自分が不幸であることを
利用して幸せになろうとする。



矛盾してます。
でも本人には矛盾してません。

なぜなら
「見せる自分」と
「中の自分」とが異なり
それぞれの役割を
果たすことで
目的を成就しようと
しているからです。

その目的とは
相手を支配することで
安心を得ることです。



不幸な人を助けない人は
「ひどい人だ」と
評価を下されがちです。

他人の評価を気にする人は
「ひどい人」と
評価されることを怖れますから
目の前に不幸な人がいたら
助けざるを得ないと思うでしょう。

その性質を利用すると
・自分は「不幸な人」
・その自分を助けない相手はひどい人
という構図をととのえることで
相手の手助けを受けられるわけです。



自分と相手が
一度この構図にハマれば
あとは「不幸な自分」を
示すことで相手は思う通りに
動いてくれるようになります。

もしも
思い通りに動かない場合は
周囲に向けて
「この人ひどいんです」と示し、
周囲からの圧力を利用すれば
相手は思う通りに動いてくれます。

主従関係ができあがります。
怖れによる主従関係が。



幼い頃に母親に言われました。

自分はみんなのために
毎日お買い物に行って
重たい荷物を持って帰る。

それで食事の支度をして
みんなが飢えないように
している。

他にも家事をしている。

誰に頼まれたわけでもなく
自分の意志で
一生懸命にやっているけど
特別感謝されるわけでもない。

そんな母を
困らせてはいけません。

幼い私は
心に衝撃を受けました。



あなたのために
頑張っている人を
困らせてはいけない、と
言われていると思いました。

頼んだわけでもなく、
事前に確認されたわけでもなく、
自分のために頑張る人すべてを
困らせないようにしないと
いけないなんて、
難しすぎます。

第一、困るかどうかは
本人次第であって
私が決めることができません。

すごい無理なことを
言われてると思いました。

どうしていいかもわからず
その後も何かあると
「いけません」と
言われ続ける。

母親が不幸なのは
自分のせいなのに
何をしたら良いのかわからない。

そう信じていたので
苦しかったです。



母親が
私を思い通りに動かすために
「不幸な自分」を利用していると
わかったのは30歳を過ぎてからです。

それまでずっと
私は母親に喜んでもらえない
「ダメな人間」だと確信してました。

何かして
たまたま母親が喜んだときだけ
「ダメな人間でない」と
感じられました。

当時はそんな
支配関係の中にいるだなんて
思ってもみませんでした。



振り返れば
母親は私が支配下から
抜けようとすると
「不幸な自分」を使って
支配関係を維持しようと
してました。

それでも私が
母親に従えない、と
無理に支配下から
抜けようとすると
母親はそれを父親に話します。

すると父親は
結局「見捨てるぞ」と脅すので
見捨てられると生きていけないと
信じていた私は
生き延びるために
再び支配下へ戻ります。

支配体制を維持する仕組みを
二重に持っていたわけです。



この構図を理解してからは
支配関係から抜けることが
できました。

母親が「不幸な自分」を
持ち出してくると

不幸かどうかは
見る人によって違います。

あなたはそう思っているけど
自分にはそう思えない。

自分のせいで不幸になるというなら
何をどのように変えて欲しいのか
具体的に話してください、などと
話すようにしました。

すると母親は
鼻白んだ顔をすると
捨てゼリフを言って
立ち去ります。

なんで自分がこんなことを言うのか
お前も私の年齢になればわかる、と。

まあ、
わかったんですけどね。
支配して安心したかったんだ、と。



相手を支配するのは
相手に犠牲を強いることに
なります。

相手の犠牲の上に
手に入れた安心は
一時的なものです。

一時的なので
自分の安心を継続するためには
再び相手に犠牲を
払わせることになります。

そうして支配関係は
苦しさがお互いに
深まっていきます。

「自分の不幸」を使わず
自分が安心できる方法を
相手に示して協力を求める方が
対等な関係だし、
お互いどちらにも犠牲を
強いることもありません。

自分の安心に
相手が協力してくれれば
それは一時的には終わりません。

苦しみよりも
関係の良好さが
深まっていきますね。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。


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