勘違いした本人としては
「勘違いさせられた」かのような
不可抗力感があります。

それを自分以外のせいにせず
自分のせいとする人には
近づきやすいです。

さらには
助けてあげたくなっちゃったり。




勘違いして
望まない結果となったとき
それは自分の選択ではないと
したくなります。

だって、望んでないから。


でも、
選択は間違いなく自分でしています。

切ない状況ですよね。




勘違いして
「自分は悪くない」と自己主張するのは
自由です。

でも、それを横で聞いていると
「なんで助けてくれなかったんだ」かのように
責められてる感じがしてきます。

「自分は悪くない」
とは
「自分以外の誰かが悪いはずだ」
と言っていることになります。

誰が悪い、よりも
今からどうするか、を
話してくれると安心できるが
そうならない。

その「悪い誰か」が自分になったらどうしよう
と不安になります。



言ってる本人は
「誰かを責めるつもりはない」と思っていても
聞いてる相手はそう思えないでしょう。


そんな行き詰ったような状況でも
その出来事自体を上手に処理する方法があります。

それが「コメディにしてしまう」ことです。



以前、折り畳み傘を持って出かけた時。

雨が降ってきたので傘を出そうと
カバンの中を探ってみると
なんと2本入ってる!

1本はいつも入れてる傘。
もう1本は、天気予報を見て
「傘持っていかなきゃ」と思って入れた傘。

カバンに入れた傘は1本、と
勘違いしました。

なんだよ~
使わない1本分、損した~
と瞬間、感じました。

同時に
「誰かに貸せる」と感じたときに
「誰かの役立つ可能性」にわくわくしました。

結局、誰かに貸すことなく
自宅まで持って帰りました。
でも、カバンの重さは、心地よいものでした。

この話を人にしたら、
笑ってくれました。

笑ってくれたので、うれしかったです。



こう思うと
勘違いが派手であればあるほど
笑いも大きくなるのだろうと
自分の中でつながり、

できるだけ勘違いは減らしたいけど
もしあったとしても
損はしない、という
自信を感じられるようになりました。


勘違いしても
コメディにしてしまえば
その勘違いは、役に立つものになりますね。



お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ7年目、常楽でした。


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