昨日は、

私の書いた話を

さくらももこさん風にチャッピーに

書いてもらったものを紹介しました。

 

 

 

 

 

今日はさらに、それを

私風に書いてもらいました。

 

🍑 桃と秒で決断する私(ゆかももこ風)

スーパーで桃を見つけた次女が、
「桃食べたい」と言った。

桃は、かわいくておいしい。
けれど私の脳は、値札を見た瞬間にスイッチが入り、
「はい、今日はなし」と一瞬で判断した。

この判断の速さ、
まるで道端で虫を見つけた猫が、
「これは遊ぶやつじゃないな」とスルーするぐらいの速さだ。

たぶん私は、日常のあらゆる選択を、
この“いつもの脳ルート”で決めている。
高いからやめる。今じゃないからやめる。
それはたしかに便利なんだけど、
その便利さの中に、
小さな楽しみを置き忘れている気もする。

もしかしたら、来週の私は、
このルートを外れて、
桃をカゴに入れているかもしれない。

そしてその時、
桃は甘いのか酸っぱいのか、
食べてみないとわからない。
それも、ちょっと楽しみだ。

(ここまで)


こういうのを一瞬で書いてしまう。

私の特徴を学んでくれていて

私風に書いてくれる。

 

 

面白い。

これは何人かのエッセイストの方々風にも

書いてもらおうと思って

色々お願いしてみました。

 

 

山内マリコさん風

塩谷舞さん風

佐野洋子さん風

森茉莉さん風

ピースの又吉さん風

 

 

同じ事実を

こんなふうに表現できるのかと思うと

とても面白いなあと思いました。

 

 

以下紹介します。

 

 

🍑 桃の値段と私の脳(山内マリコ風)

スーパーで、次女が桃を見つけた。
「桃食べたい」と言う。

値札は580円。
高い、と即座に思った。
あまりに即座すぎて、
たぶん私はそれを考えてすらいない。
ただ、そういうふうにできている。

高いものは買わない。
今じゃないものは買わない。
そのルールは、子どものおねだりにすら適用される。
ルールの優先度は、わりと高めだ。

でも、その瞬間だけは、
「別に買ってもいいかもな」と思った。
買わなかったけれど。

来週もし私が桃をカゴに入れたら、
それはきっと、
何かを変えたくなった日だと思う。

 

 

🍑 桃の前で立ち止まる(塩谷舞風)

スーパーの果物売り場。
箱の中で、桃が眠っている。
やわらかな産毛が、光をすくっていた。

「桃食べたい」
隣で、次女が小さな声をこぼす。

値札は580円。
その数字が、私の指先を止める。

数秒のあいだ、
その甘い匂いと、値札のあいだで揺れていた。
けれど、カゴは空いたまま。

帰り道、
夕暮れの風が、ほんの少し桃の匂いに似ていた。
買わなかったのに、
私の中には、その香りが残っている。

 

 

 

🍑 桃なんて高い(佐野洋子風)

スーパーで次女が桃を見つけた。
「桃食べたい」と言う。

はいはい、かわいいね。
でも値札を見たら580円。
あほか、と心の中で思った。

桃なんてね、あれは“高いくせに日持ちしない果物代表”なんだよ。
皮むくのもめんどくさいし、当たり外れが激しい。
なのに、売り場ではあんなに無防備に、やわらかい顔して並んでいる。

もちろん買わなかった。
次女には「また今度ね」と言ったけど、
その“今度”がいつ来るかは、私も知らない。

でも帰り道、
あの桃がほんのちょっと惜しかった。
たぶん、あの無防備さが。

 

 

 

 

🍑 桃という恋人(森茉莉風)

スーパーの棚に、桃が鎮座していた。
あの、かすかに光を吸いこんだような肌。
産毛の下に潜む、瑞々しい肉の張り。

指先でそっと触れたなら、
柔らかさの奥から、甘い溜息がこぼれそうな——そんな気配がした。

「桃食べたい」と、次女が言う。
その声は、桃の香りのように淡く、私の耳に届く。

値札には、580円とあった。
あまりに現実的で、あまりに無粋な数字。
私はその数字に手を止め、桃に背を向けた。

だが帰り道、
夕暮れの空が、桃の頬のような色をしていた。
私はふと、
触れなかったその肌の温度を、
指先が覚えていることに気づいた。

 

