■3つの心配

アルフレッド・アドラーは

誰もが避けることができない課題を

人生の課題」と説明してくれています。

 

人生の課題とは、

交友の課題、仕事の課題、

そして愛と結婚の課題、の3つです。

 

交友の課題とは、

友人との関係における課題ですが、

アドラーは共同体生活という言葉も

使っているので、私たちにとっての

「共同生活における課題」と見ても

よいでしょう。

 

仕事の課題は、

仕事で生計を立てることであり、

仕事上の対人関係における課題です。

 

愛と結婚の課題は、

恋人との課題、

結婚したら配偶者との課題、

子どもができたら家族との課題

のことです。

 

アドラーはこの人生の課題について

それぞれの根源的な”問題”を示して、

それらのおかげで

人間は発達することができた、

と指摘しています。

 

その”問題”とは、次の3つです。

共生の心配(交友の課題)

生計の心配(仕事の課題)

子孫の心配(愛と結婚の課題)

 

これら3つの心配を、

個人的利益の追求ではなく、

共同体感覚による方法で

解決してきたときにだけ、

人間の存在は発達することができた

とアドラーは指摘しています。

 

■共同体感覚による方法による補償

アドラーは、

人間は地球がつくった存在、とした上で、

共同体(人の集まり)のために

身体的・精神的な準備をし、

分業と勤勉、そして十分な繁殖によって

共同体と結びつくときにだけ、

存在することができ、発達することができた

と指摘しています。

 

つまり、

共生の心配は、分業によって、

生計の心配は、勤勉によって、

子孫の心配は、十分な繁殖によって、

共同体への”貢献”となったために、

自分の居場所がある感覚(存在)が高まり、

補償することができた、ということです。

 

これら3つの心配を解決することが

人間の発達となって、今日に至る、

というわけです。

 

 

分業とは、

他者と協力関係を持つことです。

 

協力関係を持とうとする人と

関係を持つことは難しくありません。

 

互いの間に問題や困難があっても、

協力することで解決や克服へと

進むことが簡単だからです。

 

 

その分業を基礎に、

勤勉を使うことで

生計が立てやすくなります。

 

事業を持っても、

賃金労働者になっても、

分業を基礎とする勤勉な人は、

仕事において優れた成果を上げるからです。

 

そうして優れた成果を上げる人は、

生計を立てることが簡単です。

 

 

その生計立てることを基盤とすると、

十分な繁殖についても簡単になります。

 

子孫を生み育てるには、

それだけ時間と労力が必要です。

 

その時間と労力については

誰かがお金を払ってくれるものではないので

生計のための時間と労力以外の時間と労力

生活と子育てをすることになります。

 

生計を立てることが十分であれば、

その分、子孫を生み育てることも

簡単になるのです。

 

また、さらに、

子育てについても、

分業と勤勉は役に立ちます

 

それは、

子育て活動をすることにもそうですが、

子どもの教育にも役に立つのです。

 

親が分業し、勤勉であれば、

子どもは分業、勤勉を

学びやすい環境で育つため、

子ども自身も分業、勤勉を

自主的に使うように育つこと

期待できるのです。

 

実際このように、

分業と勤勉と十分な繁殖をした人々が

人間の存在を発達させてきた

とアドラーは説明してくれているのです。

 

これら3つの心配を補償する活動は、

それが共同体感覚による方法であれば

社会貢献と見ることもできますから、

その活動をする人は、

社会に歓迎されることになり、

結果、自分の居場所がある感覚

高まるのです。

 

その感覚が高まるときに感じる感覚が、

しあわせ」です。

 

■個人的利益の追求による補償

これら3つの心配を、

個人的利益の追求をする方法

補償しようとした場合には、

人間は発達しなかった、

と見ることができます。

 

 

分業とは、相手と協力関係を

持とうと目指すことです。

 

その反対に、

協力の関係を持とうとしない人とは、

そもそも関係を持つことが困難です。

 

協力のない関係は、支配-隷属関係

となってしまうからです。

 

問題や困難があったら、

支配する人が隷属する人に

「なんとかしなさい」と指示を出して、

隷属する人が一人で努力することになります

 

自分を支配しようとする人には

近づきたくありません。

 

そんな、

他者が近づきたくない存在となれば

共同体感覚は高まらないため、

存在が発達することもありません。

 


分業がない人は、

協力関係を築こうとしない人です。

 

そんな人が勤勉になっても、

仕事の対人関係がうまくいかないため、

生計を立てていくことは困難です。

 

対人関係のない仕事など

ないからです。

 

もし、支配-隷属関係によって

生計を立てられたとしても、

その対人関係は問題だらけとなります。

 

支配-隷属関係による人は、

良好な対人関係が

対等な関係であることを考慮すると、

自分が相手に隷属するか、

自分が相手を隷属させるか、のどちらかの

関係しか持つことができないため、

良好な対人関係がありません。

 

自身が安心できる関係は、

自分が相手を隷属させる関係ですが、

隷属させられる側はなので、

その関係から抜け出そうとします

 

自分の安心を続けるには、

相手が関係を抜け出すことを

阻止し続ける必要があり、

そうしたやりとりが続けば続くほど、

問題が問題を呼び、

大変なこととなっていきます。

 

 

そして十分な繁殖をしなければ、

人はやがて死ぬ存在ですから、

やがて滅びてしまいます。

 

子孫を生み出すことで

命は今日までつながってきたのです。

 

 

現代においては、

”十分な繁殖”とは直球すぎて

ちょっと厳しい言葉に感じる方も

いるかもしれません。

 

だから子孫の心配については、

自身の子どもと限定せずとも、

分業、勤勉の大切さを伝えることで、

分業、勤勉を次の世代へと

つなげていける、とすることで、

補償もしていけると感じられます。

 

このあたりは人それぞれなので、

無理にアドラーの言葉通りにせずとも、

自分に合った共同体感覚による方法

見つけていくことがよいでしょう。

 

 

 

 

 

お読みいただき、

ありがとうございます。

 

プロコーチ11年目、常楽でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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