この11月に、熊野古道の紀伊路の一部(海南~南部の間)を関東からの仲間6人で一緒に歩いてきました。私は、仲間と一緒に熊野古道を歩き始めて30年ほどになりますが、紀伊路を歩くのは今回が初めてでした。天気は曇り空だったのですが、いろいろ新しい発見もあって興味深いウォーキングでした。
まず初日は、海南の藤白神社を訪問し、権禰宜の中井さんの案内であらためて復元された鈴木屋敷なども見学させて頂きました。
この日(11月11日)はちょうど「有間皇子まつり」が行われていました(有間皇子(640 – 658)は、白浜の牟婁の湯からの帰途、この日に暗殺された。享年19歳)。牟婁の湯に向かう往路に詠んだ歌(万葉集におさめられている)「家にあれば 笥(け)に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」(家にいれば器に盛るご飯を、こういう旅だから椎の葉に盛ることだ)の歌碑が藤白神社の境内にあります。この歌を詠んだ時は、有間皇子はもちろんまだ自分の運命を知らなかったのです。
その後、有間皇子のお墓を経由して藤白坂(かなりの登り坂)を歩き、藤代塔下王子近くにある「御所の芝」から和歌浦周辺の眺望を楽しみました。この日は時間がなかったので、その後は、無人のJR冷水浦(しみずうら)駅まで一気に下り(かなりの急坂)、JR紀勢線で和歌山駅まで戻って新和歌浦の老舗旅館「木村屋」に宿泊。翌朝は波の音で目が覚めました。
(御所の芝からの眺望)
二日目は、特急くろしお号で和歌山駅から南部駅まで向かい(残念ながら今回は、御坊近くの道成寺などはスキップ)、南部の紀州梅干館から切目神社(切目王子)まで通常とは逆方向(北方向)に歩きました。このあたりの紀伊路は、熊野古道としては珍しく海沿いの道が多く、また舗装道路も多いのですが、ところどころ熊野古道らしい木立の中をそれなりのアップダウンで歩く道もあって楽しめました。
ウミガメの産卵などでも有名な千里の浜にある「千里王子」から有間皇子の結び松でも有名な「岩代王子」付近までは、途中、海沿いの道が通行禁止になったりしていますが、海の眺望を楽しみながら歩けるのが魅力です。ただ、有間皇子の歌「磐代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまた還り見む」(岩代の浜松の枝を今、引き結んで幸を祈るのだが、もし命があった時には再び帰ってこれを見よう)はその後の悲劇を暗示しているようでもあり、複雑な気持ちになります。
(千里王子~岩代王子付近)
岩代王子から切目王子までは海沿いの道を離れて、熊野古道らしい山中の道になりますが、それほどの急坂はありません。ただ、道案内が少なく正しい紀伊路を歩いているのかどうか、不安になるところが多いのが難点でした。切目王子は、昨年(2022年)、国史跡「熊野参詣道・紀伊路」に追加指定されたとのことで、世界遺産に追加登録されるのも近いと思われます(そのためのイベントもちょうど11月11日~12日に開催されていました)。この切目王子は熊野古道の九十九王子の中でも格式の高い五体王子(藤代王子、切目王子、稲葉根王子、滝尻王子、発心門王子)の一つとなっており、紀伊路の中心の一つであることをあらためて認識しました。
(切目神社)
その日の夜は、南部にある「(旧)DAIWA ROYALホテル」に宿泊し、夜8時から近くの小高い丘の上の広場で開催された「星空ツアー」(角田夏樹さんのSTAR FOREST社主催)に参加しました。600倍の天体望遠鏡で火星のリング(わっか)や木星の惑星などもきれいに観察できて、熊野古道の中から観る星空の素晴らしさを堪能しました。
以上、今回の紀伊路歩きのエッセンスと、19歳で命を散らした悲劇の有間皇子の歌の紹介などをさせて頂きましたが、熊野古道のルートの一つとして、この紀伊路の魅力も感じて頂ければ幸いです。(来年は、熊野古道(紀伊山地の霊場と参詣道)が2004年にユネスコの世界文化遺産に登録されて20周年です。)