「やりたいけどできない」
これは対外的に
見栄えを善くする表現。
その本体は
「やりたくない」
ということ。
やりたい、という存在と
できない、という存在が
協力して一つの目的を
実現させている状況です。
それに気づけると
思い悩んで動けない自分から
状況を変えるべく行動を起こせる自分へと
変わっていけます。
アドラー心理学でいう
「全体論」です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210318/08/yurushino/66/25/j/o0640042714911993784.jpg?caw=800)
DV、虐待をする元配偶者と
当時「離婚したいけどできない」と
信じていました。
行政にいくら相談しても
「配偶者間の問題と
子供の福祉の問題は違います。
相手の配偶者がいくら暴力しても
離婚するなら親権は母親です。」
と言われるばかり。
すごい偏見じゃないの、それ...
暴力の証拠を提示しても
解決への選択肢も提示されず、
「原因はあなたにあります。
だから、がんばってください。」と
言われて帰されるだけ。
相談受付けますと言っといて
相談になってないじゃん、と
つっこむことしかできませんでした。
離婚したいけど、できない。
思考と心が綱引きするような
矛盾とか葛藤とか表現されるような
苦しい状況でした。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210318/08/yurushino/f1/c4/j/o0640042614911994083.jpg?caw=800)
自分が楽になりたいなら
離婚すれば解放されます。
何か目的があるから
すぐに離婚をしないわけです。
まず気づいたのは
「優しくされたい」です。
離婚したいけど
できない状況であることを話すと
ほとんどの場合は
その相手から優しくされます。
「大変ですね」
「大丈夫だよ」
「元気出して」
日々、
無視されたり
怒声を浴びせられたり
嘲笑されたりするので、
優しくされることは、貴重でした。
それを目的に行動している自分に
気づきました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210318/08/yurushino/49/d3/j/o0640042714911994558.jpg?caw=800)
家庭に問題があるから
仕事などで成功しなくても
無理ないよね、と見てくれること。
これも目的になっていました。
「自分は本当は、
こんな問題さえなかったら
もっとできる人間なんですよ」
そう訴えている自分がいました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210318/08/yurushino/33/67/j/o0640042014911995477.jpg?caw=800)
子供の命を守ること。
これも目的でした。
元配偶者の怒りが爆発して
子供が殺されるかもしれない。
子供の命の心配は、
当時の心の大半を占めてました。
離婚できない今の状況なら
元配偶者の怒りエネルギーを
適度に発散させて
爆発に至らないようにすることは
なんとかできていました。
毎日会いますから、
何に興味があるのか、
何を考えているのか、
情報を得ることができます。
他の方法は
子供の命を守れるかどうかは
わかりませんが、
今の方法なら守れるはず。
守れるなら
婚姻関係を続ける意味もある、
と思っている自分に気づきました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210318/08/yurushino/08/59/j/o0640042614911995789.jpg?caw=800)
振り返ってみると
当時望んでいたことは
すべてではありませんが
ちゃんと実現していたんですね。
自分はダメ(無能)じゃなかった、と
思えてきます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210318/08/yurushino/d2/e9/j/o0640042614911996286.jpg?caw=800)
「やりたいけどできない」は
その表面に意識が向きがちです。
表面を主役にしてしまうと
二律背反の要素がぶつかり合うように
見えてきます。
なので、表面ばかりではなく
「やりたいけどできない」と
言うことによって実現しているのもは
何だろう?などと
「今できていること」を
見つけていくことで、
状況の見え方も違っていきますね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210318/08/yurushino/bd/af/j/o0640042614911996494.jpg?caw=800)
例えば
チョコレート食べたいけど
食べられない、というのは
ダイエットできる自分を目的に
しているからかもしれません。
食べる/食べないは
目的ではありません。
それを目的として扱うと
苦しくなります。
ダイエットできる自分は
チョコレート食べる/食べないだけで
その実現の可否は決まりません。
他にも
実現の可否に関係する要素は
ありますよね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210318/08/yurushino/a4/2d/j/o0640042414911997057.jpg?caw=800)
お読みいただき、
ありがとうございます。
プロコーチ7年目、常楽でした。
《関連記事》
・自分は自分に仕えている。互いにふさわしい自分になる。
・あれが無かったら、よりも、あれが有ったから、の今。
・育ててくれてありがとう、を伝えて役立つならすればいい
・アドラー5原則:全体論
・刺激に味付けをしているのは、私
これは対外的に
見栄えを善くする表現。
その本体は
「やりたくない」
ということ。
やりたい、という存在と
できない、という存在が
協力して一つの目的を
実現させている状況です。
それに気づけると
思い悩んで動けない自分から
状況を変えるべく行動を起こせる自分へと
変わっていけます。
アドラー心理学でいう
「全体論」です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210318/08/yurushino/66/25/j/o0640042714911993784.jpg?caw=800)
DV、虐待をする元配偶者と
当時「離婚したいけどできない」と
信じていました。
行政にいくら相談しても
「配偶者間の問題と
子供の福祉の問題は違います。
相手の配偶者がいくら暴力しても
離婚するなら親権は母親です。」
と言われるばかり。
すごい偏見じゃないの、それ...
