昨日は、
私の書いた話を
さくらももこさん風にチャッピーに
書いてもらったものを紹介しました。
今日はさらに、それを
私風に書いてもらいました。
🍑 桃と秒で決断する私(ゆかももこ風)
スーパーで桃を見つけた次女が、
「桃食べたい」と言った。
桃は、かわいくておいしい。
けれど私の脳は、値札を見た瞬間にスイッチが入り、
「はい、今日はなし」と一瞬で判断した。
この判断の速さ、
まるで道端で虫を見つけた猫が、
「これは遊ぶやつじゃないな」とスルーするぐらいの速さだ。
たぶん私は、日常のあらゆる選択を、
この“いつもの脳ルート”で決めている。
高いからやめる。今じゃないからやめる。
それはたしかに便利なんだけど、
その便利さの中に、
小さな楽しみを置き忘れている気もする。
もしかしたら、来週の私は、
このルートを外れて、
桃をカゴに入れているかもしれない。
そしてその時、
桃は甘いのか酸っぱいのか、
食べてみないとわからない。
それも、ちょっと楽しみだ。
(ここまで)
こういうのを一瞬で書いてしまう。
私の特徴を学んでくれていて
私風に書いてくれる。
面白い。
これは何人かのエッセイストの方々風にも
書いてもらおうと思って
色々お願いしてみました。
山内マリコさん風
塩谷舞さん風
佐野洋子さん風
森茉莉さん風
ピースの又吉さん風
同じ事実を
こんなふうに表現できるのかと思うと
とても面白いなあと思いました。
以下紹介します。
🍑 桃の値段と私の脳(山内マリコ風)
スーパーで、次女が桃を見つけた。
「桃食べたい」と言う。
値札は580円。
高い、と即座に思った。
あまりに即座すぎて、
たぶん私はそれを考えてすらいない。
ただ、そういうふうにできている。
高いものは買わない。
今じゃないものは買わない。
そのルールは、子どものおねだりにすら適用される。
ルールの優先度は、わりと高めだ。
でも、その瞬間だけは、
「別に買ってもいいかもな」と思った。
買わなかったけれど。
来週もし私が桃をカゴに入れたら、
それはきっと、
何かを変えたくなった日だと思う。
🍑 桃の前で立ち止まる(塩谷舞風)
スーパーの果物売り場。
箱の中で、桃が眠っている。
やわらかな産毛が、光をすくっていた。
「桃食べたい」
隣で、次女が小さな声をこぼす。
値札は580円。
その数字が、私の指先を止める。
数秒のあいだ、
その甘い匂いと、値札のあいだで揺れていた。
けれど、カゴは空いたまま。
帰り道、
夕暮れの風が、ほんの少し桃の匂いに似ていた。
買わなかったのに、
私の中には、その香りが残っている。
🍑 桃なんて高い(佐野洋子風)
スーパーで次女が桃を見つけた。
「桃食べたい」と言う。
はいはい、かわいいね。
でも値札を見たら580円。
あほか、と心の中で思った。
桃なんてね、あれは“高いくせに日持ちしない果物代表”なんだよ。
皮むくのもめんどくさいし、当たり外れが激しい。
なのに、売り場ではあんなに無防備に、やわらかい顔して並んでいる。
もちろん買わなかった。
次女には「また今度ね」と言ったけど、
その“今度”がいつ来るかは、私も知らない。
でも帰り道、
あの桃がほんのちょっと惜しかった。
たぶん、あの無防備さが。
🍑 桃という恋人(森茉莉風)
スーパーの棚に、桃が鎮座していた。
あの、かすかに光を吸いこんだような肌。
産毛の下に潜む、瑞々しい肉の張り。
指先でそっと触れたなら、
柔らかさの奥から、甘い溜息がこぼれそうな——そんな気配がした。
「桃食べたい」と、次女が言う。
その声は、桃の香りのように淡く、私の耳に届く。
値札には、580円とあった。
あまりに現実的で、あまりに無粋な数字。
私はその数字に手を止め、桃に背を向けた。
だが帰り道、
夕暮れの空が、桃の頬のような色をしていた。
私はふと、
触れなかったその肌の温度を、
指先が覚えていることに気づいた。
🍑 桃と来週のこと(又吉風)
スーパーの果物コーナーに、桃が並んでいた。
ひとつひとつ、白い緩衝材にくるまれて、静かに置かれている。
次女が、少しだけ上を見上げるような姿勢で「桃食べたい」と言った。
値札は580円。
その数字を見て、僕は自然に首を横に振っていた。
理由を説明する間もなく、次の売り場に向かって歩き出していた。
桃は、柔らかくて、甘くて、食べればきっとおいしい。
でも、きっとおいしいものを食べなくても一日は終わる。
そうやって、何かを選ばずに通り過ぎることを、僕はずっと繰り返してきた気がする。
帰り道、夕暮れの風が少し冷たくて、
その中に、桃の甘い香りが混じっているような気がした。
来週、もし僕が桃を買うことがあれば、
そのときは何かの気持ちが、少し変わった日かもしれない。
この遊びをして
私も私の言葉を書きたい
そう思ったのでした。
あなたは誰風が好みですか?
私は又吉です。