前回の歩きで木曽路を抜け、岐阜県に入りました。次に待ち受けるは、これまた難所の十三峠、ということで前回に引き続き2人体制で歩くこととしました。1泊2日行程で、中津川から鵜沼を目指します。これはそのレポートです。
なお、記事中にグーグルマップをつけていますが、おおよそどのあたりを通っているかの目安として載せています。旧中山道を厳密にトレースしていない箇所もありますので、予めご了承ください。
<本編>
「のぞみ3号」で名古屋まで向かい、特急「しなの3号」に乗り換えて中津川に到着。駅から数分ほど歩き、前回の終了地点からウォーク再開です。
中津川市 新町交差点 9:03→上宿一里塚 9:29→中津川IC口バス停 9:44,9:47→坂本立場跡 10:27→甚平坂 11:10→関戸一里塚 11:14→大井橋 11:33→恵那駅付近 11:40
新町交差点の角には、「すや」というお店がありました。江戸時代創業で、当初はその名の通り酢を販売していましたが、今は中津川名産の栗を使った和菓子を販売する老舗となっています。とても味のある建物です


少し歩いていくと、宿場の風情を残す風景が広がってきます。
中津川宿の西側に、このような宿場の面影が残っています。スタートからこのような景色を見ることができてよかったです。このクランクの先あたりまでが中津川宿であり、次の宿場である大井宿へ向かって歩きます。
上宿一里塚。立派な一里塚が残されています。国道やJRの線路からやや離れていたから残ったのでしょう。
やがて坂を上り、国道257号を経て国道19号へ一瞬合流します。振り返ると、下呂まで52kmとの表示が。下呂まではやや遠いですが、実は中津川から路線バスを乗り継いでいくこともできます。
中津川IC近くのバス停で上着を脱ぎ、水分補給をして再び歩きます。中津川ICの北側を迂回し、国道19号からそれていきます。時折、笠置山や恵那山が見えます。旧街道の雰囲気を感じる場面もたまに見られます。
美乃坂本駅方面へ続く道と分かれ、暫く行くと、何やら高速道路を建設していました。濃飛横断自動車道らしく、中津川と下呂や郡上八幡を結ぶようです。
景色が開けてくると、右後方に白く雪化粧した御岳が見えました。すかっと山が見えると気持ちいい!

田んぼの中の道を進むと、恵那市に入ります。とても素朴な風景が広がります。
岡瀬沢集落を抜けると、甚平坂という上り坂を上がります。短いものの急坂です。坂の上からは御岳や中央アルプスを望むことができました

関戸一里塚を過ぎると、突き当りを左に曲がって坂を下ります。眼前には恵那の市街地が見えてきます。大井宿は現在の恵那市の中心部に位置しているので、往時であればこの場所から大井宿を見渡すことができたでしょう。
写真中央に伸びる道が旧中山道です。若干ミスコースしましたが、すぐに気づいて事なきを得ました。桝形になっている道を右へ左へ曲がると、大井宿のエリアへ入っていきます。
11:40にJR恵那駅付近に到着。お昼を食べることにします。ぱっと見渡して店がなかったので、近くにあるスーパー「バロー恵那店」へ。ここのフードコートで食事を…と思いましたが、フードコートがそれほど大きくなく、満席になってしまっていたため断念。飲み物だけ買い足します。
他に店がないかと思って探すと、道向かいにお好み焼き屋さん「たけちゃん」という店がありました。営業中なのでここに入ることに。
この先難所が控えていることもあり、しっかり体力をつけるべく、モダン焼きを注文。おいしかったです

JR恵那駅付近12:25→西行塚付近12:52→槇ヶ根一里塚12:58→槇ヶ根下街道分岐13:14
モダン焼きでお腹を満たし、再び中山道を歩きます。大井宿も旧街道の風情がみられ、雰囲気を楽しむことができます。

道はやがて旧国道19号線へ合流。昔ながらの距離標識が設置されています。名古屋まで60km、かなり近くなりました。しかし、名古屋はおろか愛知県も通りません。

この距離標識の先で右折し、中央本線の線路を渡ります。ここでも山々がスカッと見えました

すぐに左折し、田んぼの中の道を歩きます。行く手には山がありますが、あの山の方にまっすぐ道は続いています。

中央自動車道をくぐると、上り坂が始まり、「是より西 十三峠」の碑に迎えられます。

大井宿(岐阜県恵那市)から次の大湫宿(岐阜県瑞浪市)までの約13kmは山道であり、十三峠といわれています。「十三峠におまけが七つ」と言われるほど、アップダウンだらけの道であり、中山道の難所の一つとなっています。
「是より西 十三峠」碑の下の方には、何やら警告の張り紙もあります。

