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 何はともあれ、正月である。日本の正月ではどうしたって不景気な話、不吉な話、悲観的な話、悲惨な話は嫌われる。当ブログは現政権や反捕鯨や「脱原発」等に対する批判非難に満ち溢れているし、昨今の国際情勢を考えれ、我が国の来し方行く末を考えれば、安穏としては居られないのだが、それでも正月となると何か「良い話」を聞きたくなる、書きたくなるのが人情というものだ。

今年の干支は「辰」である。、或いは、英語で言えばDragonであるが、架空の動物にして空を飛ぶと言うのは洋の東西を問わない。
どうも、東洋では神聖な動物/霊獣で、西洋では邪悪な動物/怪物であるようだし、西洋のDragonは盛大な翼を持って羽ばたくが、東洋の龍/竜は翼なんぞ無くても雲に乗るだか風に乗るだかして天高くまで飛んでしまうなどの相違点があるようだが「空を飛ぶもの」だから、飛行機の名前に使われる事がままあるのもまた、洋の東西を問わない。

三菱 四式重爆撃機 飛竜

 
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 我が帝国陸軍(※1)は、爆撃機の名前に「竜」を付けていた。百式重爆撃機は「呑竜」であるし、章題にしたように四式重爆撃機は「飛竜」と名付けられた。それ以前の九七式重爆撃機や九九式双発軽爆撃機にはそんな「ポピュラーネーム」はないから、「爆撃機はナンとか竜」になったのは、百式=皇紀2600年制式=西暦1940年以降なのだろう。
「飛竜」は「四式」であるから、正式採用は皇紀2604年=西暦1944年。大東亜戦争も大分我が方日に日に不利となり、欧州では6月にノルマンディー上陸作戦が成功して、米英軍による大陸反攻が始まった年。イギリスのモントゴメリー将軍とアメリカのアイゼンハワー欧州派遣軍司令官が「クリスマスまでにこの戦争が終わるか否か」で賭をした年だ。それぐらい、連合軍に有利、枢軸軍に不利になっていた年だ。
重爆撃機と言い条、当時の我が重爆撃機は爆弾搭載量で1トンほどの双発機(※2)。当然ながらレシプロエンジンで、我が国だから空冷エンジンだ。・離昇出力1900馬力のハ-104エンジン双発を両翼前縁に備えて中翼配置の「飛竜」は、最大速度537km/h 航続距離2800kmを誇り、「大日本帝国陸軍最良の爆撃機」とも謳われる(※3)。
 操縦性の良さも我が国爆撃機の特徴の一つだが、本機は双発の「重爆撃機」に関わらず急降下爆撃が可能であり(※4)、爆装しなければ宙返りも出来たという。発展型として75mm砲を搭載した防空戦闘機なんてのが作られたのは、襲来するB-29の恐るべき頑丈さもさることながら、飛竜の運動性も買われたが故だろう。
さらには、魚雷搭載可能で、雷撃機としても運用できたのが本機の最大の特徴であろう。大東亜戦争当時の我が国にには、陸上を基地として雷撃=対艦攻撃を主任務とする陸上攻撃機(略称・陸攻)を海軍が擁して居た。開戦劈頭、真珠湾に続くマレー沖海戦で、英国東洋艦隊の主柱とも言うべきプリンス・オブ・ウェールズ並びにレパルスの二戦艦を「史上初の洋上行動中の戦艦が航空機に撃沈された事例」として屠り、その主柱をへし折ったのは、この海軍陸攻隊である。「その海軍の陸攻思想が陸軍に伝わった」とも言えないことはなさそうだが・・・実際の処は大東亜戦争(太平洋戦争)の実態が、島嶼争奪の陸上戦と、海洋支配のための制空権争いであり、なおか我につ戦況不利であることから、陸軍としても爆撃機の構想を変えねばならなかったのだろう。実際、飛竜の戦績の多くは雷撃であって、爆撃ではない。
 言い換えれば、四式重爆撃機・飛竜は、帝国陸軍が初めて配備した雷撃可能な爆撃機であり、帝国陸海軍共同作戦の象徴と言える。
その故もあって、「四式」昭和19年正式採用という遅さが惜しまれる機体である(※5)。

 

<注釈>

(※1) 大日本帝国は、日本と同様我が国である。僅か70年ばかり時間を遡っただけだ。故に帝国陸海軍は、三自衛隊と同様に、我が軍である。 
 
(※2) 爆弾搭載量の少なさは、当時の我が国爆撃機の一つの特徴である。理由は、恐らく大馬力のエンジンを開発できなかったことと、四発機以上の大型航空機に対する意識不足、それに先述爆撃と対艦攻撃に特化した爆撃・攻撃思想であろう。
米英の様な対日戦・対独戦としての戦略爆撃と言う思想は、我が国の選択肢としては確かに非現実的だったから、この爆撃・攻撃思想は、そう的を外したものでもないのだが。
 
