家族に
「そこに居て良いよ」と
言ってみましょう。

同時に自分の居場所も
その家庭に感じられます。




同居しているのに
自分の期待に応えないからといって
「お前はダメだ」と否定すると
家庭が苦しくなってしまう。

だって、家庭に居るためには
一定の条件を満たさないといけなくなるから。




自分には興味があって
努力も重ねてうまくできるようになった。

だから、
「それができる」という条件を
自分は満たしている。

しかし、家族メンバーで
満たしてない人がいるから
その人は
・できるように自分に努力を見せるか
・自分の軍門に下って全部言うとおりにするか
どちらかしなければ
家族メンバーと認めない。


うわ、こりゃ苦しいはずですよね。

これじゃ
認めない、と言ってる当の本人も
自分以外の人が定める条件を
満たしていなければ
居場所がなくなってしまいますね。




でも、その条件を定められる人が
自分以外いないようにすれば
自分は安心です。

あの手この手を使って
家族の参加条件を自分だけが決めて
他の人が決める条件を排除する。

日本は民主主義のはずですが
範囲を家族まで狭めると
封建主義となっているところも
まだあるかもしれません。




言葉では
「家族みんなが大事だよ」
「家族はみんな平等だよ」
なんて民主主義を唱えておきながら
「自分に従わないヤツは家族じゃない」
と封建主義を実施する。

する側も、される側も、これじゃ苦しいです。




だから
家族の参加条件は
無条件であることが大切ですよね。

それを示す言葉が
「そこに居ても良いよ」です。




家族って誰か特定の人の所有物じゃない。
家族メンバー全員でつくるもの。
誰かが他の誰かを排除するとかしないとか
そもそもそんな考え方の入りようがないもの。

そこに居ても良いのは当然なのだけど
いつも憶えていられるように
言葉にして「そこに居て良いよ」と
お互いに言ってみる。

少し長いけど
「そこにいてくれて、ありがとう」
でもいいですよね。



家庭を
家族メンバー全員にとって
居心地の良い場所にする工夫、
していくのって、大切ですよね。


お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ7年目、常楽でした。


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