 

 

 

🍑 桃と来週のこと(又吉風)

スーパーの果物コーナーに、桃が並んでいた。
ひとつひとつ、白い緩衝材にくるまれて、静かに置かれている。
次女が、少しだけ上を見上げるような姿勢で「桃食べたい」と言った。

値札は580円。
その数字を見て、僕は自然に首を横に振っていた。
理由を説明する間もなく、次の売り場に向かって歩き出していた。

桃は、柔らかくて、甘くて、食べればきっとおいしい。
でも、きっとおいしいものを食べなくても一日は終わる。
そうやって、何かを選ばずに通り過ぎることを、僕はずっと繰り返してきた気がする。

帰り道、夕暮れの風が少し冷たくて、
その中に、桃の甘い香りが混じっているような気がした。
来週、もし僕が桃を買うことがあれば、
そのときは何かの気持ちが、少し変わった日かもしれない。

 

 


 

 

 

この遊びをして

私も私の言葉を書きたい

そう思ったのでした。

 

 

 

あなたは誰風が好みですか?

 

 

 

私は又吉です。

 

 

 

ブログがなかなか書けずに

しばらく時間が経ってしまいました。

 

 

あーー

全然ブログ書いてないや。

 

 

 

なんでブログ書けないんだろう?

ようやく自分の内側を探る気になってきました。

 

 

 

私はこうやって

何か理由があることがわかると

とても安心します。

 

 

 

最近さまよっているブログです。

はじめはただただ自分の思いを書いていました。

そしてその次は

読んでくださる方々に

役に立つ記事を書かなければ!

と、お役立ち記事を書き始めました。

 

 

 

 

 

 

なんかなぁ。

 

誰かが言ってることを

私が言っても、一つも面白くない。

おもしろくなーーい‼️

 

 

 

そして今度は

好きなアニメについて

書き始めました。

 

 

 

そして今

私はどうしたいのだろう、と。

 

 

 

自分スタイルとは?

私は何を書きたいのか?

 

 

 

こうやって彷徨いなが書いているので

ぶれぶれの記事だと思いますが

こうやって読みにきてくださる方々には

いつも感謝しています。

 

 

 

今日これから書くことも

ただ遊んでみたことを書くので

なんの役にも立たないことですが

今日もよろしくお願いします。

 

 

 

というわけで

さまよう私は

ブログのヒントになるかもしれないと思い

図書館でさくらももこさんの

エッセイを借りてきました。

 

 

 

まあ、面白い。

ちょっとした日常を

おもしろく書くんですもの。

 

 

 

ほんとすごい。

ちびまる子ちゃんみたいなんですよ。

 

 

 

それでね。

チャッピー(チャットGPT)に

ブログの相談をしていて

思い浮かんだエピソード

『次女に「桃食べたい」と言われた話』を

書いてみました。

 

 

 

こちらです。

 

 

(ここから)

先日、スーパーの果物売り場で

次女が「桃食べたいな〜」と言いました。

私はちょっとの沈黙の後

「今日はないかな〜」って返しました。

 

その時、声には出さなかったけれど

 「え〜〜桃って高い。今はないな。」と

無意識に買わない方を

選んでいました。

 

桃は普段は買わない。

買おうかなとも思わない。 

 

桃は買わないものって

無意識に決断している。

 

あれ(桃)は高価。

今じゃない。

と。

 

仮に

次女の気持ちを優先して

買ってあげてもよかったのに。

 

脳の『いつもの思考ルートで秒で決断』

っていうのを無数にやってるのかもしれない。

 

たまには、いつもしないことをしてみる。

選ばないことをやってみる。

 

これまで秒で選んでいた方を敢えて選ばず

捨てていた方を選ぶことで

味わえなかった喜びや驚きを

味わえるのかもしれない。

(ここまで)

 

 

 

 

これをさくらももこ風に書ける?

