冬紅葉まだ飽き足らず赤々し
( ふゆもみじ まだあきたらず あかあかし )
( ふゆもみじ まだあきたらず あかあかし )
昨日遂に12月に入った。今年も後1ヵ月かと思うと、何か急に急(せ)かされる気がする。ただ、紅葉の方はというと、かなり散ってきてはいるが、楓(かえで)などは、まだまだ真っ赤に色づいている。掲句は、そんな状況を詠んだ句である。
ただ、お気づきの方もいるかも知れないが、掲句は、中七で「飽き足らず」を「秋足らず」に掛けた駄洒落の句である。すなわち、「紅葉は、秋の期間が足らなかったせいか、冬の今も飽きることなく赤々と色づいたままである」というのが句意である。

周知の通り、こういう駄洒落の句は、月並俳句(つきなみはいく)の一例として、あの正岡子規にこっぴどく批判された。曰く、卑俗で陳腐であり美的感覚に欠けるとのこと。
確かに、そういう側面はあって、駄洒落的なことを思いつくと、本意を忘れて言葉をいかにつなげるかに注意が向いてしまう。ただ、句をいろいろ練っていると時々思いつくので、一度完成させて面白いものは残すことにしている。
ところで、子規のいう月並俳句とは駄洒落の句だけではない。その特徴を、内藤鳴雪、高浜虚子などが、子規の意を汲んで、分かりやすく以下のようにまとめている。
①駄洒落 ②穿ち(うがち) ③謎
④理知的 ⑤教訓的 ⑥厭味(いやみ)
⑦小悧巧 ⑧風流ぶる ⑨小主観
⑩擬人法 等
これに照らして自分の句を見てみると、おやっと思うものが多々ある。ただ、あまり気にすると句ができないので、取りあえず参考までに頭の片隅に入れて置くことにしたい。その上で、今後とも、月並と言われようが牛丼並と言われようが、面白い句づくりに徹していきたい。
以下では、月並俳句をもう少し知っておくために、子規が批判したいくつかの句を参考まで掲載する。注釈は子規の「俳諧大要」での評を要約したもの。
○朝顔に釣瓶取られてもらひ水 (加賀千代女)
「もらい水」は俗が極まり蛇足。「取られて」というのは最も俗。よく知られてい
るが俳句とは言えない。
○世の中は三日見ぬ間に桜かな (大島蓼太)
「桜が咲いてすぐ散るのは、世の中の有為転変のようなものだ」という理屈を
含んでいるのがよくない。
○朝顔や紺に染めても強からず (横井也有)
紺に染めると糸は強くなるという俗言に拠った句で、朝顔は紺に染めても強く
ならなかった、とおどけた句。初心者は真似すべきでない。
尚、上記の批判には反論も多々あり、一概に全てが正しいとは言えないようだ。

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