• 龍と呼ばれた兵器-空母「蒼龍」「飛龍」「雲龍」、戦闘機He162ザラマンダー、「そうりゅう」級潜水艦、

 遅ればせながら、令和6年・西暦2024年・皇紀2684年、明けましておめでとうございます。

 年明け早々に「干支に因んだ兵器」で記事を書くってのも、既に一巡りしてしまっているのだが、12年前に取り上げたのが「大日本帝国陸軍爆撃機・飛龍/呑龍」と「SAAB J35ドラケン(*1)」だったが、何しろ、龍である。東洋では主として神獣か神であり、西洋では・・・まあ、モンスター扱いであることが多いな。それ相応の威厳が在るモノだから、「兵器の名前」とは相性も良さそうで、「龍と呼ばれた兵器」には相応に事例がある。お陰で12年ぶりの本記事も書ける、と言う訳だ。

龍と呼ばれた飛行機達 | 日出づる処の御国を護り、外国までも率いん心 (ameblo.jp)

  • <注記>
  • (*1) スウエーデン語で「龍」だと思ったのだが、どうも違うらしい、と、最近知った。「凧」なんだとか。
  •  まあ、「凧」だとすると、「扁平な機首両側のインテークから主翼につながるダブルデルタ翼形状」のJ35は、「確かに凧っぽい」のであるが。 


 

  • (1)大日本帝国海軍空母 飛龍・蒼龍

 

 

 

 

 「空母」という艦種は、今米国が保有する「スーパーキャリアー」原子力空母として「ほぼ完成の域に達した」と見ることが出来そうだが(*1)、そこに至るまでの主として大戦間期の紆余曲折右往左往は、(後から思えば)トンデモナイものであった。


 その一例として、英国空母Furiousを挙げよう。第二次大戦にも(一応)参戦したこの空母は、元は第一次大戦中に建造された「秘密巡洋艦」で、当時世界最大(後に、大和級にだけ追いつかれる)の18インチ砲単装二基の砲塔を有する軽巡洋艦って「変態兵器」だった。
 そんな「変態兵器」故に「ダメ元で改造しちまえ」となったモノか、空母に改造される、事になったのだが・・・・何故か、「先ず前部主砲塔だけ外して、前部甲板だけ飛行甲板にした」。
 この「前半だけ空母」でも艦首を風上に向けて航走し、艦載機を発艦させる分には良かったのだが、問題は着艦だった。「秘密巡洋艦」時代の上構である、艦橋や煙突や後部主砲塔はそのまま残されていたモノだから、航空機は「Furiousに平行に追い越す様に飛行し、艦橋を通過した所でサイドスリップ(横滑り)で前部の飛行甲板に着艦する」って、「曲芸飛行じみた」と言うよりは「曲芸飛行そのもののの着艦」を余儀なくされた。
 流石のイギリス人も、この「曲芸飛行着艦」ではマズいと思ったか、後に後部飛行甲板を設置した・・・後部主砲塔だけ外して。
 発艦用の前部飛行甲板と着艦用の後部飛行甲板の間には、艦橋と煙突が屹立しており、着艦した艦載機は艦橋&煙突の側面の通路を通って前部飛行甲板に行くことで、漸く「再発艦」出来る様になる・・・無論、着艦の際に後部甲板前方に屹立する艦橋&煙突の後流に翻弄されるなどして着艦失敗したり煙突に激突したりしなければ、だが。
 最終的には、艦体の中央に屹立していた艦橋と煙突は撤去され、漸く全通甲板の「空母らしい形」にFuriousはなった。第二次大戦が勃発したのはその後だから、「間に合った」と言えば、「間に合った」事になろう。
 奥歯に物が挟まった様な表現になるのは、何しろ第二次大戦の英国の空母ときたら、搭載機の短い航続距離と少ない搭載数の為に、「イタリアのタラント軍港夜襲(*2)」以外に目立った戦績を挙げていないからだ。


 とは言え、空母Furiousの「迷走」は、「空母=航空母艦」という新艦種の「産みの苦しみ」でもある。一艦でここまで「迷走」した例は、流石に他に類を見ないが、我が国だって「空母の煙突」について、「左右両舷に振り分けて起倒式にする」とか「舷側に大きく突き出して下向きにする」とか、「甲板上の上部構造物(=艦橋)と一体化する」とか、種々試行錯誤している。