(※3) 「帝国陸軍最良」なのは、まともに配備した最後・最新の爆撃機だから、でもあるのだが。
複葉羽布張りの先輩に評判で負けてしまうような全勤続単葉機もあるから、必ずしも、最新が最良ではない。 
 
(※4) そりゃま、世の中には四発機だけれど、双子エンジンだから、実質双発機だろうと四発の重爆撃機He177に急降下爆撃を強要する方もいらっしゃるのだが。 
 
(※5) ああ、帝国陸海軍機の「お約束」ではあるが 
 

SAAB J35ドラケン 超音速戦闘機

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 スゥエーデンは古くから中立政策で知られる北欧の工業国。「中立国だから平和国家だなぁんて思い込むのは浅はかというものだ。当たり前だが中立国が中立を保持するには「非武装平和国家宣言」なんて出しても屁のツッパリにもならないのは明らかだから、「中立を保証するに足る確固たる武力が不可欠」であり、それがない、言葉だけの「中立宣言」なんざ、それこそ「犯して下さい」と言っているようなものだ。実際、ベルギーは第一次大戦でドイツのシュリフェーンプランに従い「パリの通り道」として蹂躙されている。
スゥエーデンは第2次世界大戦下でも中立政策をとった。中立とは「誰とでも仲良くお友達になれる」政策ではない「誰からも敵と見なされ兼ねない。少なくとも、味方として扱って貰えない」政策である(※1)。従って、第2次大戦中、スゥエーデンはその兵器装備を外国から輸入することを、厳しく制約された。その中立政策故に、世界大戦遂行中の連合国もスゥエーデンに兵器を売ってくれなくなったのだ。
戦闘機は錆びている方が良い」なんて馬鹿なことを考えないスゥエーデンは、ボフォース砲等の火砲は戦前から国産していて輸出もしていた(※2)から、中立政策故の「武器禁輸」にも対応できた。問題は当時の最先端兵器・航空機、なかんずく戦闘機である。
スゥエーデンは、中立政策を貫くために戦闘機の国産化を決断し、これに成功した。以来、現在に至るまでスゥエーデンは戦闘機を独自に開発し、輸出にも努めている。国情に合わせた特異な装備もあるのだが、同時に開発コストは極めて厳しい。何しろ工業国とは言え、人口10000万人ほど(※3)の国だから、独自開発の戦闘機とは言え、エンジンやミサイルなどはライセンス生産で済ましている。エンジンは兎も角、ミサイルの多くを国産独自開発としながら、戦闘機は「支援戦闘機」を辛うじて国産ないし国際共同開発して済ましている我が国との対比は、仲々興味深い。 (※4)
 
そのスゥエーデンが独自に開発した超音速戦闘機第1世代が、「J35ドラケン」である。本記事のタイトルからお察しだろうが、「ドラケン」とはスゥエーデン語で「竜」のことに他ならない。「J35ドラケン」を訳せば、「三五式竜型戦闘機と言うことになろう。

J35ドラケンの外見上最大の特徴は、「無尾翼ダブルデルタ翼機」であること。デルタ翼は超音速での抵抗を小さく抑えられる為、戦闘機には好まれる翼型だが、低速での揚力特性が宜しくないため、離発着時に迎角が大きくなったり、離発着距離が長くなったりする。その低速での欠点を補うのがダブルデルタ翼。内翼に当たる部分が鋭く前方に突き出し、その前端がジェットエンジンの空気取入口になっている独特の形状は、垂直尾翼こそあるものの、全翼機の様にさえ見える。この内翼部分が低速時に揚力を稼いで、単純デルタ翼の欠点を補ってくれる。国土が広大とは言えず、有事の際には高速道路から作戦する事を想定しているスゥエーデンの戦闘機にはある程度の短距離離着陸能力が不可欠であり、それは、戦後最初の超音速戦闘機であっても例外ではなかったのだ。

そのためのダブルデルタ翼。後のF/A-18等に見られる翼前縁延長LEXの先駆けとも言えるその形態は、今でも古さを感じさせない。
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<注釈>

(※1) 通常、中立は、重武装でしか保証されない。  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/15956392.html  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/15954344.html 
 
(※2) ボフォース40mm機関砲は、第2次大戦から大戦中にかけての世界的ベストセラー機関砲であり、特に、米海軍艦艇の濃密な対空咬砲火を形成した。つまり我が国にとっては「恨み重なるボフォース40mm砲」と言える。尤も、米軍艦艇の40mm機関砲は、米国のライセンス生産であるが。
 
(※3) なおかつ徴兵制を敷いているから、兵役に付いている期間分労働人口が減る。何しろ「48時間で60万人を動員できる」と言う、人口比率からすると実に恐るべき高度な動員体制を誇っている。そりゃ、迂闊に手は出せんわなぁ。
 
(※4) 本邦誘導弾事情-我が国装備ミサイルの生産開発について  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35103136.html