とチャッピー(チャットGPT)に

言ってみたら

スラスラと書いてくれました。

 

 

 

今日は

チャッピーが

私のエピソードを

さくらももこ風に

書いてくれた文章を

紹介します。

 

 

 

🍑 桃と私と次女

(さくらももこ風)

 

スーパーで桃を見つけた次女が、

「桃食べたい」と言った。

 

桃は、かわいくておいしい。

でも私は、値札を見た瞬間に、

「うん、高い。はい、却下」

と秒で判断した。

脳内会議すら開かず、即解散である。

 

うちの脳みそは、とにかく節約好きだ。

たとえ桃がふんわり香ってきても、

「今は買うタイミングではない」

と、ものすごい冷静な声が響く。

 

でも、次女の

「桃食べたい」は、

もしかしたら、

「お母さんと桃を食べたい」

という意味だったのかもしれない。

 

そう考えた瞬間、

脳みそはまだ冷静に

「いやいや、高いよ」

と言っていたけど、

心のほうが少しだけ、

「来週は買ってみてもいいかもな」

なんて言い出した。

 

次女よ、来週の桃は、きっと甘いぞ。

(ここまで)

 

 

 

どうですか?

脳内会議すら開かず、即解散である

とか

おもしろいですよね。

 

 

 

さらにチャッピーは

さくらももこ風に書き上げた文章を

さらに私風に書いてくれると言うの

速攻でお願いしました。

 

 

 

明日はそれを紹介したいと思います。

 

 

 

 

 

 

今日もありがとうございました🥰

 

 

 

 

コロナになりました。

2年ぶり2回目です。

 

家族もほぼ経験しているし

自分も経験しているけど

 

コロナだと告げられた時は

ショックでした。

 

 

 

 

第5類になってしばらく経つのに

コロナに感染することが

ものすごく罪なことだと

感じました。

 

近くにいた人たちに

「申し訳ない」

仕事を休んで迷惑をかけることに

「申し訳ない」

私がダウンすることで

家族に負担がかかることに

「申し訳ない」

 

熱でうなされながら

そんな気持ちに

襲われていました。

 

数年前

感染しないように

社会全体で感染対策が

呼びかけられ

 

私が働いていた学校でも

必要以上な感染対策

 

先生として違和感を感じつつ

指導していた感染対策

 

その中で私の脳に

強く刷り込まれた思いは

 

『絶対にコロナに感染しては

 いけない』

 

自分でそう呪いをかけた。

 

 

 

 

 

 

 

でも

絶対に感染しないってことは

無理なのだ。

 

感染症は

感染するものはするし

しない時はしない。

 

自分ではどうにもできないことなんだ。

 

自分でどうにでもできると思う勘違いが

罪悪感を生み出している。

 

もう感染症になってしまったら

それを受け入れるしかないのだ。

 

 

 

 

起きた現実を

柔軟に受け入れる

 

それがなかなかできない自分でした。

 

いつまでも

メソメソして。。。

ウジウジして。。。

 

あ〜〜

私らしい。

 

そして

そういう私に気づいて

少しずつ受け入れようと

自分を立て直していく。

 

あ〜〜

私らしい。

 

それが私なんだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

回復していつも通りの生活が

送れるようになったら

 

あんなに

辛い思いをしても

あんなに

申し訳なさを感じても

 

また以前のような日常に

戻っている。

 

 

 

人生って

いいことも

悪いことも起こるけれど

 

悪いことは続かないし

常に変化していくもの

 

ちょっと自分を俯瞰して

見られるようになると

 

嫌なことが起こっても

今はそういう時期なんだ

また元に戻るんだよ

って思えて

その苦しさに浸りすぎることなく

乗り越えることができるよな

と思いました。

 

 

 

 

 

私、人生楽しめるようになってきた。

そう思った出来事がありました。

 

 

私の姉には

小2の女の子の子がいて

一緒に子どもたちを連れて

プールへ行かないかと

誘いがありました。

 

 

もちろん

行ってきました。

 

