刺激に対して
反応する。

例えば
皮肉なことを、言われた。

それに対して
むかつく!とか
そんなことしか言えないなんて
かわいそう、とか。


どんな反応をするかは
その刺激の味付け次第。

その味付けは、
誰でもなく
自分自身がしています。



私は、
幼い頃より
ずっと父親に
「それじゃ困る」と
言われて育ちました。


それじゃ困る、とは
父親の希望通りに
私がしないことは
いけないことだ、
という意味です。



悪いことをした覚えはないし
父親を不快にさせたいとも
思っていなかった。

むしろ喜んで欲しいと
思っていました。


しかし、
ことある度に
「それじゃ困る」と
言われます。



何が悪いのか、は
訊いても教えてくれません。

幼い頃は
どう言ったらいいのかが
わからなくて
ただ「ごめんなさい」と
答えるのが精一杯でした。


小学生になると
状況が客観的に
見られるようになってきます。

そこで、どう考えても
私は悪くないと思い、
すこし食い下がります。

「それじゃ困るよ」
「何が悪いのか教えて」
「だから、それじゃ困るって言ってるんだ」
「何が悪いのかわからないから教えて欲しい」
「そんなのちょっと考えればわかるでしょ」
「わからない」
「わからないなんて、おかしいね」
「...(言葉が出なくなる)」
「今後はちゃんとしてね」
「...」
「ね」
「...」
「ねって言ってるんだ。わかったの?」
「(わかんない。でも、わかんないと言ったら
この意味不明な時間が続くだろう...)」
「答えてくれなくちゃわからないじゃないか」
「(また私が悪いことになってる...もうやだ)
...わかりました」
「わかったら、今後はちゃんとしてね」
「...」




まだまだ対等な味付けは
わからないので、できない状況です。

母親にこの状況を伝えても
「おとうさんを困らせてはいけません」と
一刀両断されて、痛いだけ...



高校生になると
それなりに認識できるようになるので
もっと食い下がります。


「それじゃ困るよ」
「何がダメなのか教えてよ」
「そんなの言わなくてもわかるでしょう」
「言わなくちゃわからない」
「おかしいね、そんなの」
「何が悪いのかわからないと直せません」
「それじゃ困るよ。よく考えなさい。」
「わからない」
「よく考えればわかるから、考えてみて」

何がやりたいのか
わからないやりとり...
解放されるのは早くなったが
相変わらず悪者にされるだけ。




20歳を過ぎると
やりとりしても
意味不明に拘束されるだけなので
「それじゃ困る」と言われると
とっとと逃げてました。




その後、
苦しい婚姻生活の中で
心の勉強をし始めます。

そのおかげで
苦しい婚姻生活を
終えることができました。

そこで培った知識や
認識する力で
とうとう父親の
「それじゃ困る」を
克服することができました。

それは
30代後半でしたね...




「それじゃ困るよ」

「それなら困ればいいんじゃない?」

「困るって言ってるんだ」

「困りたいから困ってるんでしょ?
やりたいことができているから
よかったじゃない」

「そんなバカな話があるか!」

「バカも何も、何か直して欲しいなら
それを言わなくちゃわかるはずないでしょ」

「困ることをしないでって言ってるんだ」

「何が困ってるの?」

「そんなのちょっと考えたらわかるでしょ」

「何考えてるのか、思ってるのかは
言ってくれなくちゃわからないよ」

「おかしいこと言うね」

「今俺も困ってるんだけど、わかるの?」

「わかるわけないでしょう」

「ほら、わからないじゃない。俺も同じ」

「話にならない」

「うん、だから、もう終わり」

「...(怒って顔が赤くなるが言葉がでない)」




そんなやりとりが
何回も繰り返されて、

何回続いたかわからないけど
父親も自分が何しているのか
ようやく理解したようで
会話が変わりました。


「それじゃ困るよ」

「何が」

「あの...ええと、〇〇が」

「それで?」

「〇〇は、しないで欲しい」

「なんで?」

「あの...ええと、嫌だから」

「それじゃ〇〇を□□にするのは?」

「あの...ええと、そういうことなら...」

「じゃ、そういうことで」

ようやく
対等な味付けができました。




父親は
「それじゃ困る」と言うと
皇帝の勅命かのように
家族が従うので、
それにどっぷり依存していた。

家族以外にもするから
人が寄り付かない。

しかし家族は
離れられない関係。

その家族相手なら
いくらやっても
離れていかないから
安心して好きなだけできる。

その上に
悠々とあぐらをかける快楽を
一人愉しんでいた。

もうこれ、DVだと思う。



こんなことは本来、
本人が
生きていく中で
人と接する中で
学んでいくものです。

学んだことを
子供に共有することで
その学びは役立ちます。

それを子供から
学ぶまでわからないなんて
人間関係をナメてる感じです。



刺激の味付け次第で
反応も変わります。

「それじゃ困る」の刺激に対して

「それを言わせる自分は悪人」
となるか

「この人は何か問題を抱えている」
となるか

自分で選んでいるんですよね。


コミュニケーションでの味付けは
いつも対等でありたいですね。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ7年目、常楽でした。



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