抑鬱亭日乗 -37ページ目

抑鬱亭日乗

複数の精神疾患を抱える者の独言を忌憚なく収録する
傾いた視線からこの世はどのように見えるのか

 本日は成人の日である。

 成人とは何か。

 自己の中で未だ結論は出ていない。まだしばらくかかるだろう。

 

 小生の精神はまだ成人していない。

 成長段階かと問うと、そうでもない。

 どこかでストップし、そのままの状態である。

 

 肉体は成人、精神は子供。

 生きている間に精神が成人するようにはしたい。

 年に何度も宗教の勧誘を受ける。

 親族にその話をすると、宗教の勧誘を受けたことがないという。

 小生は何かがあるのだろう。

 

 先日、イランが報復措置としてミサイルを発射した。

 その数時間後、小生は一人で職場で仕事をしていた。

 見知らぬ御仁がドアを開けて入ってきた。

 

 「戦争が起こりそうな不安な世の中ですが・・・」と言い、小さなパンフレットを差し出そうとする。

 社会情勢で人を不安にさせ、宗教に勧誘するという手口である。

 宗教の勧誘は自由であるが、人を不安にさせる手口は許せない。

 「ここは事業所ですので、お引き取り願います」というと諦めてくれた。

 

 どこの宗教か知らないが、勧誘していい場所といけない場所の区別ができないのだろうか。

 人口減少は宗教をも脅かすようだ。

 幼少期からそれが苦手であった。

 成人してもそれは改善できなかった。

 そのまま現在に至る。

 過去より悪化しているようにさえ思える。

 解決せねばならぬ課題であるが、解決できそうにない。

 

 小生は大勢のヒトが集まる場で人の輪に入ることができない。

 決して他人を嫌悪しているのではない。

 自然と人の輪に入り、会話することが著しく困難である。

 コミュニケーション能力が欠落しているためである。

 

 明日、諸般の事情により、人が大勢集まる場所に単独で行かねばならぬ。

 顔見知りの御仁は数名いるが、雑踏で発見できるとは限らない。

 多くの御仁にとって新たなビジネスチャンスを得る機会であるが、小生には苦痛である。

 酒があるなら呑みまくり、酩酊すれば何とかなりそうだが、酒は振舞われない。

 

 数時間だけ社交的な人間を演じるしかない。

 そのような器用なことができるかどうか疑問である。

 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁあああ。

 民放で高校サッカーと高校ラグビーの中継を放映している。

 毎年、年末年始に大会が行われている。

 小生の出身校がラグビーの大会に出場しているが、僅差で敗れた。

 

 出場している3年生で、大学受験を控えている御仁はいるのだろうかと疑問に思う。

 センター試験の直前であり、これに失敗すると国公立大学への合格は困難となる。

 全国大会に出るほどの実力があればスポーツ推薦でどこかの大学には合格できるだろう。

 だが、センター試験や私大の一般入試を控えている御仁はゼロではなかろう。

 

 これらを勘案して、年内で大会を終えるように日程を調整できないのだろうか。

 正月休みで多くの御仁が視聴可能であり、広告主もこの時期の中継を希望するだろう。

 小生は電視台の広告でモノは買わないが、試合は視る。

 この日程を秋か12月の中旬に変更できないのだろうか。

 

 試合を見ていると、そのような雑念が姿を現す。

 

 

 

 ふるさと納税の返礼品であるおせち料理が届かないと報じられた。

 高額な寄付をすると、三段重ねのおせち料理を返礼品として受け取る。

 生産が追い付かず、元日に間に合わなかったことが原因である。

 

 ふるさと納税の返礼品に関する報道がされるとため息が出る。

 ふるさと納税は自治体に対する寄付である。

 寄付は本来、見返りを求めるものではない。

 支払う者は金銭をプレゼントし、受けた側がありがたく頂戴する。

 これで両者の関係は完結する。

 

 ふるさと納税する御仁は、返礼品を目的に寄付をしているのだろうか。

 それは寄付ではない。

 通常とは形を変えた物品の販売といえよう。

 

 高額な寄付をし、高価な返礼品をもらおうとするから、問題となる。

 ふるさと納税をせず、おせち料理を購入する方が金銭の支出は少ない。

 確定申告で寄付金控除を受けることができるが、それほどオトクとはいえない。

 

 寄付とは見返りを期待する行為ではない。

 小生は高価なモノが欲しいなら、購入する方が安いと考えている。