忠犬ハチ公 ~生誕101年~ | さくらゆかりのマイページ

さくらゆかりのマイページ

すっかりオバさんの女装子ですが、お付き合いくださいね

みなさま、こんにちわ飛び出すハート 

さくらゆかりです。

 

 

昨年は、11月に忠犬ハチ公生誕100年ということで

100周年のイベント(ホームページ、フェスティバル、コンサート、グッズ製作、販売…)が、大館市や渋谷区で盛大に開催されました。

 

 

 

 

 

 

先日、NHKでハチ公100年の特集番組の再放送があって、たまたまそれを見たのですけど、ワタシがハチ公の物語をくわしく知ったのは、平成27年9月に放送された

 

◆歴史秘話ヒストリア◆

~きっと会える! 大好きな人に 渋谷とハチ公 真実の物語~

 

 

 

 

 

 

ハチ公とハチ公像を描いた、とっても感動的な歴史番組でアセアセアセアセ 録画をしたのでそれ以来何度も振り返っては見てきました猫

 

 

ということで、今回は忠犬ハチ公像を私なりにたどるブログにしようと思います。

 

 

ハチ公(っぽい??) 羊毛人形も作ってみましたので、最後にそちらもごらんくださいねニコニコ

 

 

宝石赤 宝石赤 宝石赤 宝石赤 宝石赤 宝石赤 宝石赤 宝石赤 宝石赤

 

ハチ公は1923年秋田県大館市に生まれた秋田犬で、わずか生後50日前後で、東京帝国大学の農学の権威、上野英三郎博士のもとへ贈られました。

愛犬家の上野博士が日本犬を探している最中だったそうです。

 

上野英三郎博士(東京大学農学資料館)

 

 

博士は、秋田犬の子犬に「ハチ」という名前を付けました

それはそれは、とても可愛がって育てられましたにっこり

当時犬は外で飼うものと決まっていたのに、いっしょに食事を食べたり

病気になった時には、お部屋でふとんをかぶせて博士自らが看病したりと、この上ない

愛情を注ぎましたイエローハーツ

 

 

 

忠犬ハチ公物語

 

やがて、大きくなったハチは、博士の住んでいた渋谷(今の松涛辺り)で

博士が仕事に行く送り迎えをするようになり、毎朝いっしょに歩くのが日課になりました

それは朝な、夕なに毎日続きましたあしあと

 

 

 

 

ところが…

そんなハチに悲しい出来事が起こります泣くうさぎ

一年半ほど経ったある日、博士が脳内出血で帰らぬ人となってしまったのです泣

 

博士の妻八重子は、正式に入籍した妻ではなかったため、ハチと八重子は上野家を追い出されることになりました悲しい悲しい

 

 

ハチは渋谷からかなり離れた世田谷の家に住むようになりましたが

ハチはその頃から、ある行動に出るようになります凝視

 

 

家を抜け出しては、5Kmもの道を歩き、渋谷駅に博士の送り迎えをしに出かけるようになったのですアセアセ

 

 

 

5Kmもの道を行き来するのはハチにとっても大変なことで

妻の八重子は、ハチの負担を軽くするために、ハチを世田谷の家から、渋谷の知人の家に預けるようになります

 

でも…

そのころのハチは、ただの普通の飼い犬で、駅で追い払われたり

野犬に襲われてケガをしたり(耳が垂れ下がっているのはその時できた傷…)

野良犬と間違われて捕獲されてしまったりと

それはそれはたいへんな苦労をしましたショボーンショボーン

 

それでもハチは、帰らぬご主人さまを待つため毎日渋谷駅に通い続けましたハートブレイク

 

 

ところが、そんなハチに転機が訪れます

 

渋谷駅に通うハチのことを東京朝日新聞が記事にしたのです

その評判はたちまち日本中に広まり、それ以来ハチは時の犬キラキラとなりました

 

 

ハチは、渋谷駅でみんなにやさしくされ、ハチのために、食事をあげる人や、お金を寄付する人たちが次々に現れたのです!?