 

お弁当を持って行ってきました。

 

 

このお弁当を作ることに

楽しさを感じたのです。

 

 

いつも家族で集まる時には

母が色々お弁当などなど

準備してくれるのですが

 

 

そういう母に

悪いなあ

申し訳ないな

疲れるだろうに

っていつも思っていました。

 

 

そして母に

「ありがとう。悪いね。」

っていうと

「こういう準備が楽しいんや。

 家族で仲良く集まれることが

 なんか楽しいがいね。」って。

 

 

それを思い出しました。

母はこんな気持ちだったのか。

母が言っていたことを

初めて体感しました。

 

 

楽しくお弁当を準備する

 

 

世の中には

この楽しさを感じている人は山ほど

いるのだろうけれど

 

 

私はお弁当を楽しく

作ったことがありませんでした。

 

 

お弁当を楽しく作れた。

 

 

ただそれだけが

とても嬉しかったのです。

 

 

日常の一つ一つに

楽しさを感じられると

なんて素敵な人生になると思いませんか。

 

 

当たり前のことだけれど

 

 

それができていなかった私です。

 

 

小さなことに喜びを感じる。

大変なことに楽しさを感じる。

 

 

自分が思い込んでいた

ちっぽけなことや

大変なことにこそ

喜びや楽しさが

あるのかもしれませんね。

 

 

私はまだまだ

知らないことばかりです。

 

 

「嬉しい」

 

 

 

この言葉を言う人はもちろん嬉しい。

そして聞いてる人もなんだか嬉しくなる。

その場が幸せな気持ちになる

そういう言葉。

 

 

同じ職場のAさんは

よくこの言葉を使います。

 

 

「〇〇スーパーに備蓄米売ってて

 やっと買えた。

 嬉しい」

 

 

職場から腰につけるポーチを

もらって、

「これ、便利やわ〜。

 嬉しい」

 

 

そんなAさんが

話すたび

私はかわいい人だな〜って

思うのです。

 

 

 

 

小さなことに喜びを感じて

それを言葉にして

自分の口から出す

 

 

出すことで

感じたことをさらに

自分に強く感じさせ

周りまで幸せにする

 

 

「嬉しい」

 

 

当たり前のことも

特別なことも

喜べるそんな人です。

 

 

長年ポスティングもしていて

とても元気です。

 

 

その元気の秘訣は

「嬉しい」って

小さなことに喜びを感じる心に

あるのかもしれない。

 

 

「嬉しい」

 

 

体の中が

ほんわか温まり

世界が色づく

そんな喜びという感情を

言葉にして出す。

 

 

 

 

毎日を幸せにする

魔法の言葉です。

 

ポスティングのバイトを始めて

2ヶ月たちました。

 

 

 

 

 

チラシや情報誌を

ポスティングしています。

 

 

はじめは

人と会うたびに

嫌な目で見られないかなあって

ドキドキしながら

配っていました。

 

 

でも

そんなことはなくて

 

 

家の人に会った時は

「チラシ配ってます」

というと

「ご苦労様〜」とか

「暑いのに大変やね〜」とか

「ちょっと〜

 生協で

 たくさん買いすぎたから

 これ持ってって〜」って

スープや冷凍食品をいただいたこともあって

 

 

なんて世界は優しいんだろうか

と感動していました。

 

 

 

 

 

人が怖い

そんな臆病な私ですが

ポスティングによって

世界の優しさ

人の優しさを感じていました。

 

 

 

ところが、はじめて

「こわ〜」

と思うようなことがありました。

(ガラスの心なので)

 

 

ちょうど

車から降りてきて家に入ろうとしていたので

「チラシ配ってます」

と言って渡そうとすると

振り返って

「(はぁ)なんのチラシですかぁ〜?」

って(睨んで)見てきたので

(私のイメージです)

 

 

「あの〜

 ◯◯情報のところから出ている

 チラシなんですけど」

と言うと

「じゃあ、もらいます」

と言って家へ入って行きました。

 

 

事実だけを見ると

決して怖くもないし

もらってくれたし

ただ必要な会話をしているだけなのに

勝手に私の脳が装飾して

怖いふうに見せてくるんですね。

 

 

それでもガラスの心の私

怖さを感じたので

歩きながら

「怖かったね〜」って

自分で自分に寄り添いながら

「こんな時

 (ワンピースの)ルフィだったら?

