勘違いした本人としては
「勘違いさせられた」かのような
不可抗力感があります。
それを自分以外のせいにせず
自分のせいとする人には
近づきやすいです。
さらには
助けてあげたくなっちゃったり。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20201031/08/yurushino/ae/d7/j/o0640042614843333058.jpg?caw=800)
勘違いして
望まない結果となったとき
それは自分の選択ではないと
したくなります。
だって、望んでないから。
でも、
選択は間違いなく自分でしています。
切ない状況ですよね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20201031/08/yurushino/b3/f0/j/o0640042714843333120.jpg?caw=800)
勘違いして
「自分は悪くない」と自己主張するのは
自由です。
でも、それを横で聞いていると
「なんで助けてくれなかったんだ」かのように
責められてる感じがしてきます。
「自分は悪くない」
とは
「自分以外の誰かが悪いはずだ」
と言っていることになります。
誰が悪い、よりも
今からどうするか、を
話してくれると安心できるが
そうならない。
その「悪い誰か」が自分になったらどうしよう
と不安になります。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20201031/08/yurushino/c5/ae/j/o0640042714843333188.jpg?caw=800)
言ってる本人は
「誰かを責めるつもりはない」と思っていても
聞いてる相手はそう思えないでしょう。
そんな行き詰ったような状況でも
その出来事自体を上手に処理する方法があります。
それが「コメディにしてしまう」ことです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20201031/08/yurushino/0e/72/j/o0640041714843333236.jpg?caw=800)
以前、折り畳み傘を持って出かけた時。
雨が降ってきたので傘を出そうと
カバンの中を探ってみると
なんと2本入ってる!
1本はいつも入れてる傘。
もう1本は、天気予報を見て
「傘持っていかなきゃ」と思って入れた傘。
カバンに入れた傘は1本、と
勘違いしました。
なんだよ~
使わない1本分、損した~
と瞬間、感じました。
同時に
「誰かに貸せる」と感じたときに
「誰かの役立つ可能性」にわくわくしました。
結局、誰かに貸すことなく
自宅まで持って帰りました。
でも、カバンの重さは、心地よいものでした。
この話を人にしたら、
笑ってくれました。
笑ってくれたので、うれしかったです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20201031/08/yurushino/85/73/j/o0640045414843333328.jpg?caw=800)
こう思うと
勘違いが派手であればあるほど
笑いも大きくなるのだろうと
自分の中でつながり、
できるだけ勘違いは減らしたいけど
もしあったとしても
損はしない、という
自信を感じられるようになりました。
勘違いしても
コメディにしてしまえば
その勘違いは、役に立つものになりますね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20201031/08/yurushino/4f/f0/j/o0640048014843333392.jpg?caw=800)
お読みいただき、
ありがとうございます。
プロコーチ7年目、常楽でした。
《関連記事》
・「失敗」と書いて「おもいで」と読む
・あなたは何も悪くない
・この言葉、相手はどう感じるか
・安易な否定より、肯定に手間をかけてみる
・コーチング、とは。7年目にして思うこと。
「勘違いさせられた」かのような
不可抗力感があります。
それを自分以外のせいにせず
自分のせいとする人には
近づきやすいです。
さらには
助けてあげたくなっちゃったり。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20201031/08/yurushino/ae/d7/j/o0640042614843333058.jpg?caw=800)
勘違いして
望まない結果となったとき
それは自分の選択ではないと
したくなります。
だって、望んでないから。
でも、
選択は間違いなく自分でしています。
切ない状況ですよね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20201031/08/yurushino/b3/f0/j/o0640042714843333120.jpg?caw=800)
勘違いして
「自分は悪くない」と自己主張するのは
自由です。
でも、それを横で聞いていると
「なんで助けてくれなかったんだ」かのように
責められてる感じがしてきます。
「自分は悪くない」
とは
「自分以外の誰かが悪いはずだ」
と言っていることになります。
誰が悪い、よりも
今からどうするか、を
話してくれると安心できるが
そうならない。
その「悪い誰か」が自分になったらどうしよう
と不安になります。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20201031/08/yurushino/c5/ae/j/o0640042714843333188.jpg?caw=800)
言ってる本人は
「誰かを責めるつもりはない」と思っていても
聞いてる相手はそう思えないでしょう。
そんな行き詰ったような状況でも
その出来事自体を上手に処理する方法があります。
それが「コメディにしてしまう」ことです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20201031/08/yurushino/0e/72/j/o0640041714843333236.jpg?caw=800)
以前、折り畳み傘を持って出かけた時。
雨が降ってきたので傘を出そうと
カバンの中を探ってみると
なんと2本入ってる!
1本はいつも入れてる傘。
もう1本は、天気予報を見て
「傘持っていかなきゃ」と思って入れた傘。
カバンに入れた傘は1本、と
勘違いしました。
なんだよ~
使わない1本分、損した~
と瞬間、感じました。
同時に
「誰かに貸せる」と感じたときに
「誰かの役立つ可能性」にわくわくしました。
結局、誰かに貸すことなく
自宅まで持って帰りました。
でも、カバンの重さは、心地よいものでした。
この話を人にしたら、
笑ってくれました。
笑ってくれたので、うれしかったです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20201031/08/yurushino/85/73/j/o0640045414843333328.jpg?caw=800)
こう思うと
勘違いが派手であればあるほど
笑いも大きくなるのだろうと
自分の中でつながり、
できるだけ勘違いは減らしたいけど
もしあったとしても
損はしない、という
自信を感じられるようになりました。
勘違いしても
コメディにしてしまえば
その勘違いは、役に立つものになりますね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20201031/08/yurushino/4f/f0/j/o0640048014843333392.jpg?caw=800)
お読みいただき、
ありがとうございます。
プロコーチ7年目、常楽でした。
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・あなたは何も悪くない
・この言葉、相手はどう感じるか
・安易な否定より、肯定に手間をかけてみる
・コーチング、とは。7年目にして思うこと。