今日は、
神社参拝のマナーのお話。
近年厳島神社や出雲大社での、
誤った参拝方法が広まってしまっているという。
それは、
『厳島神社の大鳥居の柱に硬貨を刺せば、願いが叶う』といった噂や、
『出雲大社の神楽殿にある大しめ縄に、お賽銭を投げて刺さると縁起が良い』という噂。
あ「…それで…実際のところ、
どうなのでしょうか…」
参拝の方法としては、
誤っているというほかないでしょうね」
宗像三女神「…気持ちを受け止めてあげたい思いは、あるんだけどね…。
鳥居の柱もこれで傷んでしまうし…。
しめ縄も本来神域を示す、神聖な結界だから…。
そこに何かを投げるという行為は…ね」
あ「やっぱり…そうです…よね…。
でもどうしてこういう噂って、
広まってしまうんでしょうか…」
言うなれば、
お前がこの夏に行った、
宮崎県 天岩戸神社の『天の安河原』。
あそこに積まれている石も、
『念を込めて石を積めば、願いが叶う』とか、
そういう類の噂から始まったやろ」
あれも手の脂で表皮が傷付けられて、
根っこも踏み固められて、
ご神木自体が弱ってしまうって…」
ス「決してこうして、
民間信仰のような新しい形が広まることを、
完全な悪としているわけじゃないんやで。
前も話した『七福神』なんかも、
そうした民衆たちの思いで自然発生的に、
作り上げられたものやねんから。
ただその民間信仰も、
神や神社側に迷惑が掛かってしまう、
やり方となると…な…」
あ「…僕も…微力ですが…、
こうしてブログで取り上げることで、
少しでも間違った認識に対する理解を、
広めていければと、思います…」
ス「…神社というのはな、
本来、『願いが叶う場所』でも、
『パワーをもらえる場所』でもないねん。
願いを叶える力も、
無限に湧いてくるパワーも、
自分の中にちゃんと、
秘められているものやねん。
その本来の『素晴らしい自分』を、
日々の穢れ(気枯れ)を祓い、
思い出してもらうためにある場所が、
『神社』だということを、
いつまでも忘れないでいてほしい」
あ「…そう…ですよね…」
…。
……。
………。
…………。
神さまの悲しみに触れる度、
こうして神さまの物語を、
伝えさせて頂いてる立場として、
気が引き締まる思いになる。
日本の神さまは確かに、
どこまでも優しくて、温かくて、
親しみやすい部分もあるけれど。
それだからこそ、
そんな優しい神さまたちを、
悲しませるようなことはしないでほしい。
そしてもし、
これを読んでくれている、
皆さまの周りの方が、
無意識にでも、
誤った認識を持ってしまっていた時は、
その時は、
ソッと優しく伝えてあげてほしい。
神さまの悲しみを、
神社の本当の存在意義を。
例え小さくとも、
こうして伝えていくことが、
神さまに対する、
それぞれの『正しい理解』への、
きっかけとなることを祈って。
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