■ゼロから積み上げなおす

既成の価値観を問いなおす、とは
アルフレッド・アドラーの態度を
示している言葉です。

既成の価値観とは
ある社会や文化において
「これは価値がある/ない」と
言われ続けていることです。

言い方を変えれば
「普通、それって善いことだよね」とか
「普通はそんなことしない」とか
言われるようなことです。

何かの基準に照らして
善悪を断ずるときの、
その基準となるのが
既成の価値観です。

アドラーはその基準を
徹底的に疑うことから始めています。

「それは善いと言われてるけど、
本当にそうなのだろうか?」と。

頭ごなしに間違っている、と
決めているわけではありません。

”ゼロ”から改めて
積み上げなおしている感じです。

改めて積み上げ直してみて
「なるほど、今もその通りだ」
となるか、
「なるほど、今は違うな」
となるかを
自分自身を基準にして
確認しているわけです。

だから
古くから〇〇は善い/悪いと
言われている、という理由だけで
今の私たちにとっても
その○○は同様に善い/悪いものだ、
と決めることはしないわけです。

■他人の価値観、自分の価値観

それは
「〇〇さんが善いと言っている」
という理由が即
「自分にとっても善いものである」
とはならない、ということです。

〇〇さんの意見は
ひとつの意見であって
この世界の絶対的な価値観では
ありません。

その意見に賛成/反対できますが、
アドラーは賛成/反対することとは別に
自分自身でも確認する、と
しているわけです。

例えば、
現代の私たちは
普段の生活の中で
「広告」に接しています。

その「広告」は
「〇〇は善いですよ」
「○○は悪いですよ」と
価値観を伝えて
それに同調するとしあわせに
なれそうな気持になるように
作られています。

なぜなら「広告」の機能は
「購買意欲促進」だからです。

そこでその価値観を
そのまま追認してしまうと
購買意欲が高まって
”つい買ってしまう”ことになります。

もちろん、
それで暮らしが豊かになるなら
そのきっかけをくれた「広告」は
躊躇する自分の背中を押してくれた
ありがたい存在です。

しかし、
自分自身でその価値観を
問いなおすことをせずに
「欲しくもないけど買っちゃった」
となると後悔することになります。

100%自分の意志で決めていれば
その結末の責任をとることも
納得できますが、

100%自分の意志で決めずに
決めさせられた感がある場合には
その結末の責任をとることに
納得できなくなります。

既成の価値観に触れたら
それを自分自身を基準にして
問いなおすことは
幸福に生きることに
役立つわけです。



お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ9年目、常楽でした。



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