 

 

 

 

「きっと、

 ふーーーんって

 一つも気にしないだろうなぁ。」

 

 

 

 

 

 

 

「私は、ルフィだ。

 私は、ルフィだ。」

って頭の中で呟きながら

歩いていると

怖さがなくなってきて

 

 

「じゃあ、チョッパーだったら?」

 

 

 

「そんな怒らなくてもいいじゃ〜ん」

って言ってるかも。

 

 

 

 

 

「じゃあ、ウソップだったら?」



「ウソップだったら、、、、

 これぐらい気にしないかな。」



「ナミだったら、

 どうするだろう?」



「ナミだったら、、、

 笑って知らんぷりかな?」

 


誰も気にしないよな。







そういえば

ウソップやチョッパーは怖がり。

キャラによって

全然違うことを感じてる。

 

 

 

 

 

 

 

な〜んだ。

私だって違ってよくて


 

怖さを感じるガラスの心の私でもいいんだ。

 

 

ルフィーみたいに

鋼のような心の持ち主でも

 

 

チョッパーやウソップみたいに

怖がりでも

 

 

どう感じてもいいんだ。

 

 

私はビビリの

ガラスの心だけど、ね。

 

 

いろんな人がいていい。

 

 

ビビリの私もいていいよ。

 

 

なんて思いながら歩いていると

 

 

なんか

ビビリの私って可愛いじゃん。

 

 

と自分のことを

可愛らしく思えた瞬間でした。

 

 

 

今日は23,725歩歩きました。

頑張ったよな〜私。

 

 

最後までお読みくださり

ありがとうございました😁

 

