本当に悪いのは誰か、を
追求することは
しあわせを遠ざけます。

それは
自分は悪くない、を
証明しようとして、
証明できて終わります。

その証明ができて
その欲が満たされても
しあわせが増えることは
ありません。

しあわせを増やすなら
「今自分に何ができるか」を
まっすぐ見ることです。



元配偶者が
家事放棄、育児放棄を
始めた頃に

私は
「放棄された自分は悪くない」
と周りに話していました。

こんな家庭を外部から見たら
「なにあの家庭」と
白眼視されると思っていて

自分や子供まで白眼視されるのを
怖れていたからです。



元配偶者は専業主婦で
家計は自分が支える、という
お互いの役割を認識していました。

その役割をお互いが果たすことで
しあわせな家庭が築かれていく、
そう思っていました。

しかし、
元配偶者は家事も育児も
徐々に放棄し始め、
その度合いは時の経過とともに
増えていきました。



苦しくなる生活は
自分が無能だからじゃない、
そう外部に理解して欲しい、
強く思っていました。

今の生活は
元配偶者の家事放棄や
育児放棄のおかげで
こんなになったんだ、
私のせいじゃない、と。


でも
いくらそんな広報活動をしても
耳を傾けてくれる人は
いませんでした。




親には
「お前に責任がある」と
言われ、

信じていた友人にも
「お前の接し方が悪いから
そうなるんだ」と言われ、

挙句の果てには
有名なカウンセリングセンターで
お金を払って受けたカウンセリングで
「加害者はあなたです」と
言われてしまう始末。

(このカウンセラーは
家庭内暴力は男性しかしないとの
強い偏見を持つ人でした。
これがわかったとき、
罠にかかった気分でした)



自分じゃない、
あの人が悪いんだ。

こんな苦しい状況に
置かれている自分が
どんなにかわいそうな存在か
わかってよ。

そんなことを訴えても
状況は好転しないんだと
とどめを刺された思いでした。



変わらない状況に
そこから切り替えて、
「今自分に何ができるか」を
生活の中心に置くようにしました。

これまでもやってきましたが
まだまだ甘かった、と気づきました。


そこから
できることを積み重ねて
いきました。



すると、風向きが変わったのか
流れが変わったのか

話を聞いてくれる人が現れ、
事態も好転していき、

そしてついに
苦しい家庭を平和に解散することが
できました。



懸命に誰が悪いかに力を注ぐよりも
懸命に今自分に何ができるかを見て
できることから実行することが

しあわせを増やすことに
最も効果的ですね。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ7年目、常楽でした。



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