■邪淫に呑まれないこと

仏教には「五戒」という
在家の(出家しない)人向けに
「守るとしあわせになりますよ」
との約束事があります。

五戒だけに5つありますが
今回はその3「不邪淫戒」

「ふじゃいんかい」と読み、
性に溺れない、
邪淫に呑まれない、
という意味です。



■邪淫とは

性については
非日常的なことであることと
他人と語り合うことが
少ないため、
解釈は人それぞれに
本当にさまざまです。

なので、正解が何か?よりも
「邪淫」と聞いて
感じることが、邪淫です。

性はそもそもすばらしいものです。

性とは性交のみを
意味することではありません。

生命のやりとりを
感じるすべてです。

そこにはさまざまな快楽を
感じることがあります。

例えば
好きな相手から
「好きです」と言われると
うれしい気持ちを感じます。

相手に触れて
相手が喜ぶと
うれしいです。

相手に触れられたくて
相手に触れられると
うれしいです。

子を設けたくて
子を身ごもると
うれしいです。

自分の子が生まれると
うれしいです。

その他あらゆる行為において
自分も相手も同意した上で
行われると
自分も相手もうれしいです。

一方「邪淫」は
相手の同意なく
自分の性を満たそうと
する行為、ということです。

刑法にひっかかるような行為は
もちろんのこと、
相手の同意なく
自分の性欲を満たそうと
することも「邪淫」に
呑まれてしまっています。

「自分より相手優先」の
姿勢であれば
しないようなことを
「相手より自分優先」の姿勢だと
してしまいます。

魅力的な相手と
もっとかかわっていたいからと
必要以上に相手を自分に
向かざるを得ない状況を
作り出すことも
「邪淫」かもしれません。

触れる必要のない場面で
相手の同意なく触れたら
セクハラと言われそうですが
そう言われずとも
それは「邪淫」かもしれません。

立場を利用して
自分の性を満たさない相手を
不利な状況に追い込むぞと
脅すことも「邪淫」かもしれません。

こんな感じで
一方的に
相手自身や相手の物を利用して
自分だけの性的快楽を得ようと
することも「邪淫」です。


■「邪淫」の代わりにすること

「邪淫」をしない代わりに
何をするのか。

それは人それぞれですが、
例えば
特定の相手と性のやりとりをして
お互いに性を満たし合うことです。

特定の相手とのやりとりで
自分の性が満たされていたら
他の誰かを利用しようとは
思いません。

性を満たす、とは
単にオーガズムに達することや
射精することだけではありません。

本当にすべてをゆるしあうような
それぞれ独立しているけど
融合もしているような感覚です。

性を満たすことができると
自分一人の時間も
仕事や学校などの社会的活動も
充実します。



お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。


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