「鳳仙花(ほうせんか)」は、田舎の庭に何本も植えてあって、幼い頃からよく知っている草花の一つである。特に、果実を摘まむと簡単に割れて、中から黒い種が飛び出すのが面白く、幾つも摘まんで遊んだことを思いだす。別名に「爪紅(つまべに)」があるが、これは、昔女の子が爪を染めるのに使ったことに由来する。また、沖縄では「てぃんさぐ」と呼ばれ、民謡の「てぃんさぐぬ花」が有名。

 

 

以下では、その「鳳仙花」を詠んだ句をいくつか選び、その解説と感想を記したい。自作句と概説については、昨年9月に投稿した「秋季:鳳仙花」という記事にまとめているので、合わせてご覧いただきたい。

 

*作者のプロフィールについては、Wikipediaなどネット上のデータを参考に記載している。但し、ネットで検索できなかった場合や内容が不確かな場合は、やむをえず「作者経歴不詳」と記している。

 

 

 

鳳仙花茎も見えざる花盛り

ほうせんか くきもみえざる はなざかり

大橋櫻坡子 (おおはし おうはし)

 

「鳳仙花(ほうせんか)」は、葉のわき(葉腋)に独特の形をした鮮やかな花をつける植物で、盛りの時期を迎えると葉や茎を埋め尽くすように花が密生する。掲句は、その様子を、そのまま写しとった句である。「茎も見えざる」という視覚的で簡潔な描写によって、「鳳仙花」の溢れんばかりの生命力と色の圧倒的な量感を巧妙に表現している。

 

大橋櫻坡子  (1895年~ 1971年) は、滋賀県出身の俳人。1913年頃から俳句を始め、1922年、「山茶花」創刊同人、1932年、『ホトトギス』同人となり、『雨月』を創刊主宰した。虚子が提唱した「客観写生」や「有季定型」の伝統を忠実に守りながらも、日常の風景を温かく、かつ鋭い視点で切り取る作風で知られている。

 

 

 

正直に咲いてこぼれて鳳仙花

しょうじきに さいてこぼれて ほうせんか

遠藤梧逸(えんどう ごいつ)

 

「鳳仙花」は、まっすぐに茎を伸ばし、その周りに多くの花を咲かせる。そして、時が来れば静かに花びらを散らし、種子を周囲に弾き飛ばす。掲句では、その一連の様子を「正直に」と表現しているが、これは、自然の理(ことわり)に従い、ひたむきに生きる姿に共感したためと思われる。多分、作者自身もそういう素朴で飾らない生き方を好んだのだろう。温かみと深みのある一句である。

 

遠藤梧逸(1893年-1989年)は、岩手県出身の官僚、俳人。1921年、東大法学部卒業後、逓信省に入省、郵便局長、東北電力社長などを歴任し、その傍ら、「ホトトギス」の高浜虚子、富安風生に師事。俳誌「ホトトギス」「若葉」同人。1951年「みちのく」創刊主宰。(再掲)

 

 

 

鳳仙花機嫌よき種飛ばしけり

ほうせんか きげんよきたね とばしけり

朝倉和江(あさくら かずえ)

 

「鳳仙花」の大きな特徴の一つは、果実が熟すと、手や風が触れるだけで皮が勢いよく弾け、中の種を遠くまで飛ばすことである。掲句では、その習性捉えて、「機嫌よく種を飛ばしている」と表現しているが、「機嫌よく」とは作者の心持を投影したものと思う。尚、学名の「Impatiens」 は「我慢できない・辛抱強くない」の意だが、そのことを敢えてポジティブに捉えているところが面白い。

 

朝倉和江(1934年〜2001年)は、大阪府出身の俳人で、生け花教授としても活動。幼少期の大病により生涯にわたり人工透析を受けながら、病床での苦しみや喜びの葛藤を句に表現した。また、日常のふとした自然の表情や、季節の移ろいを丁寧に見つめ、端正で叙情豊かな句を多く詠んだ。(再掲)