マザー・テレサは占星術法則を超えていていた?
「神の愛の宣教者会」の設立は、1950年10月7日です。
このとき、進行の天王星は出生太陽に対して、対向の180度、オポジションに位置していました。
このときのチャートをもっと詳しく調べてみると、興味深い事実が次々に浮かび上がってきました。
なんと、この進行天王星ですが、進行の月のノード、そして進行の月との間で、やはり同時期にグランド・トラインを形成しているのです。
「これか……」
通常では悪い方に働くはずの天王星とのオポジション。しかし、これを完全中和させる座相が、一方で発生していたのです。
グランド・トラインが発生すれば、星の凶意はほとんど消えます。しかも、この月は出生太陽とセクステル(60度の調和)で、トラインほどではありませんが、人生上重要な決定に適した位置にあります。
ちなみに、天王星・月のノード・月の三つのグランド・トラインが成立するのは、同年の8月から10月までで、やはりこのきわめて限定された時期に、「神の愛の宣教者会」が設立され、認可を受けたというのが、マザー・テレサは占星術法則を超えていたというよりも、やはり非常に忠実にチャートに示されている人生を実現化させていると、見た方が良いようです。
ちょっと、がっかり。
ただし、この進行の月が参加するグランド・トラインは、私が算出した「おそらく夜明け後、間もないころの出生時間」を採用した場合に、この時期に形成されることが確認できます。
しかし、かなり確度は高いように思えますし、2~3時間の誤差はあっても、形成されている場合もあります。
よって、この事実が発見されたことによって、この時点でのマザー・テレサが占星術法則を超えていたというのは明らかに早計です。
先を急ぎます。
マザー・テレサの人生の中で、あといくつか大きな出来事を取り上げるとすれば、「ノーベル平和賞受賞」「心臓発作」「他界」などが上げられます。
数々の業績、貧しい人、恵まれない人、虐げられた人のために彼女がしてきたことは、非常に数多くあります。そしてその彼女に、世界からさまざまな賞が贈られました。その中でももっとも影響力が大きかったのが、ノーベル平和賞でしょう。
これは1979年12月10日のことです。
このときのチャートは?
すぐに目につくのが、彼女の人生を導いてきた天王星が、ここでも太陽にアスペクトを作っていることです。進行天王星が、出生太陽に対して、150度(クインカンクス)のハードアスペクトです。
やや弱い種類のハードアスペクトですが、思いがけない変化、そして本来は違った領域に存在する二つのものを混ぜ合わせ、結びつける作用があります。
ノーベル平和賞受賞は、マザー・テレサにとっては予想外の出来事であり、受賞することに心理的な抵抗も大きかったと思わせられます。しかし、そのことでさらに彼女とその活動は大きなものへとステップアップしていけたはずです。
当時、進行の冥王星は土星(権威的なものの象徴)とトラインで、この受賞が宿命的なものであることを伺わせます。またその前後の期間、経過の木星がテレサの出生太陽の上を行ったり来たりしています。大きな幸運の訪れを感じさせます。
1983年 マザー・テレサはヨハネ・パウロ2世との会見のために訪れたローマで心臓発作に見舞われます。このときのチャートは、進行太陽が出生の月に対してオポジション。太陽には心臓という意味があり、すでにこのとき70才を越える年齢であったこと、そして太陽と月という人生構成の二大要素の対立というアスペクトから考えると、この時に死亡していてもおかしくなかった星位です。
この後、彼女は心臓の疾患のためメースメーカーを入れる手術などを受けますが、さまざまな体調不良を起こしていきます。91年の肺炎なども、チャート上ではこれではないかと思えるものが確認できます。
そして1997年9月5日。
世界中から惜しまれながら、他界します。
このときのチャートは、進行水星が出生太陽にスクエア。
「もう息ができないわ」というのが最後の言葉だったそうですが、水星は呼吸器に関わる星です。
そしてずっと、彼女の人生を強く激しく導いてきた天王星は、この水星に対して、135度(セスキコードレート)のハードアスペクト。
「もういいよ。よく頑張ったね」というように。
マザー・テレサのチャート解読は、ざっとではありますが、占星術法則に叶ったものでありました。
残念ながら、彼女が占星術法則を超越していたという確証は得られませんでした。
むしろ合致している。
しかし、合致しているからといって超えていなかったという証明ではありません。
逆に言えば、占星術法則は「たかが占い」という観点で見たときには、「そんなものに人生を決められてたまるか」という感情的否定にもつながりますが、もっとグローバルな見方をすれば、これは何らかの宇宙法則だと考えられます。
星々が運行する。春が来れば花が咲く。秋になれば実がなり、冬には枯れる。
このような自然サイクルの一部だと考えられます。
マザー・テレサのような人が、宇宙法則を否定することはないのではないか、むしろ自然の流れの中で身を任せながら、最善の努力を行っていこうとするのではないか。
ただ、マザー・テレサが占星術法則を超えていたのではないか、と疑える部分は、じつは解読上、いくつかありました。
たとえば1963、4年頃、彼女のチャートの中では、進行の火星が出生土星に対してオポジションでした。かなりハードで危険な星位です。これに関わる何事かの出来事は、伝わっていません。彼女の一身上、ごく身の回りで起きたことなので伝わっていないだけかも知れませんが、何かもっと大きな事件があっても良さそうに思えます。
それだけ彼女の日常が、苦難に満ちたものだったということだけなのかも知れませんが、もしかするとこの程度のハードアスペクトなど彼女の前には無効だった可能性もなくはありません。
また私が個人的に、彼女が占星術法則をある部分で超えていたのではないかと感じるのは、その寿命です。
彼女は1983年、最初の心臓発作か、1990年の心臓病悪化の時点で、亡くなっていてもおかしくなかったように思えるのです。
最初の発作以降、さまざまな体調不良に悩まされながら、しかし、人々に求められ、彼女はこの世に在り続け、そして自分ができる限りのことを行ってきました。
おそらく、ですが、彼女はその生き方、貧しい人々への捧げる無私の愛によって、その生命を永らえさせたように思えるのです。
まだ一つでも二つでも、人々に望まれ、自分がやれることがあるのなら、その命を燃焼させ続けることができる。その機会も与えられる。
そのように感じます。
が、全体としてはマザー・テレサのような人でさえ、占星術法則の範疇にいたように思えます。
が、仮にそうだとしても、これに私たちは失望するでしょうか?
彼女のような偉大な人でさえ、超えていなかったとすれば、それはある意味、超える必要などないものなのかも知れません。
ただ、あるがままに生きていけばよい。
それが占星術法則に合致するかどうかなど、私たち占星術師の研究課題であって、ほとんどの人には無関係ですし、分かりません。
超えるものを見つけようとするのも、私の個人的興味に過ぎないといえばそうです。
また、こうも考えられます。
宇宙法則を超える必要などない。しかし、その人にとって最善の努力をすれば、結果的には超えてしまうこともある。否定するのではなく、何ものにもとらわれず、あるがままに。
勝とうとすれば負けも生じます。
しかし、勝つことにこだわらなければ、すでにそれは勝ったも同じです。
人はただ自分にできることをすればよい。
そんな生き方が、マザー・テレサの放つ光の中にはあるのかも知れません。

マザー・テレサに関しては、今後も少しずつ研究を進めておこうと思います。
また何か分かったら、ご報告いたいします。
難しい記事にお付き合い下さった方に感謝申し上げます。
明日はマザー・テレサのチャート解読からは離れて、ちょっと関連したことを書きます。
彼女の言葉の中で、今の私が非常に日常的に痛感しているものがあるのです。