖に、相当に「戦争を、舐めている(*1)。」【強く断言】

 例えば、現在進行形の「戦争」であるロシアのウクライナ侵略やガザ紛争等に対し、女、子ども、民間人が巻き込まれ、殺されている。コレは虐殺だ!って批判非難なんぞも、その事例と出来よう。
 女、子ども、民間人が巻き込まれって表現の背後にあるのは、女、子ども、民間人は、攻撃目標とならない」という前提条件である。だが、戦略爆撃や通商破壊(*2)と言った「戦争のやり方」は、紛れもなく「女、子ども、民間人を、攻撃目標としている。」のであり、それを我が国は大東亜戦争中に散々ッパラ「やられた」のである。

 左様な歴史的事実がある我が国において、女、子ども、民間人は、攻撃目標とならない」事を前提条件とするのは、ある種の希望・願望ではあるかも知れないが、現実ではない。
 米軍がベトナム戦争で「遠慮しながら北爆した」なんてのは、寧ろ例外的な事例である。戦争、とりわけ「総力戦」と呼ばれる「大戦争」は、それだけ冷徹で、残虐で、残酷なのである。
 
 更には、戦争のこともロクに知らず、知ろうともしないまま「平和」を希求し、訴え、実現しようって事からして、図々しくも傲慢な独りよがりであり、自己陶酔でしか無い。そんな「平和運動」「平和活動」では、「絶対に、と言って良いぐらい確実に、平和には資さない」。寧ろ戦争を惹起する公算の方が高いだろう。

 ま、そんな冷静な判断すら出来ないから、「戦争に対して全くの無知蒙昧で、平和運動、平和主義主張」が出来てしまうのだろうが・・・善意に基づいているならば、な。

 原理主義ってのは「傍から見れば気違い」ってのが相場だから、「平和主義は全てに優先する思考の思想」とでも思っていれば、そりゃ気違いにしか見えないのは、道理ではある。
 

  • <注記>
  • (*1) としか、「殆ど産まれながらの右翼」たる私(ZERO)には、思われない。 
  •  
  • (*2) これらに加えて、我が国の様な海洋国家に対する海上封鎖も、同類として良かろう。米軍が大東亜戦争中に機雷バラ撒いて実施した海上封鎖は、いみじくも「飢餓作戦」と銘打たれた。「大日本帝国を、女、子ども、民間人含め、全員飢えさせよう」という作戦意図が、読み取れよう。 


 

  • (1)【沖縄タイムス社説】空港・港の軍民両用化 沖縄を何だと思っている

空港・港の軍民両用化 沖縄を何だと思ってる

沖縄タイムスプラス

2023年12月18日(月)05:00

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 内閣府の説明資料には、民生利用との「デュアルユース」が前提とある。 デュアルユースとは軍民両用という意味だ。

 

 

あえて横文字の言葉を使っているのは、その日本語の使用を避けたかったからに違いない。 政府が進めている「特定重要拠点空港・港湾」の整備事業は、平たく言えば、空港・港湾等の軍民両用化を押し進める計画のことである。 特定重要拠点と位置付ける空港・港湾について、地元自治体の同意を得た上で、自衛隊などの戦闘機や輸送機、輸送艦や護衛艦が使用できるように整備する。 施設管理者との間で「円滑な利用に関する枠組み」を設け、平時・有事を問わず自衛隊や海上保安庁などが使用できる体制を整える。 上川陽子外相は国会で、日米地位協定に基づき米軍も利用が認められる、との見解を明らかにした。 全国9道県32カ所が当面の候補に挙がっているが、主要なターゲットは沖縄だ。

 

 

 県内で対象になっているのは与那国、新石垣、波照間、那覇など7空港と石垣、平良、那覇など5港湾施設。 復帰を前に県と国の間で軍事利用をしないとの覚書が交わされた下地島空港も候補となっている。 自見英子沖縄担当相は国会で「沖縄振興の趣旨に反することにはならない」と答弁した。 果たしてそうだろうか。 沖縄振興本来の目的と相いれないだけでなく、基地の負担軽減にも明らかに逆行する内容だ。■    ■ 空港や港湾は離島県の沖縄にとって、最も重要な生活インフラであり、産業インフラである。

 

 

 地元の要望があれば、沖縄振興特別措置法(沖振法)の趣旨に沿って、地域振興の観点から整備を進める。それが本来の姿である。 「台湾有事」との関連で離島の一部自治体から要望が上がっているシェルター設置についてもそうだ。 台風で島が長期間孤立したり観光客が行き場を失うなどの非常時に備え、庁舎などの地下を利用して災害時避難施設を整備する。 国が優先すべきなのは、そのような離島振興である。 県は、さまざまな疑問が払拭できていないとして「特定重要拠点空港・港湾」整備の来年度予算計上を要望しない考えだ。

 

 

 国の沖縄関係予算に整備費が計上された場合、沖振法に基づく沖縄振興は、大きく変質することになる。■    ■ 4月に宮古島沖で自衛隊ヘリが、11月には屋久島沖で米軍のオスプレイが墜落し、多くの犠牲者を出した。 自衛隊や米軍の民間施設使用が活発になれば、平時の事故の懸念、有事の攻撃対象になる懸念を、同時に抱え込むことになる。 敵基地攻撃能力(反撃能力)を備えた長射程のミサイルが配備されれば、危険性はいっそう高まる。 基地の負担軽減が中身のない空疎なかけ声になってしまうことを、なんとしても防がなければならない。

 

