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ユッコこと岡田有希子さんがのこしたうたは、春から夏の季節を描いたものが多いと思います。そのなかで唯一、冬の情景を感じるのが「二人のブルー・トレイン」。

 

このブルー・トレインは、作詞の竹内まりやさんの故郷・出雲市と東京をかつて山陰本線経由で結んでいた寝台特急「出雲」なのだそうです。

ユッコさんがこのうたをうたっていた1985年冬に、わたしも一度だけこの列車に乗ったことがあります。〝降り立つホームに漂う空気が 彼の息を白くする〟という歌詞に、早朝に列車を降りた瞬間の、刺すような冷たい空気が蘇りました。

 

竹内まりやさんの生家は出雲大社門前の老舗「竹野屋旅館」。父は旅館経営の傍ら町長を永く務めたという、名家のご出身です。高校時代の米国留学を経て、慶大に進学した知性派でもあります。

そんなまりやさんが、山下達郎さんと結婚したのは1982年春のこと。

それに先立つ冬。まりやさんは達郎さんを親兄弟に引き合わせるため、おそらく一緒に帰省したことでしょう。空路が不便だった当時のこと、きっと東京駅から二人で「出雲」に乗って。

そして、その旅が「二人のブルー・トレイン」の詩の着想につながったのです…。

と、つい妄想してしまいました。

 

ユッコさんがNHKの歌番組で(CMソングだった「Love Fair」に代わって、カップリング曲の)「二人のブルー・トレイン」を、体調不良のため出ない声で痛々しくうたう映像が残っています。この番組が収録されたのは、ユッコさんが過労で入院した1985年11月末の直前だったようです。

 

まりやさんは、1978年に23歳でレコードデビューを果たした際、その愛らしいルックスと相まってアイドル的な人気を博したそうです。が、1981年には過労のため喉を痛めて入院、音楽活動をいったん休止しています。

 

まりやさんとユッコさん。知れば知るほど、お二人には共通点があったのですね。まりやさんはあのとき、かつての自分と同じような状況のユッコさんに何かしてあげられなかったのかと、後悔に苛まれていたのかもしれません。だからこそ、まりやさんはずっとユッコさんのことを思い続けてくれているのではないでしょうか。

 

かつて、出雲市駅から出雲大社のある大社駅を結ぶ、国鉄大社線が存在しました。若かりし頃のまりやさんも、帰省に利用したと思います。その大社線、ユッコさんが「二人のブルー・トレイン」をうたっていた年に本線との直通運転を取りやめ、1990年4月に廃線になりました。かつて大勢の参拝客で賑わった大社駅は、出雲大社を模した豪奢な駅舎が重要文化財に指定され、現存しているそうです。

一方、地域経済の斜陽化が続くなか「竹野屋旅館」にも苦難の時代があったそうですが、故郷を愛するまりやさんのバックアップもあり、現在も盛業中とのこと。

 

ユッコさんのうたったブルー・トレインは、いまはもう彼方へ走り去ってしまいました。

でも東京から出雲市へ向かう夜行列車は、国内唯一の定期寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」として現在も残っており、往時を偲ぶことができます。いつか冬の車窓から、彼女がうたう〝朝もやにかすむ湖〟を眺めてみたいです。

 

国鉄がJRに変わった年の時刻表。寝台特急を示す流れ星のマークに食堂車が誇らしげです。

〝♪夜明けまで少し眠るわ〟な時間のページを選んでみました。

photo by yukikostarlight

 

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