■ 微妙なる距離を保ちてつがい鴨
( びみょうなる きょりをたもちて つがいがも )
いつも散歩する道沿いの疎水で、最近がよく真鴨(まがも)が泳いでいる。先日のある冬日和の朝のこと、その番い(つがい)が、水底に設置された鉄棒に足をかけ、並んで休んでいた。

何でもない光景だが、二羽の鴨の距離が何となく気になった。その距離がいつもよりも少し離れているような感じがする。何かあったのだろうか。掲句は、その時の印象をそのまま詠んだものである。「鴨」は冬の季語。
写真の番い鴨の距離についてどう思うかは、各人各様かなり違うと思うが、この距離あるいは距離感は、親密度を測る尺度であるとも言われている。近ければ、それだけ親密度が高いとみられる。
ただ、日常においてどれくらいの距離(感)が適当なのか。物理的な距離であれば、おおよそ決まってこようが、お付き合いの関係も含めて考えれば、結構この距離感を考えるのが煩わしい。近づき過ぎれば相手の欠点が見えて喧嘩になることもあるし、離れすぎれば相手が分からなくなり疎遠になる。
話はかなり脱線したが、鴨の番いは、越冬中の10月末~12月に形成され一緒に行動するそうだ。繁殖期は4~8月で、水辺の草むらや藪の下の浅いくぼみに巣を作り、6~12個ほど産卵する。抱卵・育雛はメスのみで行うが、この時に番いの関係は解消されるとのこと。
尚、鴨に関し、これまで詠んだ句には以下のものがある。
【関連句】
① 真鴨六つ汝(ナ)はいつぞやの雛鳥か
② 春の鴨仲良きことは良きことかも
①は、数年前に詠んだ句で、疎水で親鳥について泳いでいた六羽の雛鳥を思いだし、戻ってきたことを喜んで詠んだ句である。それまでは、ここで鴨を見ることはほとんどなかった。②は、いつも番いで仲よく餌をとっり、休んだりしているのを、ある春日和に見て詠んだ句である。
【鴨の参考句】
毛衣に包みてぬくし鴨の足 (松尾芭蕉)
水底を見てきた顔の小鴨かな (内藤丈草)
鴨一羽飛んで野川の暮にけり (正岡子規)
太き尻ざぶんと鴨の降りにけり (阿波野青畝)
鴨数多水尾広げつつ迫りくる (山田ノブヱ)

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