私に大きな影響を与えた人の一人にM先生がいます。
雑誌などに掲載されるM先生のエッセイに惹かれていた私は、ある時、
「文章のお手本とされている方がいらっしゃるんですか?」
と訪ねてみました。
先生がお答えになったのが、伊集院静さんでした。
そして、私もそれから伊集院静さんの小説、エッセイなどを手にとるようになりました。
今日、紹介するのは、伊集院静さんのエッセイ『それでも前へ進む』の中の言葉です。
…喜びがつかの間でも淋しいし、苦しいことがすぐに解消されては人生を学ぶことも、知ることも希薄になる。
私たちの生は積み重ねてきた時間の中で人生の大切なものを学び、その重さと深さを知る。あらゆることが自分にだけ起こることではないことも学ぶ。それを噛みしめる時間というものこそ、生きている証しなのだろう。
震災でたくさんの死を見たとき、前に観た『チェチェンへ アレクサンドラの旅』という映画のセリフに心打たれたことを思い起こした。薬漬けでもう死ぬしかないとなった十代の少女に、一人の老婆が語った言葉だ。「あなたはまだ若いから知らないでしょうが、哀しみにも終わりがあるのよ」と。
すごい言葉だと思った。哀しみは孤独に置き換えることができるだろう。孤独はいずれ失せる。どうしようもない寂寞の中にも必ず終わりがある。
実の弟を海の事故で亡くし、妻・夏目雅子さんを白血病で亡くした伊集院静さん。身を切るようないくつもの別れを経験してきた伊集院さんの言葉が、心の深いところに届いてきます。そして、「それでも前へ進む」という書名は、同じように哀しみを湛える人への励ましの言葉というよりも、寄り添いの言葉のように思えるのです。