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 目次

 

 南山裾帯郭虎口

 

 

 まとめ

 


 

南山裾帯郭虎口
大手口の西枡形虎口から百々橋口までの南山裾には、東西方向に狭く長い郭が続いている。

郭の南面石垣に沿って側溝があり、百々橋から大手まで内堀との間は通路になっていた。

この場所は百々橋から大手間の中間地点に当たるが、平成19年度の発掘調査にて、通路に面して虎口が東西2箇所あることが分かった。

2箇所とも虎口の幅は約4.5メートル。










西側の虎口の幅は約4.5メートルで、入り口に石段が1段設けられ、石段の内側は堅く踏みしめられたゆるい上り勾配の通路状で、その奥は西の上段郭に取り付く石段の踊り場となっている。

虎口西端の石垣沿いには、側溝の縁石を兼ねた土壁の土台となる地覆石(狭間石)の石列と柱と柱の間の距離(柱間寸法)約1.8メートル(6尺)を測る礎石2基、礎石抜き跡1基が残っていた。

また、礎石が小さく土壁が付くことからこの建物は薬医門や棟門のような重厚な門ではなく、東西方向に棟を持つ梁行き2間、桁行き2間以上の建物で、その西側2間分が出入り口となっていたと考えられ、この虎口の東側は通路に面して土塀があったとみられる。

虎口内の1段上がった踊り場からは、西向きに上段郭へ上がる石段が設けられていた。

石段は、幅1.7メートル、奥行き2.7メートルで、最下段と南辺に側溝が付き、南東隅で虎口西端の側溝と繋がっている。

この石段の北側には用途・目的等が分からない石段と同じ勾配を持つ幅1.2メートルのスロープが付いている。

石段を上がった所からは百々橋方面と大手口方面の両方が見渡せる。

柱を受ける礎石は残っていないが虎口との位置関係などから、物見櫓のような建物があったと想像出来る。






東側の虎口は4段の石段を登って入るなど西側虎口と構造が異なるが、両虎口が取り付く下段郭に伴う一連の施設と考えられている。

 


 

安土山全景


 

 

 

「観音寺城」を巡った帰り道です。

そういえば写真撮ってなかったかな...と思い立ち寄りました。