上下関係で生きる人は
「上下の上」でいられるように
日夜努力をし続けます。



対等な関係で生きる人には
ない努力です。
なくても生きていけるからです。

でも上下関係で生きる人は
「上下の上」でいるかどうかは
死活問題です。

何が何でも上をとろうとします。

その方法を
アドラー心理学では
5段階あるとしています。



初めは相手に自分を
好評価させることで
上になろうとします。

「褒められたい」という欲を
満たそうとする感じです。

相手が自分を
好評価しない状況が続くと
次の段階に進みます。

それは
共同体の中で目立とうと
することです。

家族や職場、学校や
趣味の集まりなどの
集団の中で目立つことです。

目立つと話題になったりして
特権階級入りできると
信じているわけです。

目立つ人を見る人が下、
目立つ人が上、と
信じているわけです。



目立とうとして
目立つことができないでいると
次の段階に進みます。

次の段階では
権力争いに持ち込みます。

権力争い、つまり
何かいいがかりをつけたりして
言い争ったりする勝負に持ち込んで
そこで勝つことで
相手が下、自分が上、という
構図を作ろうとするわけです。

自分から仕掛けることもしますが
もっと簡単に権力争いに持ち込むため
挑発します。

相手を怒らせれば
そこから争いが始まります。

怒った相手は
こちらが何か言えば
大きなエネルギーを返してくれます。

そこで相手を打ち負かせば
どちらが上か、がよりハッキリします。

そうして権力争いを
しようとするけど
相手が争いに参加しない状況が
続くと次の段階に入ります。

次は「嫌がらせる」です。



何をやっても
怒らなかったりして
自分に本気で向き合わない相手も
「嫌なこと」をすれば
さすがに振り向かざるを得ません。

正々堂々と勝負してきたけど
どうしても勝てないから
奇襲戦法に変えます。

相手が嫌がることであれば
何でもやろうとします。

支離滅裂なやりとりをしたり
相手が嫌がることを言い続けたり
約束をわざとドタキャンしたり
相手の大切なものをわざと傷つけたり。

相手が親だったりして
連帯責任を負う人なら
それを利用して
社会的な問題行動にはしることも。

子が社会的な問題行動をすれば
親は子に向き合わざるを得ないからです。

そうして相手に
強い影響力を持つ自分が上で
影響させられてしまう相手が下、
という構図を深めていこうとします。

しかし、それでも相手が
自分のやったことで
影響を受けない状況が続くと
最後の5段階目に入ります。

それは「自分の無能を証明する」です。



影響の攻守を入れ替えます。

いくら攻めても効果がないなら
相手にいくら攻められても
影響を受けない状況を作れば、

影響を与えられない相手が下、
影響を受けない自分が上、
という状況となり、
自分が「上下の上」になります。

あなたが私に
何を期待しても
ムダですよ。
だって、私は無能ですから。
その無能はあなたには
どうすることもできません。
あしからず。

相手が自分に
何かすることが続く限り
「影響できない」ことで
相手に影響しようとします。

相手が攻めることを
やめようとすると
「こんな自分を放っておくのか。
ひどいやつだな。
今まで言ってたことは
何だったんだ。全部ウソか。」
などと言ったりして
「影響できない」の素である
相手の攻めを続けさせようとします。

人によって手段は異なりますが
「影響できない」を使うことは
共通してます。



私は幼い頃から
「〇〇になりたい」と親に言うと
決まって「それはダメ」と
言われました。

「それなら何ならいいの?」と訊くと
親はあれこれ言いますが
結局は「わからない」
「それは自分で考えること」と
言われていました。

小学校でも
中学校でも
高校生になっても同じ。

自分の希望はダメで、
それなら親の希望は?と問うと
「よく考えてごらん」と
言われてしまい、
考えてから「〇〇がいい」と言うと
「それはダメ」と言われる。
謎が深まるばかり。



親は
ダメと言うのは自信満々だが
何ならいいのか、は空っぽ。

言う通りにしないと
「見捨てるぞ」と言わているので
親に従おうとするけど、
肝心の指示は「自分で考えろ」。

将来の職業は
「自分の好きにすればいい」
と言われるけど

好きな職業を挙げると
「それはダメ」

言う通りにしないと
見捨てることだけは
強調してくる。

言う通りにして
生き延びたいけど、
その「言う通り」を
何度訊いても
親は明確に言わない。

ぐるぐる回るだけで
時間が経って、やがて
大学進学の時期を迎えます。



好評価もされない。
家族で目立とうとしても効果なし。
権力争いでは
いつも「見捨てるぞ」と
脅されてしまうから、勝てない。

ゲリラ戦に入り
「嫌がること」をしまくるが
「迷惑をかけられる親は善」で
「迷惑をかける私が悪」との
構図に持ち込まれ、
「私の悪」よりも「親は善」が
強化されるばかりなので
効果がないと悟る。

もう「自分の無能を証明する」を
やるしかない状況に。



どうしてなのかその理由を
親は説明しませんが、
とにかく私を
大学へ進ませたいことだけは
わかりました。

「なんで大学に行かないといけないの?」
大学進学の意味がわからず
私は親に訊きます。

親は
「他のみんなが行くから」
「行けることに喜びなさい。
世の中には行けない人だっているのだから」
外周ばかりを説明して
本丸である「なんで」の説明は
何度訊いてもしてくれません。

言う通りにしろ
でないと見捨てるぞ、と言うけど

何をするのかは
「自分で考えろ」と言う。

自分で考えてすると
「それは違う」と否定される。

言う通りにしろと言うが
明確な指示がこない不満を伝えると
「親にそんなことを言ってはいけない」と
返ってくる。

言い続けるとまた
「見捨てるぞ」と脅しが始まる。

やりとりをすればするほど
謎が深まるばかり。

精魂尽き果て、あきらめて
「見捨てたいなら、見捨てなよ」と
言うと
「おとうさんはそんなことはしないよ」と
善人アピールが始まる。

親の「自分は善人」のダシとして
私は利用されるだけなのか。



いつしか
「嫌がらせる」をやめて
「自分の無能を証明する」に
移行してました。

勉強は手につかず
学校の成績はボロボロ。

でも大学に行けないなんて
カッコ悪いから
なんとかしなくちゃと
勉強しようとする。

でも自分が無能でないと
親がおかしいと証明できない。

自分は大切、自分は本当は優秀だ
という思いと
親のあなた方がおかしいから
自分が無能だとの証明は
自分が無能でないとできない、
との思いがぶつかり合う。

動くたびに
この身がおろし金で
おろされていくような感覚。

今日一日を
生き延びることで
精一杯な毎日。



大学受験はしてみたけど
全滅。

親よ、
どうだ、全滅だぞ。

あなた方がそんなだから
全滅したんだ。

あなた方の子は
無能だぞ。

あなた方が間違ってるから
こうなったんだ。
少しはわかっただろう?

と思いながらも
「何のために生きてるのか。
自分を殺し続けないと生きられないなんて」
との思いも湧いてくる。

そんな私に親は
「来年もあるよ。
ちゃんと面倒見るから大丈夫だよ」と言う。

無能な子の面倒を見る親は善。
無能なのは親の責任ではなくて
すべて子の責任だから。

なるほど、まだわからないのか。
それなら、と
予備校を登校拒否。

それでも「親の善」を
強化するばかりで
親が「自分が間違っている」と
思うことは皆無でした。

何をやっても
「無能な子の面倒みてる
親の自分は善人」とばかり
言われるだけ。

いいかげん、一緒に考えてよ、と
涙ながらに親に懇願するも
「お前は自分でできる子だよ」
「お前はそんなこと言う子じゃないよ」
「お前は本当は強い子だよ」
などと他人事のまま。

もう自殺して
親に「自分が間違っていた」と
思い知らせるくらいしか
思いついませんでした。

しばらくそんな日々が続いた後に
自殺は意味がないと
思い至ります。



上下関係で生きると
日常的に競争し続けます。

「上下の上」を獲るために
努力をし続けます。

安心や平和を感じるのは
「上下の上」を
獲ったときだけなので
一時的なものに終わります。

一時的に感じても
次の「上下の上」を
獲る活動に入ります。

「上下の上」を獲れないと
5段階を進むことになります。

でも、いくら進んでも
「何もせずとも安心」な状況を
得ることはできません。

それを得られるのは
上下関係ではなく
対等な関係で
人とつながることを
選んだときです。

対等な関係を選び、
日常的に安心や平和を
感じられると
「勝負すること」が
求められるような場面では
上下関係で生きる人にくらべて
高いパフォーマンスを
発揮できます。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。



《関連記事》
上下関係の人の心理その1:好評価されようとする
上下関係の人の心理その2:目立とうとする
上下関係の人の心理その3:権力争いに持ち込む
上下関係の人の心理その4:嫌がらせる
「愛してる」と言われる側の納得