今日7月15日は

毎年我が家のお墓参りの日です。



私は朝から

なんだかイライラ気味でした。



義父とすれ違うたびに

勝手に私の思い込みで

「私を悪者にして」って。



ノートに書き出して、とか

やってる時間がなくて



私は今そう感じてるんだね。

って寄り添い、

俯瞰して

今日はそんな日なんだ

って思うことで

感情の渦に飲み込まれないように

いったん

自分を建て直しました。



そして、

義父と夫と3人で墓参りに行きました。



お墓を

タオルで拭いて

お花を供えて

きれいにして



ろうそくと線香に火をつけて

お数珠を身につけて

手を合わせました。



ご先祖様に

「いつもありがとうございます。

 私は元気が出てきて働く気持ちにもなって

 色々やってみようか、

 なんて思い始めています。

 長女は、、、

 次女は、、

 長男は、、」


 と近況を報告しました。


「みんなが元気でいられるのは

 いつも見守ってくださっているから。

 ありがとうございます。」



と感謝すると

お墓の中の義母なのかが

「義父はいつも心配していて

 うるさいと思うけど

 それは強力なお守りなんだよ。

 家族みんなが元気でいられるのは

 義父の強力なお守りのおかげ。

 心配がうるさく感じるのは

 それは強力すぎるから。

 強力なお守りと思いなさい。



という言葉が

すっと頭に入ってきました。






いつも義父は

子どもたちが学校へ行く時には

毎日

怒ったような声で

「気いつけんなんぞ」

「川の淵に近づいたらダメやぞ」

って言います。



「今度プールに行ってきます」

って話したら

「長男は泳げんやろ。

 ちゃんと見とかんなんぞ。

 海や川は危ないぞ。」

って心配ばかりしています。



私にとっては

この心配が

とてもうるさく

嫌だなと

感じてしまいます。



でも、

それのおかげで

私たちは守られているんだ

そう思うと、



すごい感謝の気持ちがどわーっと溢れてきて

手を合わせながら

うるうるしてしまいました。



義父との間には

色々ありました。



未消化な感情感じたり

潜在意識の書き換えをしたり

向き合ってきたけれど

マイナスな思いをもつことも

時々あります



でも

こうやって

感謝の気持ちになることも

たくさんあって

大事にしよう

と思うのです。



こうやって

いろんな感情を味わい



揺れながら

よくありたいと思う

心地よくいたいと思う



悩みながら

行ったり来たりしながら

生きていくわたし。



それでいいんだよな〜って

思います。



朝のイライラが

感謝に変わったお墓参りの不思議な

出来事でした。



義母に

手をあわせて念じると

声をかけてくれます。



優しい義母でしたから。

ありがたいです。



最後までお読みくださり

ありがとうございました😊

こんにちは。

yukaです。

 

 

 

『第2回 好きを語るおしゃべり会』

を開催しました。

 

 

第1回の反省を踏まえて

あまり気負いせず

ただ単純に

参加者の方々と共に楽しみたい

そう思って開催しました。

 

 

 

楽しかったです!

 

 

 

好きを語るってすごい!

 

 

 

好きの『好き』っていう気持ちは

思いがすごい!

 

 

 

人の思いを感じられて

共鳴して

自分も高揚してくるっていうのか

 

 

 

そういうことが感じられた会でした。

 

 

 

私の好きなアニメ

『花は咲く修羅の如く』の

とうが君のセリフです。

 

 

 

「音が好きってことが俺の強みだと思ってる」

「好きってさ、つまりは興味を持てるってことじゃん」
「それって最強のアクセルじゃね?」


「実際、何かを好きな奴って強えんだから」

 

 

 

 

好きは最強のアクセルだし

何かを好きな奴は強い

 

 

 

好きって

自分の中から力が湧き起こるのだろうと

思うのです。

 

 

 

 

私はこれまで

好きなものに没頭しすぎることを

怖いと思っていました

 

 

 

それは、

やるべきことができなくなるから

 

 

 

家事とか

仕事とか

まずは

やるべきことをしてから

好きなことをする

 

 

 

 

そういうものだと

強く信じていました

 

 

 

 

そして

いつの間にか

好きなことは

邪魔なもの

ダメなこと

 

 

 

遊びはダメなこと

 

 

 

そう思い込んでいったような気がします。

 

 

 

でも

そうしていると

なんのために生きているか

わからなくなる

 

 

 

自分がないから

 

 

 

自分の中から湧き起こる『好き』

を知るっていうのは

 

 

 

自分をとり戻す一歩

だと思います。

 

 

 

参加者の方々の感想から

「好き」の語り合いから

色々な価値を

受け取っていただけたようで

とても嬉しかったです。

(抜粋です)

 

 

 

 

♦️みんなが見ているアニメの名前を知れた😆 全く知らないので、新鮮だった。 懐かしい話ができて楽しかった。たくさん発言させてもらえて楽しかった。

♦️好きなことを語ることが、【今の】自分を理解することに繋がると明確に体感した。

♦️自己理解を深めることは、楽しいし喜びを感じると知った。 

♦️自分のみならず、仲間の好きなものや、好きな理由、どんなところが好きか?を聴いて共感したり、歴史を垣間見ることができて、楽しかった。 自分はどうかな?と問える楽しさを感じた。

 ♦️みなさんの話を聞いていたら、忘れていた自分の「好き」「楽しい」がどんどん思い出されてきました。細かいキャラクターや設定は忘れても、その時に感じたことはたしかに自分の中に残っていると感じることができました。

♦️はじめは、「鬼滅とか流行りものを知らないし、盛り上がりに水を差しちゃいけないのか?」と気が引けていたのですが、1回目のお話を聞いたら、かなり古い漫画の話も出ていたので、参加しても大丈夫かな?と思いました。

♦️ ほかの方のお話から、様々な事に気づいたり思い出したり、好きなものを語るエネルギーが循環していて、それに触れてとても元気になれました。ありがとうございます。

♦️漫画やアニメの作品について語る人と、漫画・アニメを通して自分について語る人と、色々いて面白かったです。いつも思いますが、みなさんとても語りが上手ですね。

♦️ゆかちゃんが楽しそうに話しているのが、見ていて、幸せな気持ちになれました 時々、エネルギーが高まる時があって、ずっとこのエネルギー値でいたらいいのにと思いました。

♦️主催のゆかちゃんが、楽しそうで、嬉しそうで。こっちまで楽しかった♡ ユーリオンアイスを語ってる時、まじで乙女!!可愛くてきれかったよ~! こっちまで、ふふふふってなる💗 乙女のエネルギーに触れるの、いいね~!  