 その試行錯誤の中で、「中型空母(大凡、排水量二万トン程度)の一つの答え」に辿り着いたのが、正規空母・飛龍&蒼龍である。因みに、蒼龍の方が若干「先輩」だが、「艦橋の位置が異なる(蒼龍は右舷。飛龍は左舷。で、「正しい」のは右舷だった様だ(*3)。)」などの差違は在るモノの、準同型艦と言い得る。前中後と三基のエレベータと、右舷に横向きに突き出した煙突。小型にまとまった艦橋(アイランド)を艦体中央より前方寄りにした配置は、後の瑞鶴・翔鶴にも受け継がれ、エレベータ基数以外は更に「雲龍」級にも引き継がれて、「日本空母の一つの潮流」を形作っている。

 言い替えるならば、大東亜戦争に於ける「日本軍正規空母」のフォーマットを確立したのが、飛龍&蒼龍であった。と、言えそうである。

 飛龍&蒼龍が計画されたのは、大戦間期の海軍軍縮条約時代。所謂「海軍休日 Naval Holiday」という奴だ。各国、就中三大海軍国たる英米日は、海軍軍縮条約の制約下で(*4)如何に効率良く強い軍艦及び艦隊を整備するかに心を砕いていた。
 飛龍&蒼龍は、我が国に条約上許容された「空母の総排水量の残り、二万七千t」を2隻の空母に割り振る事として、計画された。つまりは各艦1万3千5百tと言うことであり、コレは先行する「戦艦を改修した加賀」や「巡洋戦艦を改修した赤城」という二大大型空母の半分で正規空母を建造しようという、結構「野心的な計画」である。
 更に言うならば、赤城&加賀以前の鳳翔など1万tに満たない小型空母の戦訓もあれば、当時既に始まっていた艦載機の大型化重量化傾向(*5)もあり、「空母の大型化」傾向は既に現れていた。
 その為、蒼龍建造中に海軍軍縮条約が期限切れとなった後、元々同型艦とされていた飛龍は設計変更され、若干だが排水量を増やしている。

 いずれにせよ、海軍軍縮条約という制限下で「制限一杯」を目指して建造された蒼龍と、「条約明け」を利用して若干増量した飛龍とは、「日本軍中型正規空母」というコンセプトを確立し、大東亜戦争劈頭の真珠湾攻撃はじめとする「破竹の進撃たる初戦の活躍」を見せたのである。
 
 然る後に、ミッドウエイ海戦にて、両艦とも先輩たる赤城、加賀共々戦没した。合掌。

  • <注記>
  • (*1) 「疑義の余地がある」事は認める。何しろ「スーパーキャリア」と呼べる原子力空母は、米国しか開発設計製造していない。(未だ)。
  •  「原子力空母」ならば、フランスの「シャルル・ド・ゴール」があるが、1隻だけだし、妙に小さいし、あれこれ不具合はあるそうだし、「完成の域」とは言い得まい。 
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  • (*2) コレは、一艦の搭載機22機を全て雷撃機として、護衛無しに夜間に攻撃することで成立した作戦である。
  •  オマケに、その「22機の雷撃機」というのが、複葉羽布張りレシプロ単発機の、スォードフィッシュである。 
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  • (*3) 回転するプロペラのトルクで、特に単発プロペラ機は「左に流れやすい」特性があり、「左舷にある艦橋」は発着艦の際に「右舷にあるより邪魔になる」らしい。レシプロ艦載機の大半は、単発機だから、コレは重要だ。 
  •  
  • (*4) 勿論、「あわよくば、その制約を掻い潜って」と考えて居たことは、言うまでも無かろう。国際情勢とは、そう言うモノだ。 
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  • (*5) 複葉羽布張り機から単葉全金属機への発展も、もっと後の時代になるがジェット化、更には戦闘機の超音速機化も、艦載機は大凡単調増加的に大型化・重量化傾向にあった。 
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  • (2)大日本帝国海軍空母 雲龍

 

 

 

 

 