大井宿から西側は、大湫宿、細久手宿を経て御嵩宿に至るまで、約30kmもの間鉄道から遠く離れた山の中を、旧中山道は通っています。この張り紙に書かれている通り、スーパーや食事処、宿泊施設もほとんどないので、この区間を歩く上では十分に計画を練ることが必要です。知らずに進入して困ってしまった方が過去にいたからか、このような張り紙がされているのでしょう。
このあたりから、最初の坂である「西行坂」が始まります。そこまで長くないもののかなり急な坂です

何とか登りきると尾根道になり、身体を落ち着かせることができます。立派な一里塚も残されています。


少し行くと、道が分岐します。分かれていく道は下街道で、名古屋へと続いています。名古屋や伊勢方面へ行くには中山道経由より下街道経由のほうが距離が短かったこともあり、下街道の利用者は多かったようで、宿場保護のため下街道の承認の通行を禁止する決まりもありました。


↑(上)中山道と下街道の分岐。直進は中山道京都方面、左は下街道名古屋方面
(下)下街道は分岐から山を下り、現在の国道19号線が通るルートをなぞるように名古屋へ続く

槇ヶ根 下街道分岐 13:14→紅坂一里塚 13:51→深萱上 14:03
引き続き尾根道を歩くと、東海自然歩道と合流します。ここから御嵩宿まで、東海自然歩道と重複して進みます。乱れ坂といわれる急坂を下って少し行くと、四ツ谷という小さな集落を通過します。里山の風景が広がります。



やがて山の中へ入り、紅坂一里塚を通過。跡が良く残っています。


いったん坂を下り、国道418号線と交差。恵那市のコミュニティバスの深萱下バス停がありました。JR中央本線の武並駅へも2kmと標識に書かれていました。もし十三峠を歩いていて厳しいと感じたら、ここで武並駅へ向かうとよいでしょう。
深萱上 14:03→三城峠 14:16,14:19→大久後 14:39→権現山一里塚 14:56→大湫宿お休み処 15:33
左前方の丘の上には住宅地があるものの、そちらは全く通らず、山の中へ。深萱まではアップダウンの道でしたが、深萱から先は上り坂がずっと続きます。三城峠(みちじろとうげ)を通過し、ピークを抜けたと見せかけてまだまだ登ります。

峠の先で、恵那市から瑞浪市へ入ります。大久後の観音堂あたりから炭焼き立場跡まではなかなかの急坂です

急坂を終えると景色が開け、眺望を少しばかり楽しめます

十三峠区間は基本的に山の中を通り、時折小さな集落を通っていきます。この区間を踏襲する県道や国道、鉄道路線はなく、完全に現代の主要交通網から切り離されています。


150年ほど前まで東京と京都を結ぶ主要幹線道路だったことが信じられないくらい、ひっそりとしています。それでも、主要交通網から外れたからこそ、一里塚や史跡などが残っているともいえます。
上り坂はなお続き、再び山の中へ。

権現山一里塚を越え、なお山の中を進んでいるうちに、いつの間にかゴルフ場の中へ入り込んでいました。ここでは中仙道ゴルフクラブの敷地の中を中山道が通り抜けているのです
ボールが旧中山道部分に飛ばないように対策はされていますが、ボールが転がり込んでくることはあるようで…
何度かゴルフ場のカート道と交差しますが、カート道への進入は禁止されています。時折カートが通過するようなので、歩く際には注意が必要です。
ゴルフクラブの敷地の途中からは、下り坂へ転じます。
舗装路を横断すると再び上り坂に。本当にアップダウンが多いです

坂を上って少し歩くと・・・
目の前に大湫宿が見えてきました。中山道では、一段高いところから次の宿場を見渡せる場面が多く、歩いていて面白いです。「やっと次の宿場が見えたぞーーーー

