まずは皆さんに、
感謝とお知らせを☆
昨日発売を迎えた、
荒川祐二最新刊、
『神さまと友達になる旅』ですが、
早速『〇〇の本屋さんにありましたよ~☆』という、
お写真を送って頂き、
ありがとうございます☆
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※もちろん前回『神訳 古事記』の時に書いてくださった方の、
再度のレビュー投稿も大歓迎ですのでぜひよろしくお願い致します☆
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そして、
今日のお話☆
今月7日に、
凄惨な事件が起きてしまった、
富岡八幡宮。
昨日僕は息子くんを連れて、
富岡八幡宮の地へ来た。
何のために来たか。
それは実際に、
この地の空気を自分の肌で感じ、
自分の足で歩いてみたかったから。
それに初詣の人が多くなる時期の前に、
これをしておかないと、
この一年は終わらせられないという、
直感があったからなのかもしれない。
意外にも人の姿は多く、
自分自身の記憶というものを取り除けば、
事件の傷跡というものを、
感じさせるものは、
何も無いように思えた。
富岡八幡宮の始まりは、
1627年(寛永四年)、
菅原道真公の末裔といわれる長盛法印が神託により、
創祀したのが始まりとされている。
…ということで…。
…。
……。
………。
…………。
道「どうも~!!!!」
あ「ちょっと今日のセンチな気分には、
テンションが追い付かないのですが…」
(菅原道真公ことミッチ―)「まぁまぁそう仰らずに、
過去は過去!!
今この瞬間を明るく、楽しく、
精一杯生きること。
それが『中今』です!」
※『中今』とは、神道における歴史観の一つ。
永遠の過去と、永遠の未来の中心として存在する、
『今』を生きることが最上であるという考え方。
あ「まぁミッチ―がそう言うのなら…」
道「もちろんここに祀られている神々も、
そんな過去のことは見ていません。
未来を見据えて、
今この瞬間をどうしていくべきかを、
それぞれが考えています。
ねぇっ!?」
そう言ったミッチ―に、
案内されて、
隅々まで境内をまわると、
そこには…?
あ「タケミカヅチさん!オオクニヌシさん!!
オオモノヌシさんまで!!」
道「私、私、私が祀られている、
こちらもどうぞ」
イチキシマヒメ(弁財天)、
スクナヒコナさん…」
起きてしまったことは起きてしまったこととして、
『今この瞬間』どうするべきかを、
考えています。
神々がそう考えて、
『今』という時間を過ごしているのに、
人がなぜ起きてしまった『過去』に、
縛り続けられる必要があるのでしょう?」
あ「本当に…そうですよね…。
神さまが前を向いているのに…。
でも本当に不思議なんですけど、
事件が起きた後特有の、
重たい空気というものが、
本当に感じられないです…。
息子くんもこの場所を、
楽しんでいるみたいですし…」
祓いの儀式も行われましたからね。
もう既にこの富岡の地は、
前を向いているということです。
そうでなければ、
その場の空気を純粋に感じとる、
子どもはこの場に入りたがりません」
過去は過去として、
『今』をどう生きるか。
改めて本当に、
腑に落ちました」
道「まぁとにもかくにも、
本殿で参拝なさってください。
主祭神たちも喜びますから」
…。
……。
………。
…………。
本殿の前に立ち、
心静かに、
自分と向き合う…。
…この時に感じた思いは、
やはりすべての現実は、
自分自身の心の映し世なんだということ。
その心が、
恐れで満たされれば、
恐れを招き、
その心を、
希望で満たすのならば、
希望が招かれ、
そして現実も、
その通りに映し出される。
「神が降りるご神体である『鏡(かがみ)』から、
『我(が)』を取れば、
『神』になる」
とスサノオさんに言われたことのある言葉、
やはり現実の映し鏡である、
自分の心こそが、
『神』なのだと思う。
自分自身の心を、
いつもぶれない愛と希望で満たし、
これからも強く歩いていく。
正直富岡八幡宮のために、
何が出来るかと思って、
訪れた今日(昨日)だったけど、
逆に僕は、
力を頂いてしまった。
神はいつでもぶれることはない。
ぶれてしまうのは、人間だけ。
その思いを胸に、
ぶれない強い心を大切に。
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