安土城 -近世城郭の先駆となった信長の幻の城-

 

 

別名  ―
所在地 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦 
城地種類 山城
築城年代 天正4年(1576)
築城者 織田信長
主要城主 織田氏
文化財史跡区分 国指定特別史跡  
天守の現況・形態  天守台の遺構が現存

 

安土城は、織田信長が「天下統一」の拠点の城として、琵琶湖湖畔の標高約198メートルの安土山に天正4年(1576)から築城し、天正7年に天主が完成。

金、朱、黒などに彩られた五重七階の豪壮な天主や総石垣の普請、麓に計画的に設けられた城下町などは以後の城づくりにはかり知れない影響を与えた。

本能寺の変後、天主を中心とした山上の建物群は焼失し、現在は天主台や主要な郭の石垣を残すのみである。

しかし近年の発掘調査と整備によって、大手道や家臣団屋敷跡、虎口跡など「幻の城」の姿が明らかにされつつある。





 

 

 

 目次

 

 大手道

 

 豊臣秀吉邸跡
 

 黒金門跡

 

 

  二の丸跡

 織田信雄公四代供養塔

 信長公廟

 

 

  天主台跡

 

 

  摠見寺

 摠見寺本堂跡

 三重塔(重要文化財)


 

 100名城スタンプ

 パンフレット

 

 

  安土城天主 信長の館

 チケット

 パンフレット


 

 まとめ

 

 

 

大手道
幅約6メートルの石段が約180メートル一直線に延び、山腹で左(西)に折れている。

両側には家臣団の屋敷があったとされる。

 

 

 

豊臣秀吉邸跡
大手道下部の左手には羽柴秀吉の屋敷があった。

上下2段にわかれた大規模な屋敷で、下段の入口には櫓門が、上段の入口には高麗門が存在した。

なお、この秀吉邸の櫓門は最古の例として知られている。

 

 

 

黒金門跡
安土城中枢部への入り口である黒金門は、ここまでの石垣に比べ、とくに大きな石を使って組まれている。

この黒金門も天主と共に火災に遭ったことが分かっており、発掘で見つかった焼けた瓦の中には、菊紋・桐紋などの金箔瓦も含まれていた。


 

 

 

二の丸跡

天主台の西下にあたる位置が二の丸(西の丸)跡。
 
織田信雄公四代供養塔
信雄の五男 高長は寛永9年(1632)に信雄の菩提寺として徳源寺(宇陀市)を建立し、信雄から信武まで4代の遺骸が埋葬されていたが、5代・信休の柏原転封にともなって、摠見寺の寺域であった現在の場所に改葬されている。


 

 

信長公廟
天正11年(1583)2月に羽柴秀吉によって建立され、信長の太刀や烏帽子、直垂(ひたたれ)などの遺品を埋葬して本廟とした。



 

天主台跡

安土城の天主は、完成してからわずか3年後の天正10年(1582)6月に焼失する。

その後、永い年月の間に瓦礫と草木の下に埋もれていたが、昭和15年(1940)はじめて調査の手が入る。

厚い堆積土を除くと、往時そのままの礎石が見事に現れた。

この時に石垣の崩壊を防止するために若干の補強が加えられた他は、検出した当時のまま現在にいたっている。  

安土城天主は、記録から地上六階、地下一階の、当時としては傑出した高層の大建築であったことがわかる。

天主地階は穴蔵形式になっており、東西10列、南北10列の天主礎石が並ぶ。

ただし、中央部には礎石が確認されていない。





天主跡から岐阜方面を見る

 

 

 

摠見寺

摠見寺は、織田信長が安土城の郭内に創建した臨済宗妙心寺派の寺院。  

安土城を築く際に、近隣の寺社から建物を移築したという。
 
摠見寺本堂跡
天正10年(1582)天主崩落の際にも焼け残ったが、安政元年(1854)11月16日に火災により焼失してしまい、現在は礎石のみが残されている。

 





摠見寺本堂跡から、西の湖(琵琶湖最大の内湖)や八幡山を見る

 

 

三重塔(重要文化財)
摠見寺三重塔は三間三重塔で、屋根は本瓦葺き。

この三重塔は室町時代の建物で、棟柱に「享徳三年建立、天文二十四年修理」の墨書きがある。(享徳三年は1454年、天文二十四年は1555年)。

天正3年(1575)から天正4年(1576)頃に、甲賀の長寿寺(現在の甲賀市石部町)から移築したものとされている。

 

 

 

 

今回スタンプは「信長公廟」で押しました。

 

なぜかそこにありました。

 

しかしスタンプが逆になっています。

 

確認してから押すことをおススメします!!!

 

100名城スタンプ
設置場所 安土城天主信長の館、安土城郭資料館、安土城跡受付

 



 

パンフレット

 

 



 

 

 

 

【名称】 安土城
【住所】 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6371
【電話】 0748-46-6594
【拝観時間】 8:30~17:00(入場受付最終は16:00まで)
【拝観料】 大人500円
【駐車料】 500円
【休観日】 年中無休

※ 2013年11月2日時点の情報です
 
 

 

安土城天主 信長の館

焼失から400余年も経た1992年「スペイン・セビリア万博」の日本館のメイン館展示として安土城天主の最上部5階6階の部分が、原寸大にて忠実に内部の障壁画と共に復元されその姿を現す。

万博終了後その「天主」を安土町が譲り受け解体移築し、新たに5階部分に「発掘された当時の瓦を焼きあげて再現した庇屋根」「天人の飛ぶ様を描いた天井」6階部分に「金箔10万枚」を使用した外壁、「金箔の鯱を乗せた大屋根」が取り付けられた。

内部には当時信長が「狩野永徳」を中心に描かせたと伝えられている「金碧障壁画」の再現もされ、現在「平世の安土城」として保存展示されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 











 

 

 

チケット

表 
 

 




 

 

 
パンフレット

 

 



 



 

【名称】 安土城天主 信長の館
【住所】 滋賀県近江八幡市安土町桑実寺800
【電話】 0748-46-6512
【開館時間】 9:00~17:00(入館は16:30まで)
【入館料】 大人500円、高校生300円、小中生150円
【休館日】 月曜日、祝日の翌日、年末年始(12月28日~1月4日)

※ 2013年11月2日時点の情報です

 

 

 

信長はそれまでの城とは異なる「見せるための城」を造りました。

近世城郭の先駆け、モデルとなった安土城。

「信長の館」で目の当たりにした安土城は豪華絢爛でした。


その城を考えた信長の頭の中が覗いてみたくなりました。

日没も近い時間だったので、次回もっと詳しいところまで回りたいと思います。