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羽田に降りる飛行機の窓からもそれと分かる、東京・中野駅前の独特な三角形のビル。

中野サンプラザが7月2日夜、山下達郎さんのライブを最後に閉館されました。

この場所で長い間、何度も公演した達郎さん。このホールへの思い入れも深かったそうです。

 

「全国勤労青少年会館」という名称で開業した50年前、ここは上京して働く若者のための福祉施設でした。当時公募で決まった愛称がサンプラザ。若さ満ちあふれるエネルギーの象徴「太陽(サン)」と人々が集う場所「広場(プラザ)」に由来するそうです。

当時の館内には就職相談室、図書室、結婚相談所までありました。

ここに来れば全国の地方紙が読める「ヤングフロア」や、3分間無料で通話できる「特設 ふるさと電話コーナー」を開いたりして、故郷を離れて暮らす若者の孤独をなぐさめたという…知らなかった話が新聞の片隅に載っているのをみて、最終日に足を運んでみたのです。

 

好天に恵まれた午後1時。周囲では多くの人が、特徴的な外観のビルを写真に収めていました。館内のレストランはすでに営業しておらず、「閉館まであと0日」との看板に寂しさを覚えます。

コンサートホール入り口の階段下に佇んでいると、リハーサルと思われる達郎さんの澄んだ歌声がかすかに聴こえてきました。

達郎さんといえば竹内まりやさん、まりやさんといえばユッコこと、岡田有希子さん…わたしの連想はつながります。

ほど近くにある堀越高校。今年創立100年を迎えた学園の卒業式は、1977年からこの春まで、ここ中野サンプラザで行われてきました。

1986年の春。ユッコさんも、この場所で学校生活を終えました。太陽みたいに眩しい彼女の笑顔は、いつまでも燦々(さんさん)と光を放ち続けるはずだったのに。


長い年月を経て、数年前に彼女を偲ぶファンミーティングが開かれた際には会場にもなりました。もしそのときわたしがユッコファンだったなら、絶対行きたかった。でも参加希望者多数で抽選だったそうなので、クジ運がないわたしは当たらなかったんだろうなあ。


この夜の達郎さんのライブも、ホールの収容人数(2222人)の関係でチケットを熱望しながら手に入れられなかったファンの方を知っています。

でもこの規模ならではの音響の良さは、長年多くのアーティストに愛されました。2000年には「音響家が選ぶ優良ホール100選」にも選ばれたそうです。

 

今後この三角形のビルは取り壊され、再開発により2028年にお目見えするのは地上61階の高層ビル「中野サンプラザシティ(仮称)」。新たなホールは、収容人数がいまの3倍以上になるのだとか。

5年先はもはや遠い未来の話ではなく、あっという間に経ってしまうんでしょうね。中野駅前の風景も、これからすごい勢いで変わっていきます。

そして新しいサンプラザに集う人々の多くは、かつての若者なのでしょう…わたしも含めて。

 

photo by yukikostarlight