こんにちは。
yukaです。
お母さんのシーンに
自分のダメ親ぶりを感じて
いちいち
私はダメだとチクっとする
という話を
昨日のブログで書きました。
そんな
自分の親ぶりを受け入れられない私が
ちょっとだけ
こんなダメな親でもいいのかなと
私の中にある
『親としての当たり前』を
壊してくれたアニメがあります。
今日はそのアニメ
『花咲くいろは』に登場する
主人公・松前緒花(まつまえおはな)のお母さんから
気づいたことをシェアしたいと思います。
公式ホームページです
緒花の母は
世間の目から見れば
「ひどい母親」に
見えるかもしれません。
・約束していた授業参観に来ない
・恋人と夜逃げする
・突然「おばあちゃんの旅館へ行け」と言い出す
親としてあり得ない
そう感じる行動ばかり。
けれど
作品を通して見えてくるのは
「ダメな親」と
一言で片付けられない
そんな気持ちにさせられました。
緒花は
たしかに傷つきながらも
非行に走るわけでも
誰かに依存するわけでもない。
むしろ
しなやかに
たくましく育っていく。
その姿を見ていると
「愛されなかった子ども」の
定型のようなイメージから
解放されるような感覚になりました。
親が『完璧』じゃなくても
『ちゃんと育つ』こともある。
不完全なままでも
誰かを大事に想うことは
できる。
そして
緒花の母は
「私はこうだから」と
自分をどこかで
受け入れているように見えました。
いい親じゃないと責めるでもなく
投げやりになるでもなく
ただ
「自分のまま」でいることを
選んでいたように感じたんです。
(アニメでは心の内までは描かれていないけれど)
私はずっと
「親はこうあるべき」
という思い込みを握ってきました。
なぜなら
『いい親であること”が、私の価値を証明すること』
だったから。
・子どもがすくすく育つ
・子どもがいい子である
・子どもが自慢できる存在である
そうなったとき
「私は価値のある人間だ」
って思えた。
でもそれって、
怖いことだなって思います。
子どもを通して、
自分の価値を証明しようとすること。
いい子でいてくれないと
自分が不安になってしまうこと。
それって、先生も同じ。
「いい子どもがいれば、いい先生になれる」
「だから、子どもをコントロールしたくなる」
私はたぶん、
『価値がないかもしれない自分』を
認めるのが怖かったんだ。
価値がないと感じた瞬間の
体中が痺れているかのような感覚
逃げ出したくなる悲しさ。
でも思うんです。
価値があるとかないとか
そんなものは
ほんとうは幻。
人の価値なんて、
誰かの物差しで測れるものじゃない。
私は私のままで、すでに素晴らしい。
子どもも、そのままで、すでに素晴らしい。
「いい親」
「いい子」
そんな幻の正解を
追いかけるのはもうやめて
ただ、自分を知ろう。
自分の感情に気づこう。
自分の愛を、信じよう。
親として
目に見えるような
愛のある行動を
していない私はダメだ
と責めるんじゃなくて
「私はこういう親」
「私はこれが大事だと思ってる」
「私は私でいいんだ」
そうやって
自分自身の親としての形を
認められたらいいなと思います。
最後までお読みくださりありがとうございます🍀