「やりたいけどできない」

これは対外的に
見栄えを善くする表現。

その本体は
「やりたくない」
ということ。

やりたい、という存在と
できない、という存在が
協力して一つの目的を
実現させている状況です。

それに気づけると
思い悩んで動けない自分から
状況を変えるべく行動を起こせる自分へと
変わっていけます。

アドラー心理学でいう
「全体論」です。




DV、虐待をする元配偶者と
当時「離婚したいけどできない」と
信じていました。

行政にいくら相談しても
「配偶者間の問題と
子供の福祉の問題は違います。
相手の配偶者がいくら暴力しても
離婚するなら親権は母親です。」
と言われるばかり。
すごい偏見じゃないの、それ...

暴力の証拠を提示しても
解決への選択肢も提示されず、
「原因はあなたにあります。
だから、がんばってください。」と
言われて帰されるだけ。

相談受付けますと言っといて
相談になってないじゃん、と
つっこむことしかできませんでした。


離婚したいけど、できない。
思考と心が綱引きするような
矛盾とか葛藤とか表現されるような
苦しい状況でした。



自分が楽になりたいなら
離婚すれば解放されます。

何か目的があるから
すぐに離婚をしないわけです。


まず気づいたのは
「優しくされたい」です。

離婚したいけど
できない状況であることを話すと
ほとんどの場合は
その相手から優しくされます。

「大変ですね」
「大丈夫だよ」
「元気出して」

日々、
無視されたり
怒声を浴びせられたり
嘲笑されたりするので、
優しくされることは、貴重でした。

それを目的に行動している自分に
気づきました。



家庭に問題があるから
仕事などで成功しなくても
無理ないよね、と見てくれること。

これも目的になっていました。

「自分は本当は、
こんな問題さえなかったら
もっとできる人間なんですよ」

そう訴えている自分がいました。



子供の命を守ること。
これも目的でした。

元配偶者の怒りが爆発して
子供が殺されるかもしれない。
子供の命の心配は、
当時の心の大半を占めてました。

離婚できない今の状況なら
元配偶者の怒りエネルギーを
適度に発散させて
爆発に至らないようにすることは
なんとかできていました。


毎日会いますから、
何に興味があるのか、
何を考えているのか、
情報を得ることができます。

他の方法は
子供の命を守れるかどうかは
わかりませんが、
今の方法なら守れるはず。

守れるなら
婚姻関係を続ける意味もある、
と思っている自分に気づきました。



振り返ってみると
当時望んでいたことは
すべてではありませんが
ちゃんと実現していたんですね。

自分はダメ(無能)じゃなかった、と
思えてきます。




「やりたいけどできない」は
その表面に意識が向きがちです。

表面を主役にしてしまうと
二律背反の要素がぶつかり合うように
見えてきます。


なので、表面ばかりではなく
「やりたいけどできない」と
言うことによって実現しているのもは
何だろう?などと

「今できていること」を
見つけていくことで、
状況の見え方も違っていきますね。



例えば
チョコレート食べたいけど
食べられない、というのは
ダイエットできる自分を目的に
しているからかもしれません。

食べる/食べないは
目的ではありません。

それを目的として扱うと
苦しくなります。

ダイエットできる自分は
チョコレート食べる/食べないだけで
その実現の可否は決まりません。

他にも
実現の可否に関係する要素は
ありますよね。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ7年目、常楽でした。



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