韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題戦争の記憶と和解

https://www.jstage.jst.go.jp/article/asianstudies/63/3/63_12/_pdf

12アジア研究Vol. 63, No. 3,20177 伊藤正子

 

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韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題戦争の記憶と和解6

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これでも韓国好きな人は完全に病気!

 

 

そのような中、ベトナム国家は、当初外務大臣が

ク・スジョンの活動に感謝する親書を送るなどしていたが、

次第にNGOの活動から距離を置くようになっていく。

 

つまり当初は、「被害を受けた自国民を援助してくれる望ましい動き」

と一般の人々と近しい心情でとらえていた。

しかし、韓国世論の鋭い「記憶の闘争」状況を知る。

それで、「過去にフタをして未来へ向かおう」という

スローガンによる自国民の記憶の統制を重視するようになっていく。

 

韓国軍の民間人虐殺をめぐって

両国の国家レベルの歴史認識(公定記憶)は矛盾するものであり続けている。

それにもかかわらず、

両国家ともに国際問題とさせないよう、心をくだくようになっていく皮肉な状況がある。

 

ベトナム国家は中部の虐殺被害者の人々の記憶を管理しようとした。

韓国NGOは両者の和解の下に後世に語り継ごう

その韓国NGOの努力を阻んでいるのである。

 

1.韓国国会の議決両国の経済関係は、

韓国が1997年の通貨危機の影響から立ち直るにつれて、急速に深化していった。

 

貿易規模は2003年の

307,000万ドル(約3,397億円約712,297億ベトナム ドン)から

2007年に715,000万ドル(約7,911億円約1658933億ベトナム ドン)、

2008年には984,000万ドル(約1887億円約2283063億ベトナム ドン)

に拡大し10)、

2010年に1285,300万ドル(約14,222億円約2982135億ベトナム ドン)、

2011年に1789,100万ドル(約4151044億ベトナム ドン)と、

伸び率は日本ベトナム間を上回る11)。

 

このような両国関係をさらに密接で強力な

「戦略的協力パートナーシップ」に格上げすることを目指して、大統領の訪越が計画された。

 

200910月、当時の李明博(イ・ミョンバク、Lee Myung-bak)大統領は

ベトナムを国賓として訪問した。

しかし、実はこの訪問の直前に一騒動があったことが、翌年報道された。

以下長くなるが、『朝日新聞』の報道を引用する。

 

韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題21ベトナム戦争の解釈

「平和維持」韓国にベトナムが反発。

韓国が、45年前に派兵したベトナム戦争の解釈をめぐってベトナム側と衝突。

昨年10月の大統領の訪問が中止になりかけていた。

功労者の顕彰制度に関する法律改正に際して、
派遣された兵士たちが「世界平和の維持に貢献した」と

表現したことにベトナム側が反発。【ソウル=牧野愛博】

 

政治決着がなされたが、

日本との間では「侵略行為」を批判してきた韓国が「侵略者」と追求される立場になった。

 

複数の韓国政府関係者によると、発端は昨年9月、

韓国の国家報勲庁が発表した「国家報勲制度」の全面改訂作業だった。

 

法律で「戦争参加功績者」とされていた

ベトナム戦争参加者の扱いを「国家的英雄功労者」に格上げする方針を決定。

 

国会に法案改正の趣旨説明文を提出した。

この文書で参加者を「世界平和の維持に貢献したベトナム戦争参戦英雄兵士」と表現。


ベトナムが「我々は被害者。ベトナム戦争の目的が、なぜ世界平和の維持なのか」とかみついた。

 

1020日から予定された李明博大統領の国賓としてのベトナム訪問も

「このままでは訪問を歓迎できない」との考えを非公式に伝えた。

 

驚いた韓国側は、柳明桓Yu Myung-hwan外交通商相を急きょベトナムに派遣。

 

外相会談で「世界平和の維持に貢献」の文書を削除することを約束し、

李明博大統領のベトナム訪問を予定通り実現させた。

 

12月中旬、文言を削除した法案が国会に提出され、審議が続いている。

一連の外交交渉で、

ベトナム政府は「侵略者は『未来志向』といった言葉を使いたがり、

過去を忘れようとする」と指摘。

 

小泉純一郎首相(当時)の参拝で中国や韓国の反発を招いた

靖国神社問題を例に取り上げ、

「この問題で日本を批判している

韓国なら、我々の考えが理解できるだろう」と訴えたという。

 

1999–2000年にかけての『ハンギョレ21』のキャンペーン以降、

「参戦参戦英雄兵士」から虐殺事件を起こしたと非難される立場になった

韓国参戦軍人たちは、戦友会に属している人々を中心に間もなく反撃に出た。

 

