■愛する方法の一つ

相手の話を
「自分の話」ではなくて
「相手の話」として聞くと
相手を愛することができます。

すなわち、
とても大切に扱うことが
できるわけです。

例えば、相手が、
「私は甘いものが好きです」
話してくれたとします。

その話を「自分の話」として
聞くと「だから何?」みたいに
なります。

しかし、その話を
「相手の話」として聞くと
「そうなんですね、
あなたは甘いものが
好きなんですね」

みたいになります。

つまり、
「自分の話」として聞くと
相手を緊張させる方へ進み、
「相手の話」として聞くと
相手を安心させる方へと進みます。

相手を安心させる方へと
自分の力を使うこと、
それは「愛する」と同じです。

■「自分の話」として聞く場合

相手の話を聞くことは、
今の自分の時間と力を
その相手にそそぐ、つまり、
独占させることです。

短くてもそれは、
自分の貴重な人生の一部であり、
命の一部です。

そんな有限で大事なものを
相手に提供するなら
それなりの見返りがないと
自分の生存可能性が低まります。

つまり、
相手の話を聞いて
得るものがなければ
人生の一部を無駄に浪費する
ことになります。

相手の話が
情報として有用だったり
娯楽として有用だったりすれば、
その相手の話は
自分の役に立つ、つまり、
得るものがあるため、
その話を聞き続けることは
何も問題になりません。

むしろその情報や娯楽によって
自分の生存可能性の高まりを
感じるなら、
もっと聞きたいとすら
感じるでしょう。

一方で、
相手の話が
自分の役に立たないと感じると
その分だけ自分の命を
無駄に浪費することになるので
その話を聞き続けるのは
自分の一部を死なせること
なるため、その死を回避するため
すぐにでも話を聞くことは
やめたいと感じます。

しかしこれは、
自分にしか関心がない人の
場合です。

すなわち、相手の話を
「自分の話」として
聞く人の場合です。

相手の話を「自分の話」として
聞くことは、
その話が自分の役に立つかどうかを
評価して、どう応じるかを判断します


自分の役に立てば
話を続けるし、
自分の役に立たなければ
話を終わらせようとします。

そうすることが
自分が生き延びることに
最も役に立つからです。

でも、自分はそれで
自分の役に立つ話を
する人の相手だけをすれば
よさそうに見えるかもしれませんが、
それでは相手を対等な人ではなく
道具のように見ていること
になります。

道具のように扱われたら
その人と接するときは
緊張してしまいます。

なぜなら、
その人の役に立つと味方で
その人の役に立たないと敵と
されてしまうから
です。

敵とされれば
話を聞いてもらえません。

今は味方とされて
話を聞いてもらえていたとしても、
いつ敵とされるかわからないので
やっぱり緊張します。

どちらにしても
そばにいると緊張するので、
愛されてると感じることは
ありません。

いくら言葉で
「愛してるよ」とか
「君は大切な存在だよ」とか
言われたとしても、
自分は道具と同じで
役に立つときは大切にされるけど
役に立たないときは
大切にされないので、
そんな言葉を簡単に
信じることはなかなかできません。

■相手に関心を向けること

相手の話を
「相手の話」として聞く
ということは、その話が
自分の役に立つ/立たないという
判断とは関係なく、
そのままを聞くことです。

自分の役に立つ/立たないの
判断をするときは、
自分の関心は自分に向いている
状況です。

反対に、その判断を
ぜんぶ横に置いておいて
相手の話を「相手の話」として
聞くときは、自分の関心は
相手に向いている状況です。

自分に関心が向いていると
「だから何?」
「それと私と、どう関係があるの?」
「それで一体、何が言いたいんだ?」
「それで結局、何が訊きたいの?」
みたいになりがちです。

もしくは
「それなら、自分は○○だ」
みたいに相手の話をどけて
自分のことを話したくなります。

しかし、
関心が相手に向いていると、
「今相手が何を話そうとしているのか」
「何を伝えようとしているのか」
「相手の身に何が起きたのか」
「それは相手にとって
嬉しいことなのか、悲しいことなのか」

そんな興味を持ちながら
相手の話に耳を傾けること

なります。

すると自然と
相手の話すペースに
自分を合わせていく感じになります。

相手の話すペースに
自分を合わせる、だなんて、
相手を大切に思っていないと
なかなかできないこと
です。

相手が話をして
安心したり
肩の荷を下ろせた気持ちを感じたり
感情の整理ができたり
することが、自分の”得るもの”と
なっていないとできないこと
です。

もうこれは「」です。

だから相手の話を
「相手の話」として聞く行為は
「愛する」の方法のひとつです。

ただ、
この場合の愛は、
「性愛」は
ふさわしくありません。

博愛とか
敬愛とか
家族愛とか
深い友情とかの方が
ふさわしく感じます。

共に生きる仲間に
ゆっくり丁寧に
自分の時間を使うことに
大きな価値を感じる感覚です。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ10年目、常楽でした。



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