英彦山を登っていると、戦国武将の名前が。
鍋島清久は鍋島氏4代目当主。
龍造寺氏の家臣。
清久が幼少の頃、佐賀からわざわざ?、英彦山神宮に参拝に来ていたそうな。
そして、この崖から転落したけど奇跡的に助かった。
これは彦山権現のおかげだ!ってことで、佐賀の徳善院に彦山権現を勧請し祀った。
https://www.city.saga.lg.jp/site_files/file/usefiles/downloads/s26052_20101216043030.pdf
徳善院は、英彦山の山伏が佐賀での活動拠点としたそうな。
稚児落とし
この穴だけ見ても何も分からないけど、こういうエピソードがあると面白いね😆
またしばらく登ると、何やら石に文字が。
下乗
烏(蔦?)葛恐寳…
うん、読めない。
関銭の跡(下乗)
英彦山参拝の信者がここで感謝の気持ちを表すため通行料を納めたところです。
これは現在の入山料と思われます。
また、勅使、大名、高位の人達もここから乗り物(馬、かご等)より降りて徒歩で参拝しなければなりませんでした。
と書いてあるけれど。
関銭の跡
豊臣秀吉が神領を没収したので英彦山の財政が苦しくなり関銭所を設け参拝者よりお金をとっていた。現在の入山料か。
って書いてある👀
ちゃんと内情を書いてくれてて良いね😆👍✨