 もう随分前になるが、私(ZERO)の母が英会話を習っていたとき、その英会話教室で配られたプリントってのを見せてくれた。日本語というのは、深く自然に根差した言語だから、その軍艦名が詩的であるのも、当然だ。なぁんて「エモーショナル」な書き出し(英文)で、帝国海軍具艦の艦名を列挙し、簡単な説明を加えていた。
 その中にUnryu :Mistic cloud with dragon(雲龍 龍と共に湧く神秘的な雲)」と説明されており、「雲龍」の(「龍」ではなく)「雲」の方が主体・焦点とされていた。「雲龍の実体は、”雲”か?”龍”か?」と言うのには疑義の余地はあろうが、この「Mistic cloud with dragon」という「雲龍の艦名の説明」が、簡明であり、美事と言っても良いぐらい、と感じるのは、私(ZERO)だけではあるまい。
 私(ZERO)なら、「Flying cloud and Dragon」とかナントカ、「より簡単」ではあるかも知れないが「詩的とは言いがたい」説明になっただろう。
 つまりは、この「母の英会話教室の先生」は、私(ZERO)よりも詩的
・詩人である事は間違いなく、私(ZERO)よりも「日本文化を深く理解している」可能性さえ、否定し難いモノがある。

 閑話休題(それは、さておき。)

 帝国海軍空母「雲龍」は、大東亜戦争下に我が国が量産を目指した正規空母である。

 当たり前のことだが、戦争というのは一大消耗・消費である。たとえ勝ち戦でも、完全なる勝利でも、燃料弾薬の消費消耗は免れない。コレが負け戦ともなると、撃破撃沈撃墜されたり、戦場放棄されたり死傷したり捕虜になったりするので、兵器や兵員の損耗・消費は激しくなる。大東亜戦争開戦劈頭では質・量とも米軍を圧倒した空母と空母を中心とした機動部隊も、ミッドウエイの大敗をはじめとして搭乗員、パイロット含めて相当な消費消耗を強いられた。
 かてて加えて、第1次大戦当時でさえ「ドイツにとって無慈悲なまでの工業力」と言われ、大東亜戦争終結時には「全世界のGNPの半分を占めた」とまで言われる米国は、真珠湾攻撃直後の「勝利のための計画」で、航空機も空母も(序でに戦艦も)一大増産を指示し、更にはコレを実施・実現した。大東亜戦争中に米国が建造した正規空母は「月刊空母」エセックス級だけで戦争中に17隻を数え、軽空母(*1)89隻数えた(*2)。

 我が国も「空母を量産」することが求められ、期待されるのも、理の当然であろう。その期待を、「一身に担った」と言って良いのが、「雲龍」級空母である。
 空母としての完成が急がれたために、既存の飛龍(前述)の改修型とされ、飛龍級では三基あった航空機エレベータを二基に減らす(その代わり、寸法は大きくして大型機にも対処可能とした。)などの簡略化と改修も加えられた雲龍級だが、それでも一番艦「雲龍」の竣工(艦艇の製造物としての完成)は昭和19年・1944年の8月、終戦=敗戦の1年前だった。 


 空母に限らないが、軍艦というモノは、竣工=「製造物として完成」しただけで使えるモノでは無い。完成した艦の乗員は「艤装員」として竣工前から軍艦に乗り込み、公試(軍艦の「完成検査」にあたる、性能確認試験)等を通じて慣熟訓練を行い、操艦等へ馴れる様にするモノだが、それでも竣工から軍艦として就役するまでに、平時ならば1年ほどかけるのが普通だ。
 況んや「雲龍」は空母であり、操艦等の「艦の操作に馴れる」必要(それは、どの軍艦にも共通する)に加えて、搭載機の搭乗員が発着艦等に馴れる事も必要(コレは、空母特有である。)なのである。
 だが・・・昭和19年も8月に竣工した「雲龍」も、それに続いた同型艦の「天城」「葛城」も、「発着艦に馴れる」どころか「定数一杯の艦載機(と艦載機搭乗員)」すら搭載されることは無かった。既にに戦況は日に日に我が方に不利となり、艦載機も艦載機搭乗員も、根源的に不足しており、新造空母に配備配属する航空機と航空機搭乗員がなかったため、である。何しろ、既存の空母でさえ「実戦に投入できるレベルの艦載機(と艦載機搭乗員(*3))の不足」で出撃できない、って事態まで出来したのだ。
 一番艦(にして、唯一の「龍」名前)である「雲龍」に至っては、「発艦したのは、流星のロケット補助発艦実験の時だけ」とさえ言われており、「着艦した実績が無い」まま、昭和19年12月に米潜の魚雷を受けて戦没している。竣工から沈没まで実に半年も無く、この間に兵員や航空機の輸送に従事するぐらいで、空母としての戦績は全く無かった。

