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多くの命が失われ、また多くの人生が大きく変わってしまった東日本大震災から、きょうで12年になります。

あの時起きた事を、起こしてしまった事を、全ての人は絶対に忘れてはいけないと思います。いまは凪いでいる海が、牙を剥いたあの日のことを。

 

わたしはその時、職場から離れた場所で会議に出ていました。あの激しい揺れでエレベーターが全て止まり、自分の職場が心配で階段を駆け上がったのですが、空気が粉塵で真っ白になった非常階段の息苦しさがいまなお忘れ難いです。

幸い職場に混乱はなかったのですが、電話が繋がらない社員の安否確認などで、長い夜を過ごしました。

電車が止まってしばらく数人が出社できなくなり、交代勤務のシフトを組んでいたわたしは夜番と早番の通し勤務に2回続けて入りました。直前に昇進したばかりで、やる気も使命感もあったのです。

そして2回目の勤務明けに、職場から救急車で病院送りとなりました…

 

夜勤明けからそのまま午後までの勤務が終わったその時。わたしは激しい動悸に気がつきました。

変だなと思う間もなく、両手の指がキーボードを叩いていた形のまま動かなくなって、そして胸が締め付けられるように苦しくなり…

「これって心筋梗塞?」

「もしかしてオレここで死んじゃうの?絶対嫌だ!」

と思ったけど口もゆがみ、やがて席に座っていられなくなって床にへたり込みました。ツレさんや幼いわが子の顔が浮かんで、不覚にも涙がでました。

 

しばらくしてやって来た救急隊の人に「大丈夫、あなた死なないから」と言われて、安心したのを覚えています。

 

わたしは過労とストレスで過呼吸を起こしたのでした。顔面や手足が麻痺する症状が心筋梗塞に似ていますが、心筋梗塞だと左右の半身どちらかしか麻痺しないのだそうです。だから両手が動かなくなったわたしは「大丈夫、死なない」のだと。

 

その後上司の指示でしばらく精神科に通いました。そこの先生が過呼吸の再発に備えて向精神薬を飲むように勧めるのですが、「私も常に飲んでいるけど、気持ちがスーッと楽になって、酒を飲んだような気分になれるよ」と仰るのです。

わたしはそれなら酒の方がイイと思ったのでそう言ったところ、すごく残念そうな顔をされました。いま振り返って、あのときの判断は正しかったと思うのです…。

 

それからのわたしは「命をかけなければならない仕事なんてない!」との思いが強くなりました。

あの時の自分じゃなくなりたくて、髪を伸ばしたり眼鏡をやめたり体を鍛えて体型も変えたり。仕事上の夜の付き合いも一切やめました。

そして喜働戦士だったわたしは、ロン毛の怪しい風貌になり出世に縁がなくなったけれど、もっと大事な家族のために、その後の人生を費やすことができました。

 

多くの人生が大きく変わった、3.11から12年が経ちます。その間いろんな事があったであろう人たちの歩みに、思いを馳せる一日にしたいです。

 

「命をかけなければならない仕事なんてない」と、ユッコこと岡田有希子さんに伝えてあげたかった…

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