自分は
親にお願いして
生まれさせてもらった
わけじゃない。

でも、
育ててくれて
うれしい気持ちなら
「ありがとう」と
感謝を伝えたい。

それが生きる力に
なるから。

でも逆に、
自分の生きる力を
そぎ落とすようなことに
なるくらいなら

「育ててくれてありがとう」
なんて、言わなくていい。

それは悪じゃない。



以前、あるセミナーで
親との関係を良好にすると
人生よくなるよ、と
勧められた。

え?
でも私は
親から性的に
イヤなことされたんだけど。

感謝なんて
無理ですよ。


それでも
ダマサレタと思って
やってみるといいよ。

絶対よくなるから。


あんまり強く勧められるから
おろし金で
この身をおろすような思いで
感謝を伝えてみた。

「育ててくれてありがとう」

言った後、涙が止まらなかった。

それは
感謝を伝えられたからじゃない。
自分がかわいそうすぎるからだ。

親は
勘違いして
自分が感謝されたと思ったようで
エロい顔して喜んでた。

この瞬間も
大切な自分をささげて
親を慰めることになってしまった。

この身も心も
おろし金でおろした上で
ズタズタに切り裂いたような
ひどい状態だった。



やってみたわかったけど
「やりたくないなら、しない」
でいいんだ、と心の底から
感じた。

これが、このやりとりでの学び。
痛すぎる学び。

ごめん、自分。
やってしまったから
もう遅いけど、
本当にごめん、自分。




圧倒的に情報量の差がある子を
癒しの道具として
一方的に利用する親。

からかったり
嘲笑したりするくらいなら
傷も深くはならなさそう。
じゃれ合ってるくらいな感じ。

でも、それが性的なことになると
一生、死ぬまで影響するような
深い傷を子に負わせることになる。
一回で致命傷レベル。


後ろを人が通るだけで
いきなり触られるかもしれないと
怖れてしまう。

いきなり近づかれると
何かされるかもと
身構えてしまう。

今度こそ自分を守るんだ。
その決意があるから
簡単に緊張を解くことができない。

こんな自分は
特有の気を発しているのか
変な人を引き寄せる。

たまに遭遇するので
やっぱり警戒は
必須事項になる。



常に警戒しているから
安心にあこがれる。

安心できるのは
信頼できる人と一緒のとき。

触られてうれしい人と
一緒にいるとき。

でも
いつも一緒じゃないから
相変わらず緊張の日々。


一緒に居られるときに
つい甘えたくなってしまう。

やるすぎると迷惑かけてしまうから
自制心をはたらかせるため、
やっぱり緊張は必要になる。



こんな状況で
「育ててくれて、ありがとう」
なんて思えないし
言えない。

親との関係が平和になると
しあわせになりやすいとは思う。

でも、親がその平和を乱した。
嫌な思いをさせられた相手に
感謝するのは難しい。

もっと違う扱いを
して欲しかった。




親に大切にされた人は
自然と親を大切に思う。

親に大切にされなかった人は
自然と親を大切に思わない。

それが自然。

だけど、過去によらずに
親を大切にすることが善
育ててくれたことに感謝するのが善
と言う人がいる。

それはその人の善であって
私やあなたの善ではない。

自分の善と
その人の善が
たまたま一致することもあるし
違うことだってある。

違っても
何も問題にはならない。



だから
もしあなたが
親に感謝できなかったり
「育ててくれてありがとう」なんて
言えなかったりしても

それは因果応報
過去に何かがあった結果
そうなっているだけ。


そこから
関係を改善していきたいのか
他のことに力を注ぎたいのかは
あなた自身の自由。

何を選ぶかは
あなた自身が決めることで
他の誰かが決めることじゃない。



感じる自分を大切に
正直に柔軟に
生きていけたら、
もっとしあわせに
なっていけそうですよね。



お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ7年目、常楽でした。


《関連記事》
元に戻すんじゃない。それは「復元」という名の新築。
やさしくされるのは、やさしくしているから。
あなたは今までベストを尽くしてきただけ
見える善悪について
もっと大変な人がいるよ、と言われたら