 言い替えるならば、残酷な話であるが、空母「雲龍」は、竣工はしたが、空母として就役すること無く、撃沈され、その生涯を閉じたのである。(正月早々、気の滅入る話で恐縮だが。)

 戦後まで生き残った三番艦「葛城」が、大東亜戦争敗戦後に、太平洋全域に散っていた帝国陸海軍将兵の復員・引き揚げに「活躍」したのが、せめてもであろう。

 「雲龍」級空母の不運・悲運は、我が国の大東亜戦争に対する準備不足に起因する所が大半である様に、私(ZERO)には思われる。
 また、コレは同時に、「仮に我が国が効率的に空母を量産し、史実・事実の「雲龍級」以上の数の空母を大東亜戦争中に建造できた」としても、「その空母に載せる艦載機と艦載機搭乗員の不足」は、変わらないであろう、と言うことでもある。

 Parabellum「戦争に備えよ」。
 ラテン語にして、古代ローマ以来言われている(であろう)この標語は、「雲龍級の悲運の教訓」でもある、と言うことになるだろう。
 

  • <注記>
  • (*1) と言っても、カタパルトの採用などもあって、我が方の正規空母をも一部では凌駕する搭載機数なのだが。 
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  • (*2) 加えるに、「改型合わせて200隻になるガトー級潜水艦」があり、「余りに数が多くて何隻作ったのか誰にも判らないリバティ級輸送船」がある。事の序でにアイオワ級戦艦4隻もある。
  •  げに恐るべきは、米国の工業力である。
  •  だが、同時に、これだけの空母増産に見合うだけの航空機を量産し、そればかりかその航空機に搭乗するパイロットはじめとする搭乗員を養成した事に、注目すべきだろう。 
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  • (*3) で、「実戦に投入できるレベルの搭乗員」が「マリアナの七面鳥撃ち」である。【慟哭】 

 

  • (3)ハインケルHe162ザラマンダー(火龍)/フォルクス・イェーガー(国民戦闘機)

 

 

 ハインケルって会社は「ナチス政権下で不遇を託った会社」とも言われている。一説によると「社長のハインケル氏の鼻がユダヤ人に似ていたから」とか、「ライバルであるメッサーシュミット社の社長がナチ党と親しい関係にあったから」とか、まことしやかに伝わる。
 その「ハインケル社の不遇」の一つ数えられるのが、「ジェット機の実現・実用化にはハインケル社が先鞭を付けたのに、人類初の(当然ドイツ初の)ジェット戦闘機はメッサーシュミットMe262に奪われた。」というのがある。事実、人類初のジェット機として飛行したのは、ハインケル社のHe178だが、He178は実験機に止まり、人類初のジェット実用機は、先述のメッサーシュミットMe262である。ハインケル社のHe280は、Me262に敗れて、制式採用されなかった。
 それでも、ハインケル社としてはジェット戦闘機の構想を練り、設計も試験も社内的に進めていたそうだ・・・って、簡単に言うが、戦時下(それも、結構な負け戦)の軍用機メーカーが「社内研究で戦闘機の開発を進めていた」と言うことであり、下手すると(本業を疎かにしたという意味で)「サボタージュ」とか「国家反逆罪」とかに問われかねない重大事である。「ある程度のナチ政府の黙認」は「あった」と考えるべきであろう。それは、先述の「ハインケル社不遇説」とは、「相反する」とまでは言わぬが「齟齬を来している」様には思う。