暴力の証拠を提示しても
解決への選択肢も提示されず、
「原因はあなたにあります。
だから、がんばってください。」と
言われて帰されるだけ。
相談受付けますと言っといて
相談になってないじゃん、と
つっこむことしかできませんでした。
離婚したいけど、できない。
思考と心が綱引きするような
矛盾とか葛藤とか表現されるような
苦しい状況でした。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210318/08/yurushino/f1/c4/j/o0640042614911994083.jpg?caw=800)
自分が楽になりたいなら
離婚すれば解放されます。
何か目的があるから
すぐに離婚をしないわけです。
まず気づいたのは
「優しくされたい」です。
離婚したいけど
できない状況であることを話すと
ほとんどの場合は
その相手から優しくされます。
「大変ですね」
「大丈夫だよ」
「元気出して」
日々、
無視されたり
怒声を浴びせられたり
嘲笑されたりするので、
優しくされることは、貴重でした。
それを目的に行動している自分に
気づきました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210318/08/yurushino/49/d3/j/o0640042714911994558.jpg?caw=800)
家庭に問題があるから
仕事などで成功しなくても
無理ないよね、と見てくれること。
これも目的になっていました。
「自分は本当は、
こんな問題さえなかったら
もっとできる人間なんですよ」
そう訴えている自分がいました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210318/08/yurushino/33/67/j/o0640042014911995477.jpg?caw=800)
子供の命を守ること。
これも目的でした。
元配偶者の怒りが爆発して
子供が殺されるかもしれない。
子供の命の心配は、
当時の心の大半を占めてました。
離婚できない今の状況なら
元配偶者の怒りエネルギーを
適度に発散させて
爆発に至らないようにすることは
なんとかできていました。
毎日会いますから、
何に興味があるのか、
何を考えているのか、
情報を得ることができます。
他の方法は
子供の命を守れるかどうかは
わかりませんが、
今の方法なら守れるはず。
守れるなら
婚姻関係を続ける意味もある、
と思っている自分に気づきました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210318/08/yurushino/08/59/j/o0640042614911995789.jpg?caw=800)
振り返ってみると
当時望んでいたことは
すべてではありませんが
ちゃんと実現していたんですね。
自分はダメ(無能)じゃなかった、と
思えてきます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210318/08/yurushino/d2/e9/j/o0640042614911996286.jpg?caw=800)
「やりたいけどできない」は
その表面に意識が向きがちです。
表面を主役にしてしまうと
二律背反の要素がぶつかり合うように
見えてきます。
なので、表面ばかりではなく
「やりたいけどできない」と
言うことによって実現しているのもは
何だろう?などと
「今できていること」を
見つけていくことで、
状況の見え方も違っていきますね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210318/08/yurushino/bd/af/j/o0640042614911996494.jpg?caw=800)
例えば
チョコレート食べたいけど
食べられない、というのは
ダイエットできる自分を目的に
しているからかもしれません。
食べる/食べないは
目的ではありません。
それを目的として扱うと
苦しくなります。
ダイエットできる自分は
チョコレート食べる/食べないだけで
その実現の可否は決まりません。
他にも
実現の可否に関係する要素は
ありますよね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210318/08/yurushino/a4/2d/j/o0640042414911997057.jpg?caw=800)
お読みいただき、
ありがとうございます。
プロコーチ7年目、常楽でした。
《関連記事》
・自分は自分に仕えている。互いにふさわしい自分になる。
・あれが無かったら、よりも、あれが有ったから、の今。
・育ててくれてありがとう、を伝えて役立つならすればいい
・アドラー5原則:全体論
・刺激に味付けをしているのは、私