今日は、

子どもは学校に入るときに、

協力能力を試されることについて

書きました。

 

協力能力とは、

共同生活の中で他者を仲間として

力を合わせて課題を解決していく力です。

 

子どもについても、

親自身が子どもの頃についても、

感じるしあわせ増やすために

役立つ内容となっています。

 

目次

・学校と敵対する行為が示すもの

・よくできる子どもとの比較は逆効果

・適切な教育によって改善できる

 

■学校と敵対する行為が示すもの

アルフレッド・アドラーは、

家庭での貢献の様子や、

遊びに正しく参加しているか、

他者を仲間として扱っているか等に加えて、

学校や保育園に入るときに

子どもは協力能力を試されることとなる

と指摘しています。

 

また、アドラーは、

子どもが協力することを

十分に理解できていない場合には

次のような”学校と敵対する行為”を示す

と教えてくれています。

 

その行為とは、以下のようなものです。

・どの程度興奮しているか

・通学を拒むこと、その方法

・他者と離れて立っている

・関心と集中力の欠如

・遅刻する

・授業を妨害する

・ずる休みする

・筆記用具等、学用品をよく紛失する

・宿題等の勉強ではなく無為に時間を過ごす

 

このような行為をする子どもは、

共同体感覚が十分に発達していないこと

そして、

相応の劣等感を抱えていること

示してくれています。

 

なお、共同体感覚とは、端的にいえば、

自分の居場所がある感覚です。

 

この感覚が発達すればするほど

感じるしあわせが増えます。

 

■よくできる子どもとの比較は逆効果

”学校と敵対する行為”を示す子どもに

すると逆効果なのが、

よくできる子どもとの比較です。

 

よくできる子どもは、

共同体感覚が適切に発達しており、

それによって劣等感を感じても

自力で補償できることが多いため

”よくできる”と見えるのです。

 

そのような子どもは、

適切な教育を受けてきたからこそ、

そのような状況になっているのです。

 

一方で、

”学校と敵対する行為”を示す子どもは

適切な教育を受ける機会が乏しかったために

劣等感を自力で補償できることが少なく、

補償できないことについて

そのような行為に頼らざるを得ない状況

置かれているのです。

 

これを子どもの周りの大人が比較して

君にできないことがあの子はできてるよ

あの子を見習いなさい

などと伝えることは、

その子どもの共同体感覚の発達には

何の役にも立たないことです。

 

これは例えば、

一冊の本があり、

すでに読んだ人と、

まだ読んでいない人を比べて、

あの人は本の内容を知っているよ。

だからあの人は優秀で、

本の内容を知らない君は劣悪なんだよ

とか、本の内容を知る人を指して

あの人を見習いなさい

などと言うようなことと同じです。

 

本を読んだかどうかだけの違い

優劣を決められてしまうのは、

なかなか厳しいことです。

 

子どもは適切な教育を

受ける機会が乏しかったために

自力で劣等感の補償ができないだけであり、

その「適切な教育を受けていないこと」を

大人がいくら非難したとしても、

その子どもの共同体感覚の発達には

何の役にも立たないのです。

 

役に立たないどころか、

「君は劣悪だよ」と言われた子どもは

傷つき、心を閉ざすことでしょう

 

つまり、逆効果なのです。

 

また、もちろん、

”学校に敵対する行為”について

非難することも、

子どもの共同体感覚の発達には

役に立たないことです。

 

■適切な教育によって改善できる

協力能力が養われていないと、

他者を仲間と扱うことが困難になります。

 

その協力能力は、

適切な教育を受ける機会を

持続的に持つことができれば、

自然と育っていきます。

 

なお、適切な教育とは、

「他者への関心」が育つようなはたらきかけ

のことです。

 

もし、

”学校に敵対するような行為”を

示した後も適切な教育を受けられなければ、

子どもは協力能力が育たないまま

共同生活を送らざるを得ません

 

そこでの思考は、

自分の身を守ることが優先されるため、

相手より自分優先」に偏りがちです。

 

それは、

臆病(消極的な劣等感の表現)や

興奮(積極的な劣等感の表現)の形で

劣等コンプレックスとして現れます。

 

劣等コンプレックスとは、

強い劣等感をなんとか補償する行為であり、

他者のことなどなりふり構っていられない

という状況を示しているものでもあります。

 

「他者への関心」が育っていないのですから

当然といえば当然です。

 

アドラーによれば、

喧嘩好き、他者の遊びを壊す、

他者は仲間ではなく敵・味方のどちらか、

など個人的利益の追求を目的とした

優越感を得る方法、等によって現れます。

 

適切な教育を受けていないことが

根源的な原因なのですが、

周囲の大人がそれを理解していないと

表面的な症状や出来事

その子どもを判断しがちです。

 

例えば、

「学校に行きたくない」と主張する子どもは

適切な教育が不十分で

共同体感覚が不足していること

示しているのであり、

親や教師を困らせたいわけではないのです。

 

もちろん、

そう主張しても

それを理解する大人がいなければ、

子どもは理解しない親に理解してもらおうと

他の手段に打って出るほかなくなります。

 

通常の主張がダメなら、

親や教師が驚くようなことをしたり、

権力争いを仕掛けたり、

嫌がらせたりします。

 

それでも理解する大人がいなければ

自分の無能を示す以外に

できることがないと思うようになるでしょう。

 

そうして子ども時代に

適切な教育を十分に受けられずに

協力能力を養う機会を持てなかった子どもは

成長してからも生きづらさを抱えながら

生きていくことになります。

 

このような状況になりがちなのは、

親や教師たち自身に

共同体感覚が不足している状況です。

 

つまり、

子どもが”学校と敵対する行為”を

示してくれたならば、

親や教師は、その子どもを

学校と調和させようと努力するよりも、

自分自身の共同体感覚の発達を

優先させることの方が、

状況の改善に効果的である

ということです。

 

大人になるまでに

適切な教育を十分に受けることが

できなかったことは悲しいことですが、

大人であれば、自分で自分の関心を

他者へと向けるように促す(意識する)こと

少しずつでも共同体感覚の発達を

目指すことができます。

 

そうして自分を育てつつ、

子どもに適切な教育をするようにすれば

一緒に育っていくことができます。

 

そうして、

一緒に頑張ってくれる親や教師は、

子どもにとって頼もしい存在

感じられるでしょう。

 

こうした取り組みの負担を軽減し、

効果を早く感じたい方は、

訓練されたカウンセラー(回復)や

メンタルコーチ(変革)の

手を借りることで実現できます。

 

 

 

 

お読みいただき、

ありがとうございます。

 

プロコーチ11年目、常楽でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「男性優位社会を知る」シリーズ

 

 

結婚は”女性の役割”との和解ではない

~36歳の女性の例に学ぶ シリーズ(全6回)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ACE COACHING's Services here