 

 

寄付は渋谷駅に届けられ、渋谷駅では駅員がハチの世話をするようになりました。

そして、世話をした記録が日誌として保存されるようになりました

(先日の番組では、その日誌本がはじめてテレビで公開されていましたルンルン

 

 

ハチは主人の帰りを待つ犬として有名になり「忠犬ハチ公」と呼ばれるようになりました。修身の教科書にも一時載るようになり、さらに、2年後にはハチ公の姿を渋谷の街に残そうと、

 

西郷隆盛像などを作った有名な彫刻家 安藤照の手により渋谷駅の前に

ハチ公像が建設されました

 

 

除幕式の時の写真

(本人!? 本犬も出席しました)

 

 

 

 

しかし、その頃ハチはすでに老齢となっており、もはや家からの往復をすることも困難となってきて、渋谷駅の好意で、駅に寝泊まりする場所を与えられるようになりました

 

しかし、老いの訪れを止めることはもはや敵わず、一年後の昭和10年、ハチは渋谷駅近くの路上に夜中に出かけ、そこで息を引き取りましたzzz

 

 

死因は、当初はフィラリアによるものが原因と思われていましたが、ハチの遺骸は東京大学により保存され、病理検査などの結果、後年、がんが一番の原因だったのではという説に改められました

 

保存されたハチの臓器

(東京大学農学資料館)

 

 

 

 

 

 

さて、ここからは、残されたハチ公像のその後になります…

 

ハチ公像は渋谷の街のシンボルとして人々から愛されるようになりましたが、

太平洋戦争に進行に伴い、金属供出令が出され、銅もあちこちで国へ提出されるようになっていました。

ただハチ公像は特別ということで、像は撤去されたものの、供出せず保管されることになっていたのに、手違いで溶かされてしまい、その姿を見ることができなくなってしまいました

 

 

戦争は負け、渋谷の街も焼け野原となり、人々の心には虚無感だけが漂っていました魂が抜ける

 

そんななか、いつしか、

渋谷の街にハチ公像を取り戻そう!

という声が上がるようになり、

渋谷の町の人たちは再建計画を始めることになります。

 

ハチ公像を製作した安藤照は戦争で亡くなり、材料となる銅も不足する中、安藤照の息子の安藤士は、父の後を継いでハチ公像の製作に取りかかります

 

材料の銅に、父が製作した彫刻の大作「大空に」を溶かすことを苦渋の決断で下した安藤士は、昭和23年、ハチ公像の2代目を完成させ、ここに渋谷の街にふたたびハチ公像がよみがえりました

 

 

 

東京大学には、上野博士とハチ公が手を取り合い再開するもうひとつのハチ公像がつくられています

 

 

 

 

そして、農学資料館には、ハチ公の標本と共に、

東京大学のハチ公像製作のいきさつや日本各地のハチ公像の紹介など、

ハチ公にまつわる記事がたくさん紹介されています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寄せ書きまで…

 

 

 

 

 

 

渋谷区郷土博物館には、真っ白いハチ公の像がありました

 

 

 

 

 

 

青山霊園には、上野博士のお墓とともに、かわいい忠犬ハチ公の碑が作られています

 

 

 

 

 

 

こちらが、ハチ公の墓碑です

お花がいっぱい供えられていましたよイエローハーツラブラブラブラブ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、見よう見まねで作成した

忠犬ハチ公!?

 

 

色や形がすこし違うのはご愛嬌をOK

 

 

ワンちゃんついでに、もう一体ワンちゃん製作犬

 

 

ワン!? と今にも声をかけてきそうですイエローハーツ

 

 

 

 

 

去年作った子犬といっしょにお散歩あしあと

 

 

ワン!!  ワン!

 

 

そして、渋谷駅のハチ公像

いまや、外国人観光客に大人気音符の名犬!?となりました

 

 

 

というわけで、半年遅れの忠犬ハチ公物語、お届けしました犬

 

ワンちゃんでも、ねこちゃんでも、うさぎさんでもみんなそうですが、飼い主になついたペットほど可愛いものはありませんね🌝

 

ハチ公の物語は、飼い犬のことだけでなく、民衆の心や戦争の浅はかさなども伝える、教訓の深い出来事だったと思いますよだれ

 

ハチ公を見習って、ひとも真摯に誠実に生きて行かなければいけないなおねがい という思いを新たにしました…

 

 

 

晴れ 晴れ 晴れ 晴れ 晴れ 晴れ 晴れ 晴れ

 

それでは皆さん、明日も皆さまにとって良い日でありますように~