 それは兎も角、最新兵器として期待されたジェット戦闘機の量産が上手く行かず、益々敗色濃厚となってくると、ドイツ=ナチ政権は「より簡素な、だが高性能なジェット軽戦闘機を大量生産しよう」という「フォルクス・イエーガー(国民戦闘機)」計画が立ちあげた。双発のMe262に対し単発として簡素化して高い量産性を持たせ、序でに操縦を容易にしてレシプロ練習機どころかグライダー操縦経験程度のパイロットでも空戦出来る戦闘機があれば、連合軍に奪われた制空権も奪還出来る!っていう、誠に虫の良い計画である。「フォルクス・イエーガー(国民戦闘機)」って計画名には誰でも戦闘機パイロットって含意も込められていそうだ。
 その「フォルクス・イエーガー」計画に応じた数社のウチ、採用されたのが、ハインケル社のHe162だった。ジェットエンジン1基を胴体背面に背負う様にして装備し、その排気を避けるために垂直尾翼は2枚とされて水平尾翼の翼端に着く、なかなか特徴的な外形だ。量産性を求められたので全体的に小型だし、貴重なアルミ材なんかは極力使わず、機体構造の相当部分を木製合板としたのも特徴だ。武装は20mmまたは30mm機関砲を機首に2門装備。それに、第2次大戦中は3機種しかない射出座席装備機でもある(*1)。


 「ザラマンダー(火龍)」と言うのは、ハインケル社が付けた社内コードネーム、だそうな。制式名称は、計画名でもある「フォルクス・イェーガー(国民戦闘機)」だが、何しろ大急ぎで開発された(*2)とは言え、量産開始が1945年1月。ドイツ降伏が1945年5月7日で、3月にはドイツ本土での地上戦が始まっている。終戦までに実戦配備されたのが約120機で、工場では200機以上が完成状態にあったと言うから、「量産性が高かった」のは事実な様だ。
 だが、初期ジェットエンジンの単発と言うこともあり、操縦性や安定性、更には安全性(例えば、木製合板の接着剤は、試験飛行段階で何度も問題を起こしている。)の点で問題や疑義があり、「誰でも戦闘機パイロット」とは、とても言えそうになかった。

 だが、それは、余りに虫の良すぎる「フォルクス・イエーガー(国民戦闘機)」計画の目標故。

 「生産性の高い簡素且つ高性能なジェット単発戦闘機」という目標は、相当程度に達成したのがHe162ザラマンダーであり、ハインケル社の社内コードネーム「ザラマンダー」としては、相当な成功を収めた、と言えるのでは無かろうか。それは、「敗戦までの4カ月ほどの間に、300機以上を完成させ、約120機を実戦配備した」その実績が、物語っていよう。
 

  • <注記>
  • (*1) 残りの2機種は、同じハインケル社の夜間戦闘機He219 ウーフと、ドルニエ社の試作戦闘機Do335。 
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  • (*2) 先行してハインケル社の社内検討があったとは言え。 
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  • (4)海上自衛隊・潜水艦「そうりゅう」級

 

 

 

 海上自衛隊の潜水艦は、海自発足以来「くろしお」を皮切りに「○○しお」ばかりだったのである。とは言え、海保の「ひめぎく」級の様な「××かぜ」が百隻どころか二百隻に迫ろうとしているのに対し、「○○しお」は百にも至らぬ前に「ネタ切れ」となったらしく、二代目(以降の)「○○しお」を襲名する艦が続出した。帝国海軍の潜水艦は、大きさで「イ」「ロ」「ハ」と等級分けをして番号を付けたから、「帝国海軍由来の艦名を襲名」する訳にも行かなかった。
 その「○○しお」を破ったのが、海自潜水艦「そうりゅう」級である。従来とは異なる命名法としたのは、恐らくは、AIP(空気独立推進)機関を補助推進力として、水中での航行時間を延長するという「画期的な潜水艦」だったからだろう。従来従前通りの「ディーゼル機関+鉛蓄電池」と言う「典型的な通常動力潜水艦」として、第1次大戦以来のオーソドックスな機関に加えて、スターリングエンジンと言うAIP機関(*1)を搭載し、浮上ないしシュノーケル航行(*2)せずに航行出来る距離・時間を延長した潜水艦である。
 但し、主として延長できるのは「時間」である。AIP機関の推進力は多寡が知れており、AIP機関のみによる速度は数ノットとされる。