  • (2)「総力戦 Total War」って言葉も、知らないのだろうな。

 それどころか、軍民共用で無い民間の施設ならば、攻撃も占領もされない」ぐらいに思っていそうだ。全く、「丸腰の者は撃たれない。」とか主張していたJos某並みの気違いぶりだな。

 港湾も空港も、重要なインフラであり、軍事的な価値も高い。港湾は潜在的な海軍基地であるし、空港は潜在的な航空基地だ。コレは冷厳たる事実であり、敵味方を問わない。
 
 であるならば、戦時という国家の非常時に、「空港、港湾の軍民共用化」は理の当然であり、常識の範囲であり、欠伸も出ないぐらいに当たり前の話。

 而して、戦時に備え、少なくとも一朝有事の際に速やかに軍民共用出来得る様に準備しておくのは、国防の一環であり国家安全保障の一部である。

 そんなことも「知らない」としたら、報道機関としての沖縄タイムスの知的怠慢である。
 
 「知っている」のに斯様な社説を主張するのは、立派な利敵行為であり、我が軍による「軍民共用化」を阻止することで敵軍による占領と利用を促す利敵行為であり、外患誘致の可能性すらあろう。

 まあ、沖縄二紙はじめとするアカ新聞どもは、「中国共産党の日本侵略のお先棒担ぎであり、尖兵」と考えて置いた方が「安全側である」とは、かねてから弊ブログの主張するところだがな。
 

  • Red Baron 映画「レッドバロン」イメージソング(多分)

 

 

 

 

 

 CGに依る第1次大戦機(って事は、基本的に木製枠組み羽布張り構造の複葉機及び三葉機(*1)>)の再現と空中戦が美事な(イヤ、人間ドラマの厚みも、忘れてはいけないんだが。映画「レッドバロン」の紹介は既に記事にしたが、下掲するのはそのイメージソング(映画では使われていないと思うから、サントラではない。)の歌詞とその日本語訳である。曲の方は、典型的なロックで、多分「ヘヴィメタ」とか言う奴なのだろう。

 歌詞の方は、映画の主人公でもあるマンフレート・フォン・リヒトホーフェンへの賛歌となっている。そりゃまあ、映画「レッドバロン」のイメージソングとなれば、そうなるわな。
 

  • <注記>
  • (*1) 無論、例外もあって、単葉機もあれば、木製モノコック構造もある。鋼管骨組み羽布張り構造は相応に数があるし、極少数ながら金属構造も、あるには、ある。 


 

  • (1)Red Baron(日本語訳付き)

Man and machine and nothing there between them.
A flying circus and a man from Prussia.
プロイセンから来た飛行曲技団。正に人機一体

The sky and a plane, this man commands his domain, 
the western font and all the way to Russia,
その男、その愛機と空を制し、国土、西部戦線を支配し、ロシアに至る。
Death from above, you're under fire.
死は天空より下り、汝銃火に包まれん。

Stained red as blood, he's roaming higer.
血の如き赤をまといて、その者、より高きを駆け巡る

born a soldier from the horseback to the skies
That's where the legend will arise,
馬上より天空に生まれ変わりし兵士。此処に伝説は始まらん。

and he's flying higher, the king of the sky,
その者、より高く飛び、天空の王となる、

he's flying too fast and he's flying too high.
彼の飛行、余りに速く、余りに高く。

Heigher, an eye for an eye 
より高く飛べ! 目と目合わせて。 /指呼の間/見敵必殺(*1)

the legend never die
この伝説は不滅なり。

first to the scene he is a lethal machine
It's Bloody April and the tide is turning
人間兵器のデビューは、転機となった「血の4月」。

fire at will it is the thrill of the kill
意志を込めた銃火は、殺害の決意。

four in the day shot down with engines burning
embrace the fame, red squadron leader
call out his name Rote Kampfflieger
敵4機を一日で撃墜してエンジン発火させ、
深紅の編隊長は「赤き戦闘機」と呼ばれた。

in the game to win, a gamnbler rolls the dice
80 allies paid the price.
勝敗を賭けてギャンブラーは賽を振り、80人の連合軍パイロットは賭けの代価を支払った

and he's flying
 higher, the king of the sky,
その者、より高く飛び、天空の王となる、

he's flying too fast and he's flying too high.
彼の飛行、余りに速く、余りに高く。

Heigher, an eye foe an eye 
より高く飛べ!見敵必殺。

the legend never die
伝説は不滅なり。

Higher!
より高く!

higher, the king of the sky,
その者、より高く飛び、天空の王となる。

he's flying too fast and he's flying too high.
彼の飛行、余りに速く、余りに高く。

He's flying heigher, an eye foe an eye 
より高く飛べ! 見敵必殺。

the legend never die
伝説は不滅なり。

Higher!
より高く!

born a soldier from the horseback to the skies
That's where the legend will arise,
馬上より天空に生まれ変わりし兵士。此処に伝説は始まらん。

Higher!
より高く!

higher, the king of the sky,
he's flying too fast and he's flying too high.
He's flying heigher, an eye foe an eye 
the legend never die
その者、より高く飛び、天空の王となる。
彼の飛行、余りに速く、余りに高く。
より高く飛べ! 見敵必殺。
伝説は不滅なり。


higher, the king of the sky,
he's flying too fast and he's flying too high.
He's flying heigher, an eye foe an eye 
the legend never die
その者、より高く飛び、天空の王となる。
彼の飛行、余りに速く、余りに高く。
より高く飛べ! 見敵必殺。
伝説は不滅なり。

  • <注記>
  • (*1) 意訳が過ぎる、かなぁ。