私が小学生の頃、今から30年前のことです。
新道が通る場所に家があった私の同級生は、実家が立ち退きとなりました。
公共事業による立ち退きの場合、新しく土地を買ったり家を建てる為の費用として「補償金」が支払われます。
同級生の元の家はかなり古い家屋でしたが、補償金のおかげもあってか、立ち退き後は大変綺麗な家となりました。
元あった家の目と鼻の先に新居は建てられたので、子らの行動範囲も全く変わりません。
これまで通り一緒に遊べるから良かったね、と話したのも束の間、なんとその「新しい家」も新道の車線追加工事の土地計画に引っ掛かり、数年後に再び立ち退きの対象となりました。
そうしてまた新しく家が建ったのですが、これがまた、元の家とは比べ物にならない、とんでもない大豪邸が建ちました。立派な瓦屋根の日本家屋で、言うなればまるで「お城」。
片田舎に突然「お城」が現れたので、「二度の立ち退きで大豪邸を手に入れた」とそんな下世話な井戸端話も私は耳にしたことがありました。
「大豪邸」が建ったことについて、古い家に住んでいた私は同級生に対し「大きな家が建って良かったね!」と思っていましたが、そんな話を直接する機会はありませんでした。
そして今私はその豪邸を少し悲しい気持で思い出す、なぜならその家が完成して間もなく、同級生の両親は離婚し一家離散となったからです。本人も他の学校へ転校してしまいました。
あんなに綺麗で大きな家が建ったのに、どうして大人は離婚なんてするんだろうかと幼い私には不思議で仕方ありませんでした。
どうにも私はあの大豪邸が家族を狂わせたのではないかと、地元に戻れば今もある「お城」を見るたびに寂しい気持になります。
小学校の同級生には色々な子がいました。
今思えば明らかに虐待を受けていた子もいましたし、昨日まで仲良く遊んでいた子が翌日から突然学校へ来なくなり、どうも一家で夜逃げしたらしいという話を聞いたこともあります。
私は自身の小学校生活について、特別に楽しかったというような記憶がありません。
それは閉じた田舎の陰鬱とした空気を感じることが、あの時代の私に多かったことも一因かもしれません。地元の「お城」の存在は、私にとってその象徴なのです。
さて私には、現在小学二年生の息子がいます。
家でも学校でもとにかく毎日が楽しくて仕方がないそうで、夜寝る前には必ず「明日の朝ごはんが楽しみだな」と呟いてからおやすみを言っています。
大して楽しくもなかった小学生時代を過ごした私にとっては、こんなに陰の無い毎日を生きる息子が別の星の生き物のように見えることがあり、しかしそんな朗らかな息子をここまで育てたのは紛れもなくこの私です。
僅か30坪少々の家で息子を育てている現在、あの「お城」のようなことにはしない、息子が幸せな幼少期を過ごせるように、中身の詰まった30坪にしてやると私にはそんな思いがあります。
お金だけあっても仕方ない、家だけ豪華でも仕方がない、そういう気持ちはずっと私の心の中にあります。
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