私が今の自宅に越したのはおよそ6年前です。住宅街と呼ばれる場所に住んだのは初めてのことでした。
 
この地域では、公園でもないちょっとした空き地で子どもたちが遊んでいます。それはドラえもんでいうところの、土管のある空き地に子どもが集まる様子とよく似ていました。
 
何かよく分からない工事資材が積まれている空き地の近所には、子どもたちの蹴ったボールで植木鉢を壊された住人がいるところまで同じです。
 

 

 

 

ドラえもんの場合は、飛んできた野球ボールについて思い切り叱る雷(神成)おじさんがいます。

 

しかし私の住む地域に雷さんはいません。皆日中は仕事に出ているからです。

 

知らないうちに子どもに何かを壊されるということが時々起こる地域なので、そんなことには絶対ならないようにと私はことあるごとに息子の外遊びを見張り、ついて回り、一緒に遊ぶ近所の子たちに対しても雷おじさんさながらに、「あれはダメこれはダメ」と口酸っぱく注意をしています。

 

幸いなことに、子どもたちは私を「見張り役」ではなく「遊び相手」とみなしてくれているようで、私の注意を聞きながらも一緒に遊びに誘ってくれます。

 

雷おばさんの息子である我が子も、いつも友人たちの遊びに誘われ、楽しそうに過ごしています。これほどありがたいことはありません。

 

 

 

 

我が子ならまだしも、そうではない他の子の様子にまでかなりの気を向けている私に、どうしてそこまでよその子の世話をするのかと友人に聞かれたことがあります。

 

ご近所さんに迷惑をかけてはいけないから、子どもが事故に遭ってはいけないからなど、理由を挙げれば色々ある気はしますが、これはという理由が一つあるのは「私自身が幼い頃クソガキだった」ということです。

 

 

私は恐らく人よりも早熟な子どもだったのですが、やることなすことうまくいくためか大人を舐め腐ったクソガキとして育ちました。


大人からすると一見良い子な優等生だけど裏では好き勝手し放題で、大人になった今の私からしたら一番近づきたくないタイプの子どもです。

 

 

 

 

私が幼かった頃、近所の幼馴染みたちには本当に迷惑をかけましたし、お世話になりました。

 

そして彼らの中には少なからず、家庭に問題を抱える子がいました。

 

当時はそんなことも知らずに私たちは遊んでいましたが、彼ら・彼女らがいたから私は、母に遊んでもらえなくても寂しさを感じずに、一人っ子としての幼少期を過ごすことができたと思っています。




 

 

クソガキだった私が大人になった今、当時の罪滅ぼしのつもりで、近所の子どもたちを見守っているところがあります。

 

大人の言うことをちっとも聞かない、乱暴者で悪戯ばかりする子も中にはいるのですが、それでも彼らに注意を続け、大きな事故に至らせないようにすることで、昔の私の素行に対して抱く自分の中の罪悪感を少しでも軽くしたいという自己中心的な気持ちがあります。

 

一部の子どもたちが大人である私(私たち)を日々困らせるのですが、時々彼らは幼かった頃の私ではなかろうかと錯覚しそうになります。

 

クソガキである私の世話を、大人になった私が今自らしているような気持ちになることがあって、彼らは他人ではあるけれども私でもあるのだから、簡単に目を逸らしてはならないと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 

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