助けを求められたら
助けてあげたい。

でも、
自分を助けて当然、の態度で
助けを求められたら
助けたくなくなる。

だって、
助けるか
助けないかを選ぶのは
こっちの選択だから。




10代の頃の親とのやりとり。

父親「〇〇って、わかる?」
自分「わかると思うよ」
父親「じゃ、これやって」
自分「なんで?」
父親「お前がわかるなら、やってよ」
自分「なんで自分でやらないの?」
父親「こういうのはお前が得意だから」
自分「やだ、今やりたくない」
父親「なんで」
自分「なんでって、なんでも」
父親「なんで」
自分「やりたくない」
父親「わかるならやってよ」
自分「だから、やりたくない」
父親「おとうさんの言うこときいてよ」
自分「だから、やりたくない」
父親「親を助けるのが子供だよ」
母親「そうよ、おとうさんを困らせたらいけません」
自分「......」

(自分が「やる」と言うまで続く...)



今、振り返ってみても
私が「やる」が前提で
いくら「助けて」と言われても
助けたいとは思えない。


自分も相手も
自分自身のことは自分自身が
決める。

それが自然なこと。

無理やり
脅したりして
思い通りにやらせてみても

その後の関係が
良好になっていくことは
ありませんね。


自分の意志を
大切にしてくれる人が相手なら

その相手の役に立つことをすることは
きっとうれしいですよね。


助けてもらえるかどうかは
わからない。

だから「頼む」ことになる。


助けてもらえることが前提なら
それは命令。



数回では影響少ないけど
回数を重ねていけば
関係が良好になるか
悪化していくかは
明らかになっていきますね。


助けを求める方法も
大切にしていきたいですね。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ7年目、常楽でした。



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