薄野神社
熊本県山鹿市久原
右側の随神がものすごく特徴的で、表情と、目元がかなりリアル。
つくられた当初から片目なのか年月が経過した後にそうなってしまったのか、最初からそうなのか判断しかねる。
古事記には出てこないが、日本書紀では「天目一箇神 爲作金者」と出てくる。
大国主に国譲りさせた後、タカミムスビが大国主達を祀るにあたって、天目一箇神に金属をつくる役=鍛冶を命じた。
鍛冶が鉄の温度をみるのに片目をつぶっていたり、または片目を失明する職業病があったことから、鍛冶は一つ目とされる傾向があるみたいで、ギリシャ神話の鍛冶巨人キュプロスも一つ目である👁️
本社薄野神社は天目一箇神を祭り一般に一ツ目神社と称する。
肥後国誌に記載されている社殿裏の世止命の池の水生植物群落、春の桜、秋の紅葉など県北の名勝として広く知られている。
今から約千五百年の昔、繼体天皇の四年(五一〇)十一月 高天山の神主若山連の後裔吉田氏が斎き祀ったといい県内屈指の古社である。
現在の神殿は焼失後 元禄六年(一六九三)二月建立したが再び炎上、安永八年(一七七九)再建、拝殿は天明三年(一七八三) 十月 楼門は寛延四年(一七五一)の建立である。
もと旧三玉村の村社であったが昭和二十一年六月宗教法人となった。
境内神社として八坂神社(祭神素盞嗚命、熊野座神社(伊弉冊命)、木幡神社(天忍穂耳命)、稲荷神社(倉稲魂命)、天満宮(菅原道真)を祀る。
昭和二十七年新法人切り替えによって久原の本今田、永田、本霊仙に奉祀する菅原神社三社および催合の天神社を飛地境内神社とした。祭神はいづれも菅原道真公である
伝承によると、往古旧三玉村蒲生の不動岩と旧三岳村彦岳権現が首引きをした時、この地にあってわが子の首引を案じていた母神の目に首引きの大綱の端が当たり一眼をうしなわれたので、その母神を祀って一ツ目神社と称するようになったという。
ここがさ、ちょっと「アレっ」ってなるところ。
母神が一ツ目だし、鍛冶関係ない。
また民俗学上では天目一箇神は古代における鍛冶集団の祀るところであるともいう。
本社を有名にしたのは 寛政のころ(十八世紀)伊勢松坂の 本居宣長の門に学び 肥後の国に初めて国学を導入した社司帆足長秋である。
彼が書写した古事記伝は高く評価され県重要文化財に指定されている また彼が描いた神社絵図も今に遺り荘厳な本社の往時を語っている。
平成三年九月の第十九号台風のため拝殿は倒壊し神殿、楼門、境内社等も多大な被害を受けたので氏子相謀り拝殿並びに篭堂を新築し神殿、楼門、境内社を修復し平成五年四月三日盛大な落成式を挙行した。
首引きの伝承を調べたところ、彦嶽宮のサイトを発見した。
ここの山は彦岳といいますが、俗に権現山と呼ばれています。昔、この頂上に姫龍神を祀る彦岳権現宮があり、この山の2里四方は神領だったといわれています。
この権現と三玉地区にある不動岩とは異母兄弟で、母は実子の不動岩を可愛がっていました。日常の食べ物も不動岩に小豆を、権見には大豆を与えていました。
ある日、母は双方に首引きをするように命じ、買った方に大昔から伝わる、水、火、土の三つの玉を授けるといました。そこでお互いは首に縄をかけ、目を円くして腕を怒らし、かけ声も勇ましく引き合いましたが、大豆を食べていた権現の力が強く、不動岩の首は飛んで久原山の麓に落ちました。(略)
彦嶽宮のと照らし合わせると、ここの神様は姫龍神っぽいな。
姫龍神=一目大明神なんだろう。
天目一箇神を調べると一目連が出てくる。
一目連は天目一箇神と同一視されるけれども、本来は片目が潰れてしまった龍神だそうな。
あ、たぶん同じ現象が起きてるね!
ともかく、ここの神様は一つ目!