●揚子江は今も流れている @犬養健 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

日中戦争を収めようとする和平工作は
イギリス仲介、ドイツ仲介など、様々な
努力がなされたけれど、一番大きいのは
「蒋介石でなく汪兆銘」を通じての和平工作。


コレを始めたのは同盟通信社上海支社長・
松本重治と、国民政府亜洲司長の高宗武。
この本では康紹武と表記されている。
犬養健さんはこの和平工作に加わり、
●松本重治「上海時代」の続きが展開される。





犬養健さんは、なんとなく文筆家として
名前を知っていたけど、
なんと犬養毅首相の三男であった!


犬養毅は中国革命に力を貸していたので
自宅にはよく孫文が滞在していて
健さんは孫文のお膝に乗って、広東土産の
蓮の実の砂糖漬けを口に入れてもらうのが
楽しみだった、って。わぉ! sweet memory!!

孫文の革命を支援した犬養毅と頭山満ら。
蒋介石(右)の亡命も庇護していた。1929年




犬養毅は満州事変の後、首相になり、
天皇陛下の「軍部を抑えるように」とのお言葉
の下、最初に和平工作をしているが、、


孫文の息子である、孫科行政院長(総理大臣)
に密使を差し向け、相談がまとまった
直後に暗殺された。(1932・昭7年)
5・15事件って海軍の青年将校が・・って聞く
けど、実は中国との和平を妨害する
共産党のテロだったりして?


しかも盧溝橋(1937)の問題の「最初の1発」は
共産党が、和平工作をぶち壊すため
死角から両陣営に撃ち込んだ、というのが
真相だそうだ。うわー!





この本の健さんは、政友会の議員になって
いて、近衛内閣の逓信省の参与官。
今なら政務次官補クラス、風見章書記官長
の下で、シナ事変処理をしているのだ。


そして同じ時期、内閣嘱託として
あの共産党スパイ尾崎秀実もいた!
首相官邸の一室を与えられて中国関連の
書類を扱い、「朝飯会」の仲間でもあった!
和平交渉が上手くいかなかったことに
コレ絶対関わってるよね!  やっぱ怖わ~

Wikiには、「たける」となっているけど、
文中でも「ケンさん」と皆に呼ばれている。





汪兆銘は孫文の直弟子で
蒋介石より遥かに先輩なのだが
国民政府では蒋介石総統が軍事を仕切り
副総裁の汪兆銘が外交を仕切る。
一面、ナイスコンビではあるが、
人物的に汪兆銘が素晴らしすぎる所、
蒋介石的には複雑な感情があるらしい。


汪兆銘は、日本との和平を優先しなければ
共産党の勢いに手がつけられなくなる、、と
いう危惧を持っていたし、
孫文の  「日本なくして中国なし、
中国なくして日本なし」の忠実な継承者。



日本に融和的な外交姿勢から、
売国奴と謗られ、度々襲われている。
1935年には、狙撃され銃弾3発の重傷、
1939年にはハノイで就寝中に襲撃、
たまたま秘書とベッドを交換していたので
彼が殺され、汪はまたしても九死に一生。

1935年タイムの表紙になる
汪兆銘(おうちょうめい)、汪精衛ともいう。



これに対し、蒋介石は
張学良に監禁された西安事件以降、
共産党と団結して、抗日を優先する
「国共合作」に転換しており、
さらに、日本の海南島上陸を機に
日米戦を誘発し、戦勝国となってから
後に共産党を駆逐しよう! と考えている。


つまり1939年から日米戦を待っていた!
そりゃ、和平に応じないわけだね。。

てことは、満州事変が日中関係の転機だった
ように、太平洋への野心をチラ見せした
「海南島占領」も同じく最重要案件なのだ!
仏印進駐の2年も前、実は野心も無いのに・・
・・・痛恨の海南島上陸!   目的は、海軍の
中国南部爆撃の為の飛行場確保。1939.2月

汪兆銘と蒋介石




と、犬養さんの現場レポートは
私の知らないことばかり!


初耳といえば、「浙江財閥」も重要ワード。
蒋介石を経済支援していた、
浙江・江蘇省出身の金融資本家のこと。


蒋介石の国民政府は日本軍の快進撃で
南京から漢口、重慶・・と、都を奥地へ奥地へ
移動するんだけど、工場を無理矢理移転
させられる財閥たちの不満が
日本と和平しろ!という原動力となる。


そもそも、この本の主人公である康紹武らを
敵国日本に密航させ、和平に乗り出すのは
そんな浙江財閥だったんだよね。

地図で見ると、海南島はベトナムに近い!
そして移動する首都、南京→漢口→重慶は
浙江省・江蘇省から確かに遠い!




戦争中の二国が戦争を止める!って
とても大変な事なんだなぁ。
敵国と通じる訳だから、露見するだけでも
命を狙われ、屈辱的な和平条件を呑めば
また、売国奴!として命を狙われ、、
暗殺事件はそりゃもう、山ほどあったんだ。


犬養さんもマジ毒殺、襲撃の危機に晒された
し、参謀本部シナ課長の影佐貞昭大佐など
水面下で、人知れず、命を磨り減らして
活動した人が沢山いたのだから、、
「表面に出ている事実」で、我らが事の正否を
判定する、、なんて全くできないや。

蒋介石の気持ち、イギリスの思惑、
現場の雰囲気・・・貴重すぎる当事者の証言。

影佐貞昭大佐を中心とした「梅機関」が
和平工作に奔走した。