悲しいときは
悲しい。

苦しくなったりして
つらくなる。

行動を起こす気に
ならなかったりして

ただただ
感じる悲しみの波が
通り過ぎるのを
辛抱強く待っている。

不幸な時間?
パッと見はそうかも。

でも、その後ろで
喜びのタネは確実に育っている。



悲しみと
「差」「違い」「緩急」が
あるから喜びは感じられる。

例えば
今生きている喜びは
死ぬことの
悲しい気持ちを想像すると
感じられる。



悲しいことがあったら
悲嘆に暮れる。

一瞬が永遠と思うような
時間を過ごす。

大切な時間だから
そこに身を置いて
違いが起きるのを待つ。


この時間の中で
喜びのタネは育ちます。



悲しみがないこと。
それは、うれしいですよね。

でも
何が悲しみなのかが
わからなければ
悲しみがないことを
認識することはできません。


「犬がいない」と言われたら
「犬」を思い浮かべます。

「叩かれない」と言われたら
「叩かれる」を思い浮かべます。

「奪われない」と言われたら
「奪われる」を思い浮かべます。


「〇〇ない」は
〇〇がわかることが前提です。

だから、悲しみも同じ。



いろんな悲しみを知る人は
いろんな悲しみがない世界が
見える。

それが見えると
いろんな悲しみがない世界に
今、生きてる喜びも
感じられますね。



恋人とけんかして
恋人を失いそうになったとき
恋人がいない世界を感じる。

その感覚が確かであればあるほど
恋人と一緒にいられるしあわせも
確かに感じたりする。


あんまり積極的に
欲しいと思うことはないけど

悲しみは
そういう心の栄養を
補ってくれる
大切なものなんですよね。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ7年目、常楽でした。


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