まず国会での法制化を通じての自分たちの地位向上と、処遇の改善を求め、

「枯葉剤後遺症患者支援などに関する法律」、

「参戦有功者礼遇(優遇)に関する法律」、

「国家英雄有功者等礼遇及び支援に関する法律」などの新設や改正を目指した。

 

その中で、文言に

世界平和の維持に貢献したベトナム戦争参戦英雄有功者と

枯葉剤後遺症の疑いがある症状の患者たち」とあったのが、

ベトナムとの間で外交問題化したのである。

 

それで結局、「ベトナム戦争英雄有功者」から

「ベトナム戦争英雄」が落ち、ただの「有功者」となった。

 

まずベトナムが日本を持ち出して韓国の説得に乗り出したことを、

日本人として重く受け止めなければならない。

 

日本が韓国、中国、台湾、ロシアという周辺国とはいずれも領土問題でもめる中、

「ベトナムは非常に親日的な国家である」と持ち上げられている。

しかし、アジア・太平洋戦争で大きな被害を受けた国家の一つであるベトナムが、

一方で、日本の公的な歴史認識を批判的に見ていることには留意しておくべきだろう。

22アジア研究Vol. 63, No. 3, July2017


 

それでは、現在の経済的利益を優先して、

自国の被害者住民たちに妥協や忍従を強いる場面も多かった

ベトナム国家が、突然、韓国の歴史認識に異議を唱えたのはなぜだろうか。

 

このニュースは韓国では報道されたが、ベトナムでは全く報道されることはなかった。

 

そのため一般のベトナム人は、

韓国国会の動向や「世界平和の維持」の文言について

一切知らされることはなく、従って反発を招くことも全くなかった

 

ベトナム国家としては報道をコントロールすることで、

国民のナショナリズムを刺激することをうまく回避したと言える。

 

一方で、ベトナム戦争に勝利したことは

現政権の正統性の根源であるから、

韓国国会のベトナム戦争参戦正当化の言説を認めることはできなかった。

 

さらにまた現在のベトナムでは、

相当数の国家幹部、特に政権の中心にいる人々が、

ベトナム戦争を自ら経験してきた。

 

かれらにとっては個人的心情からしても、

侵略」を「貢献」と言いくるめる韓国の歴史認識

特に国会という国家を代表する場で

そのような歴史認識で法律が制定されることは、

許容できる範囲を超えたものだったのだろう。

 

中部各省の韓国軍による虐殺被害住民に対しては、

「過去にフタをして未来へ向かおう」と呼びかけてきた国家だった。

が、事が自分たち自身の「誇り」、「正統性」、「アイデンティティ」に

抵触する問題として立ち現れてきた時には、我慢ならず、声を上げることになった。

 

しかしベトナムとしては、参戦した韓国軍兵士の位置づけは韓国の内政問題。

自分たちの関知するところではなく、

ただ国家レベルでベトナム戦争を正当化する言説を除去することができれば

それでとりあえず問題はないと考えていた。

 

韓国軍のベトナム戦争参戦に関して、韓国世論が分裂していることを良く解っている。

ベトナム国家は、韓国がこの問題にあくまでこだわり、

有望な投資先であるベトナムとの関係を

悪化させるような措置はとらないであろうと読んでいた。

 

そのため、韓国が「ベトナム戦争」の語句を削ってくれさえすれば、

ベトナムの国民世論を沸騰させるような措置はとらずに穏便にすませたいと願っていた。

 

外交上手のベトナムならではの対応ではある。

 

こうして李明博大統領の200910月の訪越は無事終わり、

両国関係は「包括的パートナーシップ」から「戦略的協力パートナーシップ」に格上げされた。

 

そして同年、韓国はベトナムの6大貿易相手国に浮上した。

 

日韓、日中関係と異なり、両国政府は問題がさらにエスカレートすることを望まず、

互いの異なる公定記憶には目をつぶり、互いの事情を「慮る」配慮を見せて、根本的な解決を目指すことなく問題を葬り去ったと言える。

 

2.阻止されたベトナム人記者の韓国派遣計画韓国では、

『ハンギョレ21』の報道があった後、

韓国のNGOが「ベトナム戦争真実委員会」という組織を結成した。

 

韓国軍が参戦したベトナム戦争中の真実を明らかにし、

ベトナムに謝罪して、和解への道を模索し、未来の平和を追求するのが目的である。

 

当初委員会は、韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題

ベトナムのPhú yên省につくることとなった

韓国ベトナム平和公園内に「平和歴史館」をつくることに力を注いだ。

 

しかしベトナム側の許可が得られなかったので、韓国国内での建設に計画を変更した。