おはようございます。
プロコーチ7年目、常楽です。


あなたは何も悪くない。

え!?
と違和感感じますか?

でも、やっぱり悪くない。


過去の自分の選択は
善悪で言えば
すべて「善」ですよね。

悪いとわかってやるときは
「必要悪」
「〇〇だからしょうがない」
といって「善」としていたり。

でも、その「善」が
すべての人の「善」ではなくて
自分個人の「善」なので、
他の人の「善」とは違ったりします。

自分が「善」として行動しても
他人がそれを「善」と感じるかは
その人次第ですよね。


だから、
「善」と感じる気持ちと
起こす行動は、別々に扱ってあげたい。


自分「肩もんであげるよ」
相手「今はしないでいいよ」
自分「なんだ、せっかくしてあげようと思ったのに」

こんなような会話を
誰しも一度くらいはしたことあるのでは
ないでしょうか。

肩をもむ=善
その善を拒否する=悪
みたいな評価を下してる感じです。

でも相手からすれば
今、肩をもまれたくないので
断っているだけなのに、責められます。

断る=善
自分を責める=悪
と相手は評価を下すかもしれません。

そうすると
お互いの善悪が違いますから
この場での善悪の立場争いが始まりそうです。


もし、自分の善と相手の善が
違うことも自然なこと、として
お互いが承知の上でコミュニケーションしたら
争いなど、起きそうにありませんよね。

例えば、自分は、
相手の肩をもんであげたら、喜ぶかな?
でも今は必要ないかもしれないから
それなら断ってくれるとうれしい。

相手は、
この人は自分の時間を使って
こちらを喜ばせようとしてくれている。
その気持ちは、感謝をして受け取りたい。
でも、今は必要ないから
ちゃんと断りたい。

こんな気持ちでコミュニケーションできたら
お互いに感謝を感じて、その場を終われそうです。


自分の好意を断られるのは
悲しいですよね。

でも、無理に受け入れてもらって
相手の何かが犠牲になっていくことより
ずっとマシですよね。

そう思うと、
ちゃんと「今、要らない」と
断ってくれることって
ありがたいですよね。


不思議ですね。
「断る」って
「断つ」とも読めるけど
上手にコミュニケーションすることで
「断ると感謝でつながる」ことが
できるんですよね。

こういうことを
すてきなことって、言うのかもしれませんね。


お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ7年目、常楽でした。


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