 「そうりゅう」級のもう一つの特徴は、その艦尾にある舵である。大凡潜水艦の艦体が「涙滴型」となって以来、潜水艦の艦尾には「十文字配置の4枚舵」があり、コレとは別に一対の「潜舵」として艦首なりセイル(艦体から突き出している「艦橋」に当たる部分で、潜望鏡やシュノーケルやアンテナマストなどは、セイル上面に在るのが普通だ。)なりに装備するのが「現代潜水艦」であり、我らが海自潜水艦もこの型式を踏襲していた。(お陰で、潜水艦ってのは「特に艦種識別が難しい艦種」なのだが。浮上航行していても、艦体の半分も見えないし。)
 だが、「そうりゅう」級は艦尾の4枚舵を「X字配置」にした。理由は「運動性の向上」とされる。要は「横方向に加速度を出す”旋回”時に、十文字配置だと水平方向の舵2枚が無駄になる。」ってことで、「X字配置なら、4枚舵全てを使って横方向加速=”旋回”出来る」と言うこと。有効に使える舵は二倍になるが、45°傾いているからトータルで舵が出せる力は√2倍=約1.4倍になる。無論、コレは、「4枚舵で稼げる力が約1.4倍」であって、「横方向加速度=旋回G」が「約1.4倍になる」訳では無いことには注意が必要だが、「運動性が良くなる」事は間違いないだろう(他の条件が同一ないし同等ならば。)。


 付随的なメリットとして、「海底着底時に舵の損傷を回避できる」ってのもあるそうだが、コレは海底の様相にも依るだろうから、「メリットとなる、可能性がある」程度だろう。第一、「潜水艦が海底に着底」ってのは、非常手段(若しくは事故)に近いのでは無かろうか・・・潜水艦映画には時折あるが(*3)。
 
 「海自の画期的潜水艦」として「龍の名」を冠し「そうりゅう」と名付けられた一番艦は、無論、大日本帝国海軍・正規空母「蒼龍」(前述)の名を受け継いだものであり、それに続く同級潜水艦は全て「○○りゅう」と名付けられた(*4)。因みに「蒼龍」の名が示す様に、「○○龍」とか「龍○○」ってのは、帝国海軍では空母の名前である。
 って事は、「近い将来、海上自衛艦”ひりゅう”が実現する!」って「淡い期待」が持たれた、のだが・・・「そうりゅう」級に続く海自潜水艦は「たいげい(*5)」型と命名され、同型艦は「○○げい(○○鯨)」と名付けられる様で、「海上自衛艦”ひりゅう”」の実現は、当面先らしい。
 その前に、漢字表記に戻してくれないかなぁ。非公式には漢字表記する例も、無いではない様だが、公式公的には、平仮名だもんなぁ。

 本年が皆様及び我が国にとって、良き年となります様に。
 

  • <注記>
  • (*1) 潜水艦のAIP機関としては、他にワルタータービンとか燃料電池などがある。「色んな形式がある」と言うことは、「AIP機関として(未だ)決定的なモノがない」と言うことでもある。 
  •  
  • (*2) 潜望鏡深度で、潜望鏡と同様に吸排気口を海面上に突きだして機関を動かす方法。 
  •  
  • (*3) 「イン・ザ・ネイビー Down Periscope」とか、「Uボート Das Boot」とか。 
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  • (*4) うんりゅう(雲龍 帝国海軍空母名を踏襲)、はくりゅう(白龍)、けんりゅう(剣龍 ステゴザウルスだな。)、ずいりゅう(瑞龍)、こくりゅう(黒龍)、じんりゅう(仁流 神龍でも迅龍でもないらしい。)、せきりゅう(赤龍)、せいりゅう(清龍 青龍だと、蒼龍と被るから、かな。)、しょうりゅう(翔龍 昇龍でも捷龍でもないらしい。)、おうりゅう(凰龍 王龍では無かった。意味は近いが。)、とうりゅう(闘龍 戦闘龍って力士が、昔居たなぁ。)
  •  どれも、漢字表記の方がカッコ良いし、意味が通るよなぁ。 
  •  
  • (*5) 大鯨。帝国海軍潜水母艦「大鯨」の名を踏襲。「大鯨」は空母に改装されて「龍鳳」と改名された。