」と嬉しくなります。江戸時代にここを歩いた人も、きっとそう思ったことでしょう。
最後の坂、寺坂を下ると大湫宿に到着。振り返ると…
「是より東 十三峠」の碑がありました。難所を通り抜けることができ、少しホッとします。
その先で左折し、県道大湫恵那線を歩きます。路線名だけ見ると、旧中山道に沿って通っているように聞こえますが、通っているエリアは全然違います。
大湫宿にお休み処があったので、休憩することに。職員の方が招いてくれて、梅昆布茶を出してくださいました。歩き疲れた身体に、梅昆布茶の塩気と酸味が滲みます

3月に歩いたこともあり、立派なひな人形が飾ってありました。
応対してくださった職員の方は、十三峠区間や東海道を歩いた経験があるそうで、この先のことも教えてくださいました。今日は細久手宿まで行くと伝えると、「十三峠はきついけど、細久手方面はそこまで大変じゃない。琵琶峠は短いからきつくない」との情報をゲットしました。琵琶峠、きつそうに見えるけど大丈夫なのかな…
ひとしきり休ませてもらい、体力回復。本当にありがとうございましたー

隣にある公衆トイレでお手洗いも済ませ、今宵の宿へ大湫宿を今から出発する旨を伝え、ウォーク再開です。
大湫宿お休み処 16:00→大湫バス停付近 16:05→琵琶峠東側登り口 16:14→琵琶峠 16:24→八瀬沢一里塚 16:26→琵琶峠西側登り口 16:34→奥之田一里塚 17:19→細久手宿 大黒屋旅館 17:33
引き続き県道を歩いていきます。5分ほど歩くと、道が二手に分かれます。大湫恵那線はここで終点、県道恵那御嵩線に合流します。左へ行くと4kmほどでJR中央本線の釜戸駅へ至ります。この先はさらに鉄道駅から離れるので、ここで無理だと思ったらエスケープするようにしましょう。
中山道は右折して進んでいきます。左手に病院が見えてくるあたりで、琵琶峠の登り口に着きます。
県道は峠の南側を巻いて迂回していますが、旧中山道は直登でまっすぐ峠を越えます。
石畳の道を登ること10分で、琵琶峠頂上に到着します。あっさり到着したので拍子抜けしました。もしかすると、京都から江戸へ向かうほうがしんどい峠なのかもしれません。
峠からの下り道に、八瀬沢一里塚がありました。しっかりと塚が残っています。石畳道がいい味を出しています

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20分で峠を脱出し、そこからは県道を歩きます。
人家はほとんどない山の中をひたすら歩きます。眺望もないので単調な歩きが続きます。
時折、このような距離標識があるのが救いです。細久手まであと2.5km、もう少し。
きれいな池が右手に現れました。弁財天の池だそうです。
奥之田一里塚を通過。主要交通網から外れた位置にあるからか、このあたりの一里塚は当時の状態をほぼそのままとどめているものが多い気がします。
とても長く感じた県道歩きをすること約1時間、やっと細久手宿に差し掛かりました。久々の集落にホッとします

17時半過ぎに、ようやく細久手宿に到着。今宵の宿は細久手宿にある「大黒屋旅館」にとっています。安政期に建造された風格のある建物、江戸時代には尾張藩の定本陣だったという、とても由緒正しいお宿です。
中に通されると、バナナケーキとゆず茶を出してくださいました。歩き疲れた身体には最高のお菓子とお茶で、疲れが吹き飛びました

お部屋で休ませていただいた後、18時過ぎに夕食となりました。
鯉の甘露煮、イワナの塩焼き、ゆり根や豆料理など、山の幸、川の幸がふんだんに使われた豪華なお食事です

鯉は初めて食べたかもしれません。
大名たちもこんな食事をとっていたのだろうかーそう思いを馳せることができました

とてもおいしくいただきました。
お風呂に入り、就寝。3月ながら内陸で標高も430mほどあるので、夜は冷え込みがとても厳しいです。お風呂に入る前は凍えそうでした

この日の最低気温は-4度。ですよねー
時刻は20時半ながら、疲れたので早々に布団に入り、明日に備えます。
この日の移動距離:31.4km (江戸・日本橋から375.7km)
総歩行時間 :8時間30分(平均3.7km/h)
実歩行時間 :7時間12分(平均4.4km/h)
京都・三条大橋まで176.5km
草津・東海道合流点まで150.7km