小学3年生の息子がいる。
 
彼が1年生の時はもちろん、外遊びに慣れてきた2年生でも、私は息子が外遊びをする時には大体付き添ってきた。
道路で遊ぶ子が、近隣宅の備品を壊すという事件が頻発していたからだ。

この地域では、2年生の内は付き添う親が多いし、治安上の問題から特に女の子の場合は、一人で行動する範囲を厳しく制限する保護者もいる。

しかし3年生になり、そろそろぼちぼちという感じで私も、場所によって付き添う・付き添わないを選ぶようになった。
公園なんかはもう、すっかり子どもだけで、遊ばせている。
 
 
 
息子がよく行く公園は、大して高くないフェンスを越えたらすぐに、民家がずらりと並んでいる。
 
そのフェンスを登ったり、フェンスにボールをぶつけるという遊び方をする子がとても多いのだが、この公園ではそういった遊びが禁止されている。
 
と同時に、そんな遊び方をしていたら、十中八九近隣住民が叱りにくる。
 
そんなわけで保護者も、公園で我が子がそんな動きを始めると駆けつけて止める。ルールを守って遊ぼうね、と。
 
 
この件ついて、公園へ決して付き添わない他の保護者から、以前にこんな意見を聞いた。
 
「いちいち母親が付き添って事前に守ってあげるんじゃなくて、他人に叱られることも成長のためには必要じゃない?」。
 

とんでもない話だ。
 
 
そもそも公園の近隣住民が怒るのは、子どもだちがルールを守らずその遊び方をするせいで、実際にボールがフェンスを通り越してしまうことが何度も何度も何度も発生しているからである。
 
民家の屋根を直撃し瓦が壊れたとか、車に当たりボンネットがへこんだとか。私も実際に、現場を目の当たりにしたことがあった。
 
それを近隣住民は、「公園の隣に住んでいるから」という理由だけで、全て自腹で、修繕を続けている。
やった子を怒ることはあっても、「弁償しろ!親を連れてこい!」とは言わない。
 
その一部始終をこの目で見て以来、「あの人たちはずっと耐え続けているんだ」と思った。
 
 
 
親はせめて、問題が起きないように我が子を指導するくらいすべきだろう。
毎回は無理でも、せめて最初の一度、休日一緒に公園へ行くくらいはしてもバチは当たらんだろう。
 
それができない人も勿論いる。仕方ないことだと思う。
しかし、他人が自分の子を叱ることを、「我が子の成長のために」などという言葉で片付けないでほしい。
 
子を叱るのは本来、親の役目だ。なぜ赤の他人に、我が子を叱る役目を押し付けるのか。
人の子を叱るというのはものすごく疲れるのに。
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

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