■無理せずとも愛せる

相手を愛する、とは
抽象的な概念です。

相手を大切に思う、
相手を大切に感じる、
相手を大切に扱う、
そんな感じのこと。

どこまでが大切じゃなくて
どこからが大切なのか
絶対的な区切りは存在せず
人それぞれ違います。

その上でもしも、
相手に「君を愛する」と示すとしたら
相手をかなり大切にすること、
すなわち
「自分より相手を優先」を
何があっても絶対にする覚悟を
示しています。

そんな抽象的な「愛する」を
使うときは楽しい時間で終わるでしょうが
その後もその覚悟を維持し続けることは
困難です。

そんな大変な覚悟をせずとも
相手を大切にすることはできます。


■「愛する」に酔うことも

「愛する」と相手に示すと
そんな自分に惚れ惚れとして
自己陶酔してしまいそうです。

「君が大切なんだ」
「君のためならなんでもする」

こんな状況は
「愛する」を自分のために
使っている状況です。

すなわち
「相手より自分優先」な状況です。

「愛する」を言って得られる快楽を
得るために相手を利用している感じ。

「愛する」と示される側も
何がどうなるのかわからなくても
「とにかく大切に思われてるんだ」と
うれしくなってしまいます。

これも厳密に見ると
自分で思い込んでいるだけなので
「相手より自分優先」な状況です。

お互い都合良く解釈すれば
「愛する」を示し、示されるだけで
2人の世界は安らぎに包まれるでしょう。

その後も、その通りであれば。
でもその通りにし続けるのは大変です。


■課題の分離を適切にする

自分が相手を
大切にできているかどうかは
相手の課題なので
相手が決めることです。

例えば
「肩をもむのは相手を
大切にしている証拠」と
自分が思っていたとします。

でも
相手もそう思っているかは
わかりません。

自分が相手の肩をもんだからといって
相手が自分に大切にされたと
感じるかどうかはわかりません。

相手が
「それじゃ大切にされた感じがしない」と
反応してきたら、
それが相手の選んだ答えです。

その相手の課題を
自分が変えようとして
「普通、肩をもまれたら
大切にされたって感じるよ?」
などと伝えたら、相手の課題に
土足で踏み込んだ状況です。

相手を大切にするなら
相手の課題に土足で踏み込むことは
それに反してしまっています。

「自分より相手優先」にすれば

「なるほど、
あなたは肩をもまれることは
大切にされたとは感じないんだね」と
相手のことを理解できます。

その上で
「肩もみじゃなくて
何されたら、うれしい?」と
相手の情報収集すれば
相手を大切にする方法が
具体的になっていきます。

「今は放っておいて欲しい」
と言われたら

「わかった。
あっちに居るから
何かあったら声かけてね。」
などと返して
相手の希望通りにすることで
相手を大切にできます。


■私、常楽の経験

私の親は、私に
「あなたは大切な子だよ」とか
「子を愛してない親なんていない」とか
よく言いますが、
彼らは私の話を聞くことがありません。

私が話す言葉を聞かない
という意味ではなく、
私の思うことを肯定しない
という意味です。

なので親は私を大切に
してるつもりでしょうが、
当の私は大切にされたと
感じたことがありません。

例えば幼い私が
「将来は〇〇になりたい」と言えば
「それは無理だよ」と即答する。

表情も暗い感じで
ひどく悲しそう。
本音を言うことは
悪いことなんだと感じます。

親に喜んでもらえない私は
親を喜ばせるためにウソをつきます。

「将来は△△になる」
△△は親の職業です。

すると親はすごくうれしそうな顔で
「そうか、おとうさんとおかあさんは
無理にそうなって欲しいとは
思ってないけど、お前がそう言うなら
やってみると良いんじゃないか。」と
変に控えめな言葉を返してきます。

幼いながらも
吐き気がしたのを
憶えています。

△△と言わされちゃってる自分も
感じてました。

「言う通りにしないと見捨てるぞ」の
脅しもあったので、
頭がおかしくなってた感じです。

こんな感じで
親は常に一定の品質で
「相手より自分優先」で
私に接してました。

これではいくら
「愛する」と示してきても
「相手より自分優先」なので
大切にされた気がしません。

「愛する」と示したいなら
やはり「自分より相手優先」を
実際に行動に移すことです。


■形にすること

「愛する」は
その言葉だけが
一人歩きしがちです。

「愛する」と言うだけでは
「愛する」をしたことには
なりません。

相手を「愛する」なら
それを形にしないと
やったことにはなりません。

その形にする方法が
「自分より相手優先」にすることです。

さらに
自己犠牲を出してまで
「自分より相手優先」するのは
される側が苦しくなりますから、

自分の自立を崩さない範囲で
「自分より相手優先」をすることも
「愛する」をする人の責任です。

そんな「愛する」をされた人は
自分も誰かに「愛する」をしてみたいと
きっと思うことでしょう。

そんな「愛する」の
すてきな連鎖は
起こすことができます。




お読みいただき
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。



《関連記事》
愛してる、禁止
愛されるにふさわしい自分の要件は、まず自分が愛する側にいること。
「愛してる」と言われる側の納得
「愛する怖れ」を越える
「愛は無限」と思ってみると、そうなる
「五戒」を日常に活かす①~不殺生戒