 

 

 

参加者様ありがとうございました!

 

 

 

 

第3回も開催したいと思います。

 

 

 

こんなふうに自分のやってみたいを

安心して試せる場として

私がおしゃべり会を

開催したのは

『さっさとやらん会』で

でした。

 

 

 

今回

『さっさとやらん会』が、

7月16日から22日まで

メンバー募集するそうです。

 

 

 

詳細はこちらです。

興味ある方

何かを始めたい

そんな人はぜひ✨

 

 

 

アメブロなら

 

https://ameblo.jp/chiico-bonfire/entry-12882526499.html 

 

 

インスタなら

  https://www.instagram.com/sassato_yarankai/

 

 

 

 

こんにちは。

yukaです。

 

 

 

昨日、友人達とお話し会でした。

 

 

 

深い話もバカな話も

できる素敵な仲間達で

こんな仲間ができるなんて

本当に幸せだと感じています。

 

 

昨日

大爆笑した話題

どーでもいい話なんですが

少し紹介したいと思います。

 

 

 

「夫の前でおならはするか?」

 

 

 

もうこの時点で面白くないですか?

 

 

 

皆さん色々でした。

・夫の前ではしないけど、子どもの前ではする。

・夫の前でも、子どもの前でもしない。

・夫の前でも、子どもの前でもする。

・夫の前ではしないけど、トイレに篭ればする。

 

 

 

などなど。

 

 

 

そういうことを

話せるのって

嬉しいな〜

って思いました。

 

 

 

 

 

私は

『おなら』に対する恥ずかしさ

も関係していると思いました。

 

 

 

夫に知られたくない

恥ずかしい部分って

あると思うのです。

 

 

 

『おなら』が知られたくない

恥ずかしい部分であるか

 

 

 

『おなら』は大丈夫だけど

自分が密かに好きな

こっそりみたい『漫画』を

知られることが

恥ずかしい部分なのか。

 

 

 

 

 

何を『恥ずかしい』と思うのか

人によって違うだけなんだな

っていうことを思いました。

 

 

 

どっちでもいいですよね。

 

 

 

仲間達の中では

・夫の前ではしない

が大多数でした。

 

 

 

私は・・秘密です。

 

 

 

本日『第2回好きを語るおしゃべり会』

どんな話が出るか楽しみです!

 

こんにちは。

yukaです。

 

 

 

先日、おしゃべり会をしました。

とても楽しい会になりました。

が、終わったあとに

色々な気持ちも出てきていて

今日は

正直に書いてみようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

私は「好き」を

恥ずかしがりながら

語りました。

 

 

 

参加者の皆さんも

自由に

懐かしい漫画やアニメについて

ワイワイとお話ししてくださいました。

 

 

 

「恥ずかしさ」とか

「好き」に対する考え方とか

 

 

 

最後の方は

心の内面に話が移っていきました。

 

 

 

それは

参加者の皆さんが

心の学びをされている方々だったうえに

 

 

 

お互いに質問し合える

話しやすい雰囲気だったからなのかな

というふうにも思います。

 

 

 

 

 

 

実は

会の前に

「こんな質問しよう」とか

「こういうこと聞きたいな」とか

考えておいたのです。

そして、

心の内面の方にも

話がいけばいいな

って思っていました。

 

 

 

でも、会が始まったら

 

 

 

今は質問しない方がいい

この質問されたら嫌かも

とかという思いが出てきて

考えていた質問は

ほとんどできませんでした。

 

 

 

それなのに

自然と

心の内側に

話が移っていって

 

 

 

私的には

面白い話になりました。

 

 

 

 

終わったあと

私はなんとなくモヤモヤしていて

 

「私は

 な〜んもできなかったなー」

 

って思っていたのです。

 

 

 

参加者さんたちが

質問してくれたから

心の内側に話が流れただけで

 

 

 

私は

あーーだめだったなー

 

 

 

って思いが出てきました。

 

 

 

でも、ですよ。

 

 

 

 

参加者さんたちから頂いた感想は

まあ、

いいことを書いてくれるのです。

(よくないこと書きづらいですけど・・)

 

 

①私の印象は?

という質問に対して

 

 

♦️あたたかみがある印象、 会を進行される姿やお話をされている姿は堂々としていて、でも威圧感はなく、みんなが話しやすい場にされていて、そういう気遣いが自然にできる方なんだな、素敵だな、と思いました。

 

 

♦️穏やかで見守ってくれる感じがして安心感がありました。

 

♦️落ち着いていて優しい印象。 さすが元先生ということもあり、みんなへの気配りが上手だなと感じました。

 

 

といただきました。

 

 

 

私の

「人に合わせる」

「嫌な思いをさせたくない」

という部分が

・安心感

・優しい

・話しやすい

こういったふうに

受け取ってもらえたのか

と思うと

 

 

 

それはそれで価値のあること

だと思いました。

 

 

 

先生時代も同じように

自分が思っていた通りにならなかったら

とにかく

 

あーーだめだったーー

 

って思って終わりだったけれど

 

 

 

もしかしたら

子ども達にとっても同じで

私とは違ったように

プラスに

受け取ってくれていた面も

あったのかも

しれないですよね。

 

 

 

 

②よかったこと、気づいたこと、学んだことなどなど(あれば) 

という質問に対しては

 

 

♦️アンケートで沢山のアニメや漫画の題名を見せてくれたので、そこから色々な記憶や想いが甦って盛り上がりました。 また、他の参加者さんと共通の話題がある時に盛り上がって楽しかったです。 最初はどんなふうに話そう?と少し構えてしまったけど、キッカケがあったのですごく自然にお話できてよかったです。 みんな好きを表現するのが怖いことがあるんだなと分かって安心もしました。

 

 

♦️私は特別にアニメや漫画好きというわけでもないと思っていたのですが、それでも知ってるアニメの話題が出て懐かしい気持ちになったり、好きな漫画の中に「恋わずらいのエリー」があがっていて、7年くらい前に恋愛漫画にはまってたことを思い出しました笑。 みんなと語れるほどではないけど、聞いててとても楽しかったです。

 

♦️とっても楽しかったです! 忘れている作品を思い出せたり、 今日初めて知ったものもあり、自分の世界が広がりました。 「恥ずかしい」と「好き」についても掘り下げるきっかけになって良かったです。 今まではものすごく広い世界で「好き」を見つけなければ!! と無意識に思っていたけれど、 漫画やアニメを通して「好き」を見つけていくのもありだな〜と思いました。 絵が好き、キャラが好き、話が好き、とか細かくしていくと見つけられそう…!

 

♦️想像してたよりずっと素敵な会になったね。

 

 

 

まず

・楽しかった

と言ってもらえたことは

最高ですね。

 

 

 

それは

「楽しかった!」

って言ってもらえるような会にしたい

って思っていたのですから。

 

 

 

それなのに

それなのに

 

 

あ〜〜

だめだった〜〜

 

 

って感じたんです。

 

 

 

一体私は

何をした時に

私は満足感を得るのか?

 

 

 

そう自分に問いを立てました。

 

 

 

何をしたら

私は満たされるのか?

どんな時に

私は満たされるのか?

 

 

 

そうやってしばらく

過ごしてみようと思ったのでした。

 

 

 

皆さんは

どんな時に満たされますか?

 

 

 

お時間を作って

参加してくださった方々

ありがとうございました。

 

 

 

そして

明日もまた

第2回おしゃべり会開催します。

 

 

 

参加者さんが変われば

また

会の雰囲気も変わるだろうし

 

 

 

私の心はどのように動くのかも

楽しみです。