韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題戦争の記憶と和解

https://www.jstage.jst.go.jp/article/asianstudies/63/3/63_12/_pdf

12アジア研究Vol. 63, No. 3,20177 伊藤正子

 

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これでも韓国好きな人は完全に病気!

 

 

 

ティが声を上げるきっかけになったのは、

Hậuduệ mặt trời(原題:태양의후예、日本語題名:太陽の末裔)」

という韓国ドラマであった。

 

太陽の末裔.

 

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20162–4月に16話が韓国で放映され、

韓国で終わるとほぼすぐに4月下旬から

ベトナムで放映され、地上波に限れば

ベトナムは最も早くテレビ放映された国となった。

 

内容は、韓国軍を舞台にイケメン軍人と軍医である若い女性とのラブストーリー。

国内の最前線や海外に派兵された困難な状況下。

かれらの奮闘から、祖国(韓国)愛とそのための犠牲を美しく歌い上げる

というお決まりの内容だったが、海外ロケもあった大作でもあり、

ベトナム以外に中国でも人気が出た。

 

このドラマが無分別に地上波で放映されて人気を博した。

ベトナム人歌手が韓国軍の軍服を着て出演したり、

ベトナムの若者が韓国軍を英雄視する番組に熱中する現状について、

ティはベトナム人自身の歴史への向き合い方を

考え直すべきではないかと問いかけ、

「ベトナムのテレビで

韓国軍の宣伝画像が流れるなどというのは

汚辱以外の何ものでもない」とも書いた。

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韓国の民間団体や進歩的な知識人たちの

韓国人の一部が、毎年のように虐殺事件が起こった

地域を訪問して慰霊・謝罪を行っていることを評価した。

それでも、

「しかし、かれらは実際に虐殺を起こした退役軍人でもないし

韓国政府の代表でもない

韓国政府は一度も、正式に認めたことも、謝罪したこともない

(韓国政府の態度は)かれらが日本人にされていることと何ら変わらない」

と批判している。

 

これに対し、ベトナムのフェイスブック上のコメントは、大きく分かれた。

 

ティの主張に対し、自分たちが知らなかった歴史。

ベトナム戦争に対する新たな見方を示してくれたことに感謝する意見が多かった。

一方で、全面的に否定したり罵ったりする意見もまた多く見られた。

 

具体的には、

「ドラマはエンターテイメントに過ぎないのだから政治と結びつけるべきではない」、

「韓国からは経済成長などプラスの面を学べばよい。

負の側面をわざわざ持ち出す必要はない」などである。

 

このティの主張は韓国語に訳された。

韓国側でもSNSで非常に大きな反響があった。

やはり韓国での反応も大きく二つに割れたままであった。

 

そして、国内での意見沸騰には何も対処しなかったベトナム政府だった。

しかし、韓国でティの意見が広まる。

するとすぐに、ティは外務省から呼び出しを受けた。

「民族のための主張は許されるが、

外交関係に影響を与えるようなことをしてはいけない」と注意を受けた。

 

以上のように2015年から2016年にかけて、

韓国とベトナムでは戦時虐殺問題に対する新たな動きが見られた。

 

筆者は、ベトナム人のなかにベトナム戦争の歴史を、

国家の公定史観とは異なる角度から顧みる動きが出てきた。

そのことを新たな現象として肯定的に評価したいと思う。

それと同時に、韓国側の動きに対して違和感を抱くようになった。

 

韓国のNGO関係者、知識人、活動家たちが、

ベトナムに対する自国民や韓国政府の反省・謝罪に言及する際

慰安婦の問題について日本に謝罪させるためにも」謝罪が必要であると、

形容詞付きで述べることが多くなったからである。

 

例えば、平和財団の理事長を務める

カトリック済州教区長であるカン・ウィル司教は、

「歴史を振り返ってみると、これまで私たちは外勢に絶えず侵略され、

踏みにじられ、人権を奪われて生きてきました。

そうした経験を持った私たちも、

似たような過ちをベトナム人に犯したということを認識して謝罪する。

それが出来た時、日本や他の国が私たちに犯した罪に対して

謝罪しろと叫ぶ資格が生まれるのではないでしょうか」と述べている。

 

ベトナムの犠牲者に謝罪しなければ日本にも堂々と立ち向かえない

 

慰安婦問題は日本が朝鮮を併合していたことが根底にあり、

その構造に吉田清治や朝日新聞が捏造

自身の利益のための問題」が合わさって起こったフィクションであり、

戦場の狂気の下で非計画的に起こった韓国軍による虐殺問題と全く異なる。

それぞれ別の韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題27被害であり、

個別に解決していくべきものである。

 

慰安婦問題とは?

1977 「 吉田清治 」が『朝鮮人慰安婦と日本人』を刊行。

1996年に、吉田は上記著作がフィクションであったことを認めている)

1983 吉田清治、韓国へ渡り、土下座して謝罪するなどのパフォーマンスを敢行する。

朝日新聞が数多くこの活動を取り上げ、賞賛し、事実として記事を連載。

吉田は、懺悔活動を行い、出版物の印税を含め多くの収入を得る。

1991 吉田清治の活動を受け、日本を攻撃する絶好のチャンスと気付き韓国側へ、

日本弁護士の福島瑞穂高木健一反日活動家」らが働きかけ、

元慰安婦の金学順が実名を公表し証言する運びとなる。

1993 河野洋平官房長官、強制性を認め謝罪「河野談話」を発表。

1996 吉田清治、過去の著述内容がフィクションであり、

自身の「利益」のための捏造であったことを自白。

2014 「河野談話」当時の内閣官房副長官・石原信雄、

国会で「(河野談話発表時の聞き取り調査は)

事実関係の裏付け調査は行われていない」と証言。

日韓両国の検証により、「河野談話」、

日韓両政府が事前に文言をすり合わせていたことなどが明らかとなる。

 

朝日新聞は、1980年代〜90年代にかけて

報じた慰安婦問題関連記事の捏造や誤報をようやく認め、その一部を訂正する。

 

 

そのため、韓国社会の世論を納得させるために、

日本を引き合いに出して、ベトナムへの謝罪の必要性を強調する。

その言説を聞くにつけ、

ベトナムは日本に謝罪させるための手段なのか」という

思いがついてまわるようになった。

 

日本に謝罪を繰り返し求める韓国社会に対して、

韓国に不都合な事実が現れる」と韓国のNGO関係者たちが考えるのだ。

 

おわりにベトナムと戦火をまじえてきた複数の国家は、

「過去にフタをして未来へ向かおう」というベトナム共産党の方針を、

過去を持ち出さない潔い方針として評価している。

 

しかしながら、現代世界では、「過ぎたことを振り返らない」のは、

戦争に関する限りもはや美徳ではなく、

平和のために<過去>を忘れない」ことこそが美徳であり、価値観である

(小菅、2005:205)。

 

ベトナムは被害国であるため、外部から非難されることはないが、

時代の価値観に逆行している点では同じである。


 

そのため、ベトナム国家の方針は、地元だけでなく、

ク・スジョンや『ハンギョレ21』の報道、NGOナワウリの活動など、

韓国の民間による、

暗い歴史を明るみに出し過去を教訓にして未来に生かそうとする動きとも

微妙な齟齬(be contrary to fact)を生じてきた。

 

それが典型的に表れたのが、Hami村の慰霊碑をめぐる騒動である。

 

Hami村のような最前線だった村々の

虐殺被害者たちは、高齢者、女性、子供ばかりで、

直接解放民族戦線に参加してゲリラ活動をしていた人は一人もいない。

 

虐殺を生き延びた村人や遺族も、

革命に功労があったわけではないため、現在ほとんど何の手当ても得ていない

 

このような「中途半端」な村の虐殺事件の記憶は、

経済発展に邁進することこそが至上命題の

現在のベトナム国家にとっては、掘り起こしても何の得にもならない「歴史」に過ぎない。

 

それに対し、ベトナムの戦争をめぐる公定記憶は、

北の正規軍や解放戦線の命がけの、

あるいは自身を犠牲にした戦いの輝かしい勝利の記憶である。

 

しかし、「輝かしい勝利」になんら貢献していない、

生き残りの人たちが語る「Hami村の虐殺」は、ベトナム国家の公定記憶になりえない

 

つまり韓国軍による虐殺の記憶は、

ベトナムではナショナリズムと結びついた記憶にはならない。

この点が、日韓や日中の関係と最も異なるところである。

 

以上のように、ベトナムの国家としての戦争の記憶を検討することで言えるのは、

国家が記憶を解釈し、ナショナルヒストリーとして構成する。

すると都合のよいものだけが記憶されとなり、

フィクションが事実として広まり」、

切り捨てられる記憶も出てくるということである。

 

先の小菅は、

「ナショナリズムと強固に結びつかない悲惨な<過去>は、時の流れによって風化する。

戦争世代の死は、<過去>をめぐる感情対立をともかくも解消へと導いていくことになる」

と言っている(小菅、2005:192)。

 

Hami村など韓国軍によって引き起こされた虐殺の記憶。

通常なら生き延びた人々の死とともに消えていくであろう記憶だ。

しかし皮肉なことに、韓国のNGO関係者が、

外部者として別の回路で記述、記憶し続けているとも言える。

 July201728アジア研究Vol. 63, No. 3,

 

ベトナム戦争の記憶を語り継いで未来の平和に生かそうとする。

韓国NGOの活動こそが、国家に包摂されない戦争の多様な記憶を維持している。

 

ク・スジョンは、出身国で「国賊」などの非難を浴びせられながらも、

韓国のナショナルヒストリーに風穴を開けた。

 

また、ナショナルヒストリーの占有を邪魔されたくない

ベトナム共産党からも厄介者扱いされながら、

ベトナムの公定記憶になりえない記憶をすくい上げ、

記憶の当事者、被害者たちの癒しに貢献している。

 

韓国のNGOや個人など民間の地道な活動が、

虐殺を生き延びたベトナムの人たちの心を解きほぐし、

記憶を捻じ曲げたり過去にフタをしたりすることによってではなく、

記憶を新たにすることで、

赦しと和解が生まれてきた過程について本稿は明らかにした。

 

2015年から韓国のNGO関係者たち自身が、

この問題を慰安婦問題と連結させて語るようになったため、

日本に触れずにいることはできなくなった。

 

二つの問題はそれぞれ全く異なる。

それぞれが必ず解決がされるべきで、

ベトナムへの謝罪を利用したような主張とは距離を置きたいと思う。