日本100名城 51.安土城 再訪【後編】はコチラ

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 目次

※過去訪問重複箇所は赤字

 

  摠見寺跡

 三重塔(重要文化財)

 二王門(重要文化財)


 

 百々橋口道

百々橋

 

 

 パンフレット

 

 まとめ

 

 

 


 

 


「天守台跡」を折り返し、元来た坂道を下ると二手に道が分かれる。



 
 
 
「摠見寺跡」へ登る石段
 
 
 

 
 
 
「石垣」
 



「摠見寺 裏門跡」から振り返る


 


 

摠見寺跡

摠見寺は、織田信長によって安土城内に創建された本格的な寺院。

天主と城下町を結ぶ百々橋口道の途中にあるため、城内を訪れる人々の多くがこの境内を横切って信長のところへ参上したことが数々の記録に残されている。

本能寺の変の直後に天主付近が炎上した際には類焼をまぬがれることができたが、江戸時代末期の嘉永7年(1854)に惜しくも伽藍の中核部を焼失してしまう。

その後、大手道脇の伝徳川家康邸跡に寺院を移し、現在に至るまで法灯を守り続けている。  

平成6年度に発掘調査を行った結果、旧境内地の全域から時代を異にする多くの建物跡が発見された。

南面して建てられた建立当初の伽藍配置は、密教本堂形式の本堂を中心に、その前方両脇に三重塔と鐘楼を配置した中世密教寺院特有のものだった。

本堂の脇には、鎮守社と拝殿が建てられている。

境内の南方は急傾斜地となっているため、参道は西の二王門・表門から本堂前を通り、東の裏門に通じている。

建立に当たって、これらの建物の多くが甲賀郡を中心に近江国各地から移築されたことが、種々の記録から分かった。

その後、豊臣秀頼によって本堂の西に、渡り廊下で結ばれた書院と庫裏等が増築された。

江戸時代になると、伽藍の東側に長屋と浴室・木小屋・土蔵・木蔵など、寺の生活を支える多くの建物が建てられた。
 
 
 
 




 
 
 
「本堂跡」
 
 

 
礎石が残る
 
 
 
 




「拝殿跡」

 
 
 
「庫裏跡」から見る「書院跡(下段)」と「本堂跡(上段)」
 




「庫裏跡」から見る景色

「西の湖」が見える。





「書院跡」から「庫裏跡」とつなぐ石段





「表門跡」から見る「庫裏跡」





「表門跡」

 
三重塔(重要文化財)
安土山の中腹にある摠見寺三重塔は三間三重塔、屋根は本瓦葺きの重要文化財。

この三重塔は室町時代の建物で、棟柱に「享徳三年建立、天文二十四年修理」の墨書きがある。(享徳三年は1454年、天文二十四年は1555年)

天正3年(1575)から天正4年(1576)頃に、甲賀の長寿寺(現在の甲賀市石部町)から移築したものとされている。

慶長9年(1604)に豊臣秀頼が一部修理をしている。

また、大正3年(1914)に突如3層目の屋根と、1・2層目の軒が崩落したが、すぐに修復されており、平成29年(2017)にも台風の被害があり、平成30年秋にかけて大屋根をつけて修復が実施されている。


非公開。

 

 

 

「三重塔」から「二王門」へ石段を降りていく。

 

 

 

 

二王門(重要文化財)
正面の柱間三間の中央間を出入口とする楼門を三間一戸楼閣といって実例が多く、ここでは正面の脇間に金剛柵を設け、金剛力士の像をまつるため二王門と名づけている。  

この門は棟木に元亀2年(1571)の建立を示す墨書銘があるが、織田信長が天正4年(1576)築城に着手し、あわせて摠見寺を建てるに際し甲賀郡から移建したと伝えられる。

組物は上下層とも三手先で、和様を主調とした最も一般的な形式であるが、下層中央間の彫刻入りの蟇股(かえるまた)や隅柱の上部についている頭貫(かしらぬき)の木鼻などは室町時代末期の特徴をよく現している。  

木造金剛二力士立像は応仁元年(1467)の作で重要文化財に指定されている。


















「二王門」から「三重塔」方面を見る





 


 
「二王門」から「百々橋口道」を下る。
 
百々橋口道
現在の安土城跡の正面口は大手道の方だが、信長公時代の安土城の正面口は百々橋口だったといわれている。

百々橋口から摠見寺を経て黒金門へ入るルートで、この道は「信長公記」に登場する。


安土城の登城ルートは往時は大手道の他に、百々橋口、七曲り、搦手道の4本だった。

現在、七曲り、搦手道は廃道となっているが、残る2ルートは往時のままに現存。













百々橋口道は現在、入口部分のみ通行止めで、下山道として利用されている。


 
百々橋
安土城と城下町を隔てる安土川にかかる橋で、百々橋が摠見寺および大手口に繋がる橋として「貞享古図」には書かれている。

「信長公記」に記載がある。

百々橋には「昭和二十一年」と刻まれた花崗岩製の欄干支柱が現役で残るが、信長時代はどのようなものであったかは不明。




「百々橋口道」を下り、道なりに山裾を「大手道」方面へ戻る。





亀のような岩













「伝羽柴秀吉邸跡」に辿り着く。




 

パンフレット

 

 



 

 

 

 

【名称】 安土城
【住所】 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6371
【電話】 0748-46-6594
【拝観時間】 8:30~17:00(入場受付最終は16:00まで)
【拝観料】 大人700円、小人(高校生以下)200円
【休観日】 年中無休

※ 2019年10月10日時点の情報です
 
 

 

前回は「三重塔」までしか行けなかったので、今回「二王門」から「百々橋口道」を、その他エリアは前回より細かく見て回ることが出来て満足です。

安土城天主再建の話も出ていますが、個人的にはそのままであって欲しいかなという想いです。

受付で御朱印を購入する時、窓口のおばちゃんが普通にタバコを吸いながら対応してくれたのには驚きました。

令和の時代にこんな光景が見られるとは...