出会った言葉たち ― 披沙揀金 ― -39ページ目

出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

 子どもが生まれ、なぜかロックを始めた「先生」。でも、先生が求めていたのは、ロックではなく、「ロール」でした。

 先生は言います。

 

「ロックは始めることで、ロールはつづけることよ。ロックは文句をたれることで、ロールは自分のたれた文句に責任とることよ。ロックは目の前の壁を壊すことで、ロールは向かい風に立ち向かうことなんよ」

 じゃけん、と先生はつづけた。

「ロールはオトナにならんとわからん」

 

 大人になった「僕」は、白髪になってもステージでギターを弾く先生に語りかけます。

 

 転がり続けること。

 生き抜くこと。

 センセ、ボクはロールしよりますか。キープ・オン・ローリングしよりますか。

 止まってしもうとっても、もういっぺん動き出したら、まだ間に合いますか。

 

 止まらないということ。終わらないということ。生き抜くと言うこと。

 ずっと見ていないと、一瞬見ただけでは、それは気付かれません。目立たないけれど、「止まらない」「終わらない」「生き抜く」ことは、やっぱりオトナの生き方だと思うのです。

 朝、点けっ放しにしていたテレビから「『泣くな赤鬼』・・・ロードショー・・・」という声が聞こえてきました。

   あ、重松清さんだ・・・

 以前読んだ小説を思い出しました。

 『泣くな赤鬼』。赤鬼と呼ばれていた熱血野球部監督と、それについて行けず、野球をやめ、高校を中退し、道を踏み外してしまった生徒・斎藤の話。

 

 10年後、赤鬼と斎藤は病院で出会います。結婚し、赤ちゃんも生まれ、幸せになるはずの斎藤の余命は長くはありませんでした。

 斎藤はつぶやきます。

「ほんと……ほめられるようなこと、なにもなかったけど……惜しいところは、けっこうあったような気がするんだけどな、俺……」

 

 赤鬼は、才能がありながらくすぶっていった斎藤をよくは思っていませんでした。でも、自分の知らないところで、ちゃんと大人になっていた彼を見て、赤鬼の心も変わっていきます。

 

 結末は語りません。

 心に残った言葉だけお伝えします。

 赤鬼が斎藤に語りかけた言葉。

 

 もしも奇跡が起きて、人生の残り時間がうんと増えるのなら、おまえは教師になれ。私がおまえに言ってやれなかった「惜しい」の一言を、おまえのような生徒に何度でも贈ってやってくれ。

 (重松清、『泣くな赤鬼』(『せんせい。』収録)より)

 

 

『ねずみ女房』。
 一生忘れないお話。
 学生だったころの最後の1年間、歌好き、踊り好きの仲間たちとミュージカル劇団を作りました。劇団名「さくらさくカンパニー」。脚本、作詞・作曲、振り付け、舞台設営、すべて自前。演じた作品は『ねずみ女房』のみ。

  私の役は、主役級の「はと」でもなく、もちろん「ねずみ女房」でもなく、その他大勢のねずみの中の一人でしたが、でも、楽しかったなあ…。


 リプログした絵本講師のいるところさんの記事の中に、こんな言葉がありました。

年よりねずみになっても
めすねずみには
あの夜見た夜空は
かけがえのないもののようです。

 私も、あれからずいぶん年をとりましたが、仲間たちと見た景色は、かけがえのないものです。

 卒業とともに、私は鳩のように飛び去って、自分のいた場所(地元)に帰ってしまったけれど、「さくらさくカンパニー」のみんな、元気ですか。

ことりの木*makiさんのブログで出会った言葉。

 

「ほとんどの親たちは、自分の子どもに、死ぬまでずうっと、この言葉をとなえつづけるのかな。心のどこかで。どうにもしてやれない痛みや悲しみに…いたいのいたいの、とんでいけえ。と。」
(おーなり由子、『子どもスケッチ』より)

 

「いたいのいたいの、とんでいけえ。」

おそらく何十年も、親から子へと伝えられてきた魔法の言葉。

この言葉があれば、ひざこぞうのすり傷も、柱にぶつけたおでこも、不思議と治った気になりました。

失ってはいけないふるさとのような言葉です。

 

今日、何となく手に取った『あのね』という文庫本。子どもの日常の面白い言葉を集めた本です。

この本のなかに「いたいの いたいの…」にまつわるエピソードが載せられていました。

 

いたずらをしてしかられ、お尻をたたかれた。

半べそで、「いたいの いたいの ママのところに とんでいけー」

(朝日新聞出版編、『あのね 子どものつぶやき 』より、瀬尾たかひろくん(3歳)の言葉)

 

これもまた、ほほえましい場面です。

この言葉が生まれるのは、このお母さんが、たかひろくんに何度もこの言葉をかけているから。

そして、たかひろくんは、お母さんに安心しているから。

 

この本は10年前に発刊されました。だとすれば、たかひろくんは今、中学生ぐらいでしょうか。きっとたくましい男の子に成長しているのでしょう。

そして、大人になると、この温かい思い出のこもった「いたいの いたいの・・・」を自分の子どもたちに唱えるのでしょう。

 私に大きな影響を与えた人の一人にM先生がいます。

 雑誌などに掲載されるM先生のエッセイに惹かれていた私は、ある時、

「文章のお手本とされている方がいらっしゃるんですか?」

と訪ねてみました。

 先生がお答えになったのが、伊集院静さんでした。

 そして、私もそれから伊集院静さんの小説、エッセイなどを手にとるようになりました。

 

 今日、紹介するのは、伊集院静さんのエッセイ『それでも前へ進む』の中の言葉です。

 

 …喜びがつかの間でも淋しいし、苦しいことがすぐに解消されては人生を学ぶことも、知ることも希薄になる。

 私たちの生は積み重ねてきた時間の中で人生の大切なものを学び、その重さと深さを知る。あらゆることが自分にだけ起こることではないことも学ぶ。それを噛みしめる時間というものこそ、生きている証しなのだろう。

 

 震災でたくさんの死を見たとき、前に観た『チェチェンへ アレクサンドラの旅』という映画のセリフに心打たれたことを思い起こした。薬漬けでもう死ぬしかないとなった十代の少女に、一人の老婆が語った言葉だ。「あなたはまだ若いから知らないでしょうが、哀しみにも終わりがあるのよ」と。

 すごい言葉だと思った。哀しみは孤独に置き換えることができるだろう。孤独はいずれ失せる。どうしようもない寂寞の中にも必ず終わりがある。

 

 実の弟を海の事故で亡くし、妻・夏目雅子さんを白血病で亡くした伊集院静さん。身を切るようないくつもの別れを経験してきた伊集院さんの言葉が、心の深いところに届いてきます。そして、「それでも前へ進む」という書名は、同じように哀しみを湛える人への励ましの言葉というよりも、寄り添いの言葉のように思えるのです。