修験道の求菩提山 | 筑前由紀のプチトリップ

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2024年現在、主に福岡県内をカメラ片手にうろうろ。
着物を着たり着なかったり
たまにバイクに乗ったり
季節の草花を見に行ったり
お寺や神社に行ったりしています。

バスハイクにて、求菩提(くぼて)資料館へ行きました🚌💨

資料館から見た求菩提山

求菩提資料館
福岡県豊前市大字鳥井畑247

で、写真とか沢山撮って記事書いたのだけど、そういや写真は「個人で楽しむ分にはOK」って言われたなぁ、と。
SNSにはあげちゃダメってことかと気付いて、資料館内の写真は自分専用にするとして、風景と文章のみでいかせて頂きますm(_ _)m

求菩提山(くぼてさん)は、福岡県豊前市のほぼ南に位置する、標高782mの山。

英彦山、宝満山とともに九州を代表する修験道の山。

猛覚魔卜仙(もうかくまぼくせん)が開祖と言われている。



私が改めて知って衝撃を受けたのは、猛覚魔卜仙(もうかくまぼくせん)が役小角(えんのおづぬ)より前の人だったこと❗️


「求菩提山縁起」や「求菩提山雑記」に、求菩提山に初めて入ったのは猛覚魔卜仙と書かれている。

ただし、これは江戸時代に書かれたものなので、どの程度正しいかは疑問。


しかしながら、5〜6世紀のものと推定される須恵器の破片が見付かっているので、その頃に求菩提山に人が入っていたことは確からしい。




明和元年(1764年)に書かれた求菩提山の絵図には、500もの山伏の坊(家)があったと書いてある。

最近の研究ではせいぜい100ちょっとじゃないかって話みたいなんだけど、

山伏は家族で住んでいて、資料館にある書物に書かれている家は6人家族だった。

これが平均的な家族かは分からないけど、6人住んでる家が100もあったら600なので、大体それくらいは住んでいたのかもね。




一般家庭ではない、山伏という特殊なお仕事。

檀家を持っていて、定期的に檀家参りして占いをしたり、お札やお薬を売ったりして生計をたてていたんだと。


山伏にもランクがあって、上がる為には千日修行しないといけないとか色々条件がある。

人数制限もあるから、どんなに頑張ってもすぐにはなれず、(先に上のランクになった人が死んだりなどしていなくなるまで)長生きしないとなれなかったりしたそうな。


資料館には、占いに使う亀の甲羅や、呪符や呪矢などがあった。
呪符は、書くべきものをまとめた本があり、それを元に1つ1つ作っていく形式。


この辺りの資料、めっちゃテンション上がった⤴️

私、小学生の頃に「魔女っ子入門」だの魔女関係の本読んだりしてたんだけど、こんな感じのお札っぽいやつとか、魔法陣とか書き写したりしてたなーって思い出された。


あと、煎じて薬にする物達も並んでいた!

そういうのも、魔女っ子入門書に白魔術は薬草を作って使うのよって事で、ハーブとかなんとか書いてあったのを読んだ覚えがある。

全くおんなじだね🧙‍♀️

楽し過ぎる😆😆😆




役小角の掛け軸や像あり。


役小角は、篠栗でお遍路してた時に見かけて覚えた。

飛鳥時代の、一応実在の人物とされていて、修験道の開祖としてよく祀られている。


役小角は前鬼・後鬼を左右に配置した姿でよく描かれるのだけど、前鬼・後鬼が夫婦だってことを今回初めて知った(笑)


明治時代の神仏分離からの廃仏毀釈によって、焼かれたり壊されたりした仏像が多かったそうな。

資料館には、頭と胴体半分と手だけが残る役小角の像。


って、役小角は仏像ではないけど、仏教関係者扱いなんだな🤔


修験道は、山そのものを信仰する古神道と仏教の中でも密教が合わさったものであって、神仏分けられるものではなかったろうに。

でもわりと早い段階で仏教の一派扱いだったっぽい?




修験道は密教が混ざっている。
そして、大日如来は密教の本尊。

廃仏毀釈で腕をもがれた大日如来の像があった。

全部は壊されない例もあったんだなぁと逆にビックリ。

腕がないなんて、ミロのヴィーナスみたい。


手はないけど腕の角度から、左手の人差し指立てて右手で包む智拳印をしていたことが分かる、って説明聞いて、なるほどー!ってなった。

なくても、確かなものとして見えることがあるんだな。


智拳印タイプを金剛界大日如来といって、智を司る。




禅定印または法界定印といわれる手の形のものは、胎蔵界大日如来。

飾りの豪華さではなく手の形で見分けるよ!

慈悲を司るタイプの大日如来。

資料館にあるもの、色的に金属で出来てそうに見えたけど、木製。



(篠栗の)山の中で1番よく見かけた不動明王。

不動明王は大日如来の化身であり、山伏達は自らを不動明王を化身だと考えていたそうな。

「求菩提山は不動信仰が盛んで、山伏の各坊には不動明王が祀られていました」って書いてあった。

「山伏」って職業じゃないにしても、山で修行する人にとって不動明王は自分の化身のような、身近な存在だったんだろうな。



末法思想を背景に作られた経塚。

銅製の筒の中に経典を入れて埋める。

消滅してしまう前に経典を書き残し、未来に現れる弥勒に託そうというタイムカプセル。

だけど、紙である経典は長い時間地中で耐えられず、見る影もない状態になった物が展示されていた。



長期間保存用に、銅板の物も作られている。
求菩提山では全33枚全て、銅の箱に入った状態の物が発見され、国宝に指定された。

本物は九州国立博物館に持って行かれており、資料館にあったのはレプリカ。


いやしかし、そういうものが綺麗に残ってたなんて感動するね✨




ところで。

豊前市のキャラクターは「くぼてん」という、求菩提山にいるというカラス天狗。

わりとしっかりキャラ設定がされている😆




修験の山には天狗がいて、大半は鼻の長い天狗👺

求菩提山のは嘴のあるカラス天狗。


資料館には、木製のカラス天狗の像達が並んでいて、可愛かった😊
(顔はいかついけど、小さいし、3〜4頭身)


カラス天狗達は、次郎坊天狗という名前。

山ごとに天狗の名前が違うんだって!

資料館の方が、◯◯山のは●●、△△山は…て言ってらしたけど、覚えられなかった💦





今回、磐井が鬼として祀られているのではないかっていう綾杉先生の説が発端で、求菩提山にある鬼神社が目的地に選ばれていたのだけれど、いつかの台風の影響で道が悪くなっており、バスで行くのは今後一切無理だろうっていう結論に至ったそうな。

普通自動車なら大丈夫だろうって話なので、行きたい人は個人的にどうぞ、との事。

ううーん。神功皇后ゆかりの地なら1人でも自力で行く努力するけど、それ以外の場所はなぁ。

というわけで、気にはなるけど行く事はなさそう😣


ただ、行けはしなかったけど、その辺りの話をバスの中で直接聞けたのは楽しかった📚

今まで非公開だった事が世に出るよう着々と進んでいるんだとか。

良いなぁ☺️

来年が楽しみですね。


バスハイクで行った先の事でないところでも刺激を受けて楽しい。