相手がそこにいるのは
当然のことだし、
自然なことです。



そんな相手を
「ないもの」と拒絶すると
関係が良好にならないのも
当然で、自然なことです。

相手の状況や状態によって
その相手の存在を
肯定したり
拒絶したり
変えたくなるのは
相手を支配したい欲に
自分が従属しているためです。



幼い頃から
父親に最も言われた言葉は
「なんでそんなことするんだ!」です。

私の行動の動機や目的を
知りたくて言ってるわけでは
ありません。

父親の予想外のことを
私がすると父親が困るため
自分の支配下に私を置こうと
一生懸命に力を入れると
出てきてしまうのが
「なんでそんなことするんだ!」
の言葉でした。

父親は自分のことは
たくさん言うけど、
私の話はまるで聞こうと
しませんでした。

そんな
一方通行のやりとりばかりなので
関係は悪くなるばかりです。

父親という存在は
私にとって
とても大切なのに、

その父親から
服従を迫られて
関係が悪くなっていくので、

心は板挟み状態で
苦しかったですね。

親は親で
一生懸命「親らしいこと」を
やろうとするのでしょう。

でも、子は子で
親の役に立とうと
一生懸命なのですが
そんな気持ちまで
「ないもの」とされてる気分で
とても悲しかったですね。



「なんでそんなことするんだ!」と
怒りの感情とともに言うことよりも

「それがやりたかったんだね。
どうしてやりたいと思ったの?」

「そうなんだ。それはやると
困る人がいるから、誰も困らせることなく
やる方法を一緒に考えてみようか?」

なーんて訊いてくれて、
私の話を聞いてくれたら
関係は確実に良好になったでしょう。

そう言ってくれたら
私の存在を認めてくれてるようで
関係も対等な感じになりますから。



あるセミナーに行ったとき。

そこで会った人が
私に話してくれました。

「私は多様性って
とても大切だと思う」

そしてこうも
言ってました。

「多様性を認めない人は
ダメだと思う」

なるほど、
自分は多様性は大切と思う。
でも、
多様性を認めない人は
拒絶する、ということですね。

さらに私に向かって
「あなたも多様性を認めないとダメだよ」
と言うやいなや
立ち去っていきました。

「多様性を認めない人」の存在も
認めることが
多様性を大切にしてるって
ことじゃないのかなあ...?

そう思いながら
その人を見送りました。



相手を肯定することは
その相手との良好な関係を
築く基礎になります。

相手の状況や状態にかかわらず
相手を肯定することは
できます。

意図せず間違った相手に
「ふざけんなよ!」などと言って
拒絶するよりも
「間違ったんだね!どうしよう?」と
その相手を肯定する方が
その件の完了は早くなります。

その後の関係も
相手を肯定した方が
関係の良好さは
増えやすくなります。

自分の支配欲、
すなわち「相手より自分優先」の
自分の安心を最優先したくなる欲に
従属してしまうことなく、

「自分は相手を肯定する」を
選べる力を使って
人間関係の良好さを
増やしていくことは、

感じるしあわせをも
ぐんぐん